BACK * TOP * NEXT



25:地底に潜むもの


 ドーラ国女王七騎士団の四人は問題の村へ向かい、結晶化している草木などを辿り、村のすぐ近くにある洞窟の前までやってきた。

「元々は貯蔵庫として使っていたらしい。村の人口が減ってからは利用していないそうだ。
 ――何か見えるか?」

 魔法の明かりを洞窟の中に飛ばし、入口から中を覗いている金髪の青年の白い上着の背中に向かってアディルが言った。

「特に変わったもんはなさそうだが…」

 そう答えてナルカースは洞窟内へ足を踏み入れた。彼の後を追ってアディル、レイア、ユナが続く。

「わぁ…すごい……」

 最後に洞窟に入ったユナは、辺りを見回して驚きの声を上げた。
 魔法の明かりに照らされた洞窟内は、壁の一部が水晶と化しており、壁に備え付けられている棚や壊れたランプまでも結晶化していた。

「高く売れそうだな……って冗談だ」

 壊れたランプを手に取り、ポツリとナルカースは呟いたが、瞬時に三人に睨まれ、苦笑いを浮かべてランプを戻した。
 その様子に溜息を零しながら、アディルは奥へと足を延ばした。三人がいる入口の空間と同じくらいの広さがあるそこは、元は木箱だったのだろう、結晶化した箱がいくつも転がっていた。

 特に変わった物はないな、と踵を返したアディルだったが、ふと視界の端、箱の後ろの壁に亀裂を見つけ、そちらに足を向けた。
 箱を退けた壁には、子供がギリギリ屈んで潜れそうな程の、小さな穴が開いてあり、その先に明らかに貯蔵庫ではない空間が広がっていた。

「三人とも、こっちに来てくれ」

 アディルの声に他の場所を見ていた三人が現れ、それぞれ穴を覗き始めた。

「この先に行ってみる?」

 穴を覗いていたユナが振り返り尋ねる。アディルとレイアは迷っていたが、ナルカースは力強く頷いた。

「当然だな。元を断たないと、穴を塞いだだけじゃ同じ事が起こりそうだしな」
「ナルカースらしくない意見ね」

 くすりと笑いながらレイアが言うと、彼女の側でアディルも頷いた。

「ようやく騎士団長の自覚が出てきたか」
「あのなぁ……」

 溜息を吐きながらナルカースは二人を睨みつけたが、アディルもレイアも綺麗に受け流した。

「レイア、明かりを代わってくれ」
「はい」

 アディルに言われ、レイアは小さく呪文を唱えて新しい魔法の光を天井付近に浮かばせた。

「ユナ、一発ドカンと頼む。…加減しろよ」
「オッケー」

 翡翠の瞳を輝かせ、ユナは再び壁に向き直った。
 彼女の全身が赤い光に包まれた途端、ふわりと緩く編まれた金の髪がなびいた。直後、穴のすぐ上の壁に赤い光の魔方陣が浮かび、弾ける。

 一瞬後、ドンッ! ドカドカドカッ! と光が触れた壁が爆発し始めた。

「ちょっ…、ユナ!」
「ユナッ! それくらいにしておいてくれ!」

 轟音と衝撃に天井からパラパラと瓦礫の欠片が零れ始め、三人は思わず悲鳴を上げた。

「もう少し大きい方がいいと思うけど……」

 等と呟きながら、ユナは集まっていた魔力を霧散させた。

「……私たちを生き埋めにしたいのかしら…?」

 服や髪の埃を払いながら、レイアが冷ややかな視線で尋ねると、ユナは顔を青くして素直に謝った。

「ごめんなさい」
「ネイが胃痛になるのも分かる気がするな……」

 黒い髪を掻きあげてアディルが溜息混じりに呟くと、ユナはパッと顔を上げた。

「え、ネイってば胃痛持ちなの? よく効く胃薬をプレゼントしないと……」

 口元に手を当て、本気で悩む娘に、アディルは溜息を深くした。

「胃薬よりも、もっと加減を覚えてくれ……」





 ユナが大きく広げた穴を潜ると、辺りが岩肌の壁の細い通路が伸びていた。
 ナルカースを先頭に、ユナ、レイアと続き、最後尾はアディルで洞窟内を進んだ。
 明らかに人の手が加えられていない自然そのままの、歩き難い道をしばらく進むと、急に前方から仄かな明かりが見えてきた。
 一同は一度足を止めて顔を見合わせ、どんなものが居てもいいように気配を殺しながら慎重に足を進めた。
 ほどなくして、

「成程、光苔か……」

 広い空間に出て、一部結晶化している壁にそっと手を触れたナルカースが呟いた。彼の背後から一歩前に出たユナが、辺りを見回し驚きの声を上げた。

「何ここ。…湖?」

 光苔に照らされ、僅かに青みがかった真っ黒な空間が足下に広がっていた。
 高い天井からポタリと一滴水滴が零れると、黒い空間に波紋が広がる。

「あそこから降りられるみたいね」

 ユナの隣に立ち、レイアが細い指で示したのは、丁度湖の反対側だった。緩い下り坂になっており、道が水の中へと続いている。

「行ってみるか」

 そうして再びナルカースを先頭に、四人は足を進めた。



 ちゃぷちゃぷ、と小さな音を立て、水が足下を濡らす。
 風も無いのに僅かに波が起きているのは、この湖が海と繋がっているからなのだろう。

「どんな魔物か判りそうか?」

 魔法の明かりを遠くまで飛ばしながら湖を覗きこんでいるナルカースとユナを横目に、アディルが尋ねる。その場に座り込み、地面を調べていたレイアは小さな何かを拾い、口を開いた。

「水系の魔物……。結晶化している鱗を持つ魚か魚人ね」

 拾い上げた小さな透明の鱗を黒髪の青年に見せようと立ち上がる。だが、

「おわっ!」
「何なに!?」

 ザザアァッ! と大きな水音を上げながら水が盛り上がり始める。その場から思わず後退ったナルカースとユナの悲鳴に、アディルとレイアも湖に目を向けた。
 ザアザアと流れ落ちる水をまといながら姿を現したのは、半球状の堅い甲羅を背負った、ナルカースの身長をゆうに超える巨大な体の亀だった。その亀の背後に、一回り程体の大きな同じ姿の亀がいた。
 二体の亀は湖からあがるのと同時に、ドスドスと重い足音と振動を起こしながら、四人目がけて突進を始めた。

「さっきの通路に逃げ込むぞ!」

 亀の突進をかわしながらナルカースが叫ぶ。三人は頷いて通ってきた緩い坂道を戻ろうと駆け出した。
 目くらましの光の魔法を放ち、ナルカースが三人の後を追おうと走り出す。しかし魔法の光によって足止めをするどころか、逆に亀を凶暴化させてしまい、体の小さい方の亀がナルカースを壁に吹き飛ばし、三人へと突進した。

「ナルカース!」

 轟音に三人は足を止めて振り返る。
 青年を突き飛ばしても衰えない勢いのまま突進してくる亀に、ユナが一歩前に出て魔法を放った。
 ゴオッ! と轟音を上げて彼女と亀の間に火柱の壁が出来る。

「今のうちに――っ!」

 ナルカースの救出を、と続く筈の彼女の言葉が途切れた。

「うそぉ!?」
「逃げてユナ!」

 巨大な亀は燃え上がる炎をものともせず突進してきたのだ。すぐさま横に跳び退こうとしたユナだったが、僅かに反応が多く、亀の体当たりを食らって宙を舞った。

「ユナ!」

 軽々と宙を舞ったユナの体が、ドボンッ! と水飛沫を上げて湖の中に消えていく。
 レイアとアディルは慌てて坂道を下り始めた。巨大な二体の亀は彼らの横を通り過ぎ、坂の上へと上って行った。
 ヒュッ、と黒い影が視界の端を横切ったが、アディルは構わずナルカースの元へ駆け寄りながら、レイアに声をかけた。

「レイア! 救出に行けるか!?」
「やってみるわ」

 湖の縁に立ち、レイアが呪文を唱え始める。水の精霊の加護を受ける水の騎士である彼女は、水の中で自由に動き回れる術を持っている。
 そして坂道を上っていく二体の亀は、今回の事件の原因の、何でもかんでも結晶化させてしまう魔物ではないだろう。
 恐らく本当の狙いの魔物は湖の中にいるに違いない。
 地面に倒れ、気を失っているナルカースに回復魔法をかけながら、アディルはレイアの細い背中に目を向けた。





 巨大な亀の突進を食らって湖の中に落ちたユナは、勢い良く沈んでいく自身に気付き、すぐさま体を捻って速度を殺し始めた。
 顔を上げて水面に目を向けると、かなりの深さがある湖だと分かった。彼女の足下には暗い闇が広がっており、やはり海と繋がっているのだろう。
 足を動かして浮上を始めるユナだったが、視界の端、闇の中にギラリと輝く赤い二つの光を見つけ、動きを止める。
 ふ、と頭の中を過ぎる友人レイアの言葉。

『結晶化している鱗を持つ魚か魚人ね』

 先ほど四人に襲いかかってきたのは、鱗を持たない亀だった。という事は、未だ湖の中にその魔物が潜んでいる可能性がある。

(……やばい)

 段々と近づいてくる二つの赤い光に本能で危険を察したユナは、足を必死で動かして水面目掛けて一直線に浮上を始めた。
 魔法による補助も無しに水の中に落ちてしまったのだ。戦闘になれば明らかに自分は不利だった。

 あと少しで水面に出られる、と安堵した瞬間、波が起こり彼女の体を押し流した。

(うっ……)

 慌てて体勢を戻し、再び浮上しようと顔を上げる。だが、

(…そんな……)

 ユナと水面の間には一瞬前に波を起こした張本人だろう、人ひとりを丸呑み出来そうな程大きく、蛇のような長い体と結晶化している銀色の鱗を持つ魔物が、赤い眼をギラつかせながらこちらに牙を剥けていた。口からは白くキラキラと輝く、結晶化のブレスが漏れている。

 魔物の赤い眼と目が合った瞬間、バネのように体を伸ばして牙を剥きながら、勢い良くユナに襲いかかる。息苦しい中、ユナはよたよたと体を捻り魔物を避けた。

 ゴボ、と彼女の口から息が零れる。息が続かず、目の前が霞み始めた。

 蛇のような魔物は赤い眼を彼女から離す事なく旋回し、再びユナを目掛けて突進してきた。
 避けられない、と悟ったユナは、思わず目を閉じ、痛みに備えて奥歯を噛み締めた。

 しかし彼女に襲いかかったのは鋭い牙による痛みではなく、体を押し流す波だった。
 何が起きたのだろうと何とか目を開くと、透明の小さな鱗が無数に浮いており、そして彼女の目の前に見たことの無い黒髪の青年がいた。
 ゆらゆらと揺れる短い黒い髪。心配そうにユナの顔を覗き込む漆黒の双眸。

(……だ…れ…)

 そんな疑問が浮かぶが、ユナは息苦しさに意識を手放した。



 次の瞬間、意識がはっきりと覚醒する。
 視界一杯に広がる青年の顔。薄くも温かい口唇が触れ、そこから息を吹き込まれる。
 カッ、と顔に熱が上り、目の前の青年から離れようとするが、その前に青年が離れ、ぐいっとユナの腕を引き寄せた。
 悲鳴を上げそうになるが何とか飲み込み、青年に身を委ねながら顔を上げる。
 二人の頭上を猛スピードで魔物が通り過ぎていく。その体は所々鱗が剥げ、ボロボロだった。

(そうだった…。魔物に襲われて……)

 ふと視線を感じ、ユナは自分の体を支える青年に目を向けた。目が合った彼はパクパクと口を動かして何かを伝えようとしていた。

(…何? 君の力を貸してくれ……って言われても……)

 ユナは微かに眉を顰め、周囲を旋回する魔物に目を向けた。

 自分は火の精霊の加護を受ける火の騎士だ。水の中では本来の力の半分も発揮させる事は出来ない。そう考えて答えを渋っていると、体を支える青年の手が、力強く肩を掴んだ。
 思わず青年に目を戻すと、彼はまるで大丈夫だと言い聞かせるかのように、一度だけ頷いた。
 青年の漆黒の双眸が自信に満ち溢れた光を湛えている。それに賭けてみようと思った。

(やってやろうじゃないの…!)

 早いところ魔物を追い払うかして水面に上がるには、四の五の言っている暇は無かった。
 やる気になったユナの表情を見て、青年が嬉しそうに微笑む。その顔に刹那見とれてしまったユナは、慌てて意識を集中させ、魔力を高めていった。

 二人の変化に気付いた魔物が旋回をやめ、息を吸い込むかのように腹を大きく膨らませ、白く輝くブレスを吐き出す。しかしブレスは二人に届く事は無く、黒髪の青年が作った光の盾によって防がれた。
 直後、ユナの呪文が完成し、彼女の正面に赤い光の魔方陣が浮かび上がる。魔方陣は強烈な光を放ち、その光とは比べ物にならないくらいの小さな炎を出現させた。

(やっぱり……水の中じゃこれが限界か……)

 分かってはいたものの、実際自分の目で確かめてみると、情けなくて泣きたくなる。しかし青年は満足そうに炎を見つめていた。
 ブレスが効かないと悟った魔物が、鋭い牙を剥いて二人に突進してくる。それに気づいた青年が、ユナの体を支える手と反対の手を、目の前に漂う頼りない小さな炎にかざした。
 途端、炎が放つ光が強くなる。ボコッ、とひとつ大きな気泡が生じ、水面に消えていった。その一瞬後、ボコボコボコッ! と無数の細かい泡が二人と魔物の間を覆った。
 炎の光がどんどん強くなり、辺りを白く染め上げる。直後、

 ――ドォォンッ!!

 青年の手から水撃砲が放たれ、蛇のような魔物を吹き飛ばした。
 衝撃に強大な波が起こり、水がせり上がり始める。
 ユナと黒髪の青年はそれに抗うことが出来ず、衝撃に飲み込まれた。





 アディルの回復魔法で目を覚ましたナルカースは、苛々と金の頭を掻きながら、湖の縁に佇むレイアを見ていた。
 彼女の全身は淡い青色の光に包まれ、水の中でも自由に動けるように準備が行われている。
 今すぐにでも湖の中に飛び込みたいナルカースだったが、魔法による補助も無しに水の中に入るのは自殺行為なので、レイアがユナの救出に向かうところを黙って見つめていた。

「準備完了。それじゃあ行ってきます」
「ああ、気をつけてくれ」

 振り向かずに言ったレイアの後姿にアディルが声をかける。彼女は一度しっかりと頷いて水の中に足を踏み入れた。だが、

 ――ザッパァァンッ!!

 何の予告も無しに不意に轟音が響き渡り、巨大な水柱が上がった。

「な、何だ!?」

 ナルカースとアディルが剣の柄に手を伸ばし、レイアの側に駆け寄る。

「見てあれ!」

 水柱の中から出てきた人影を見つけたレイアが声を上げて指をさした。水柱の勢いに飲まれて宙を舞っていた人影は、真っ直ぐ三人の元へやってくる。

「――ユナ!」

 一足先に人影の正体に気付いたレイアが叫ぶが、ぐっとアディルに腕を引っ張られ、たたらを踏んだ。

「レイア、下がれ」

 青年の手を振り払おうとした彼女だったが、すぐに異変に気付き、僅かに後退る。

「……魔族」

 腰に佩いてある剣を抜き放ち、ナルカースが小さく呟いた。
 陸に上がってきた人影はユナ一人ではなかった。

 彼女を抱きかかえる黒髪の青年。人のような姿をしているが、明らかに人とは違う、背から生える一対の漆黒の翼。
 人間と対立する存在の魔族の青年がそこにいた。


「――ごほっごほっ! ……はぁ、死ぬかと思った……」

 ヨロヨロと青年の腕から離れ、ユナは地面にしがみつくかのように座り込む。

「助けてくれてありがと……ってみんな、何でそんな怖い顔してるの?」

 自分では無く、自分の後ろを睨みつけているナルカースやアディルに、ユナは首を傾げて尋ねた。
 ザッ、と剣を構えたナルカースが一歩前に出てくる。

「ユナ、そいつから離れるんだ。そいつは、魔族だ」
「――え?」

 ナルカースの言葉にユナは後ろを振り返った。そこに佇んでいるのは、困ったかのように苦笑している、彼女を助けてくれた黒髪の青年だった。ただし、背には一対の翼があった。

「まいったな…」

 水をたっぷり吸った上着の裾を絞りながら青年は四人の顔を見回した。

「剣を下ろしてくれないか? 俺は君たちに危害を加えに来た訳じゃない」

 両手を顔の近くまで上げ、降参のポーズを取りながら青年が言う。しかしナルカースは聞く耳持たずといった感じで剣を突き付けた。

「魔族の言葉を簡単に信じると思うか?」

 ナルカースの低い声に魔族の青年は苦笑いを消した。

「……そうだな。ただ、君だけは信じてくれると期待してるよ」
「え…」

 青年のどこか寂しそうな黒い瞳に真っ直ぐ見つめられたユナは、ドキッ、と微かに体を震わせた。目敏くそれに気づいたナルカースが舌打ちして剣を握り直し、青年に向かって地面を蹴った。
 横一直線に剣を薙ぐが、黒髪の青年は後ろに跳び退いて剣をかわし、そのまま翼を広げて宙に浮いた。

「――くそっ!」

 再び舌打ちしてナルカースは上空に浮かぶ青年を冷やかな紫の目で睨みつける。しかし青年はそんな彼には全く目もくれず、地面に座り込むユナを見ていた。

「また会おう、ユナ!」

 ふっ、と口元に笑みを浮かべ、黒髪の青年は坂道の上の通路への入り口でつまっている二体の亀の元へ向かい、そして空気に溶けるかのように姿を消した。

「何なんだあいつはっ!」

 肩を怒らせ、剣を乱暴に鞘に戻しながらナルカースが振り返る。呆然と青年が消えていった空間を見つめていたユナは、水を吸って重くなった髪を絞りながら溜息を吐いた。

「だから、助けてくれたんだってば。レイアの言ってたような魔物を倒したのも彼だし」

 二体の亀がゆったりとした足取りで坂道を降りてくる。しかし四人の姿を見つけても最初の時のように突進してくることはなく、ザブザブと湖の中へと消えていった。

「それなら結晶化していた物も全て戻ってそうだな。村に寄って、それから城へ戻ろう」

 静けさを取り戻した湖を見つめながらアディルが言う。
 ナルカースは不満そうな顔をしていたが、特に何かを言うでもなく、素直に先頭を歩き出した。





BACK * TOP * NEXT