広い空間の床に彼は跪いていた。 床に敷かれた緋色の絨毯の先には豪華な装飾が施された玉座。その玉座に腰かけ、肘掛けに頬杖をついているのは、短い黒髪と漆黒の双眸を持つ男。 何度その姿を見ても慣れる事はないな、と心中で呟きつつ、彼は口を開いた。 「――スクウェルド、参りました」 長い桜色の髪がさらりと肩から零れる。 玉座に座る男は、頬杖の腕とは逆の手をすっと上げた。 手のひらの上の、何もない空間に小さな光の玉が浮かび、中から金製のサークレットが現れる。 何処にでもありそうな、大した飾りも無いサークレット。しかしスクウェルドには、そのサークレットに見覚えがあった。 「お前が作った物らしいな」 男が口を開いて腕を動かす。その動きに合わせて光の中のサークレットは弧を描くように宙を舞い、ゆっくりとスクウェルドの目の前までやってきて停止した。 「確かに。しかし今は作っていない物です」 スクウェルドがサークレットから目を逸らして答えると、男は彼とサークレットを見下ろした。 「そうか、まあいい。今あるこのサークレットを、簡単には破壊出来ないように強化しろ」 「……」 スクウェルドは眉を寄せて男の顔を見上げた。 昔、遊び半分で作った呪いのサークレット。このサークレットを身につけた者は操られてしまうといった物だ。 強化しろという事は、このサークレットを使用するということになる。 (一体誰に……) 疑問が浮かび、一瞬で解ける。 スクウェルドは青紫の目を見開いてサークレットと男を睨んだ。 (…サフランへの、見せしめか…!) 脆く、不安定な力を持った黒髪の青年の姿を思い出し、スクウェルドは内心舌打ちした。 目の前の玉座に座する男は、黒髪の青年が自らの意思で自分の元に来る事を望んでいる。その為に手段は選ばない。 サークレットとスクウェルドを見下ろしていた男は、鋭い視線で睨み続ける青年を見て、ふむ、と肘掛けに置いていた手を顎に当てた。 「何か言いたそうな反抗的な目だな」 「……っ」 男は漆黒の目を細めて青年を睨み返した後、彼の遥か後方、玉座の入口へ目を向けた。 不意に部屋の中に新たな気配が生まれ、一直線に二人の元へ近付いてくる。 カツカツという硬い足音が広い空間に響き渡る。 スクウェルドは嫌な予感を覚えてゆっくりと振り返り、そして目を見開いて絶句した。 足音の持ち主は跪いている青年に目もくれず、彼の側を通り過ぎて玉座の前にある段差の下で足を止めた。 「全ての魔族は、魔王に逆らえない。そうだな?」 男の言葉が耳に届くが、その声を無視して近くに佇む青年を見上げていた。 スラリとした長身に短い金の髪。スクウェルドを見下ろす、光を失った冷ややかな橙色の双眸。 (――どこまで汚いんだ…!) 友人の変わり果てた姿にスクウェルドは毒吐き、滾るように恨みのこもった目で玉座の男を睨みつけた。 同時に、これ以上あの黒髪の青年の為に自分が出来る事はもうない、と絶望した。 24:罪の傷は深く 「――セリィ、リタ! 待ちやがれッ!」 赤茶色の少し長めの髪をなびかせ、左手に数枚の紙を持った男が、叫びながら白い石造りの廊下を駆け抜ける。 彼の前方には二人の青年がかなりの速度で走っていた。否、逃げていた。 「何だこの報告書は! 手抜きにも程があるぞ!」 「悪い、ネイ! 俺たちこれから城下町に行かないといけないから、あとよろしく!」 顔だけ後ろを向き、片手を上げて謝る茶髪の青年。しかし眉間に深い縦皺を作っている男には全く通じていなかった。 「お前達、昨日もそう言っていなくなっただろ!?」 「今度は本当に仕事だってば…!」 青い髪の青年が背後からの殺気に冷や汗を流しながら叫ぶ。するとネイの片眉がピクリと吊り上がった。 「……今度、は…?」 「セリィ…! 今度も、だろ、そこは!」 リタが顔を青褪めさせて叫ぶと、しまった、とセリィはバツの悪そうな顔をした。 「リタ……セリィ……」 背後に迫るネイの殺気が更に濃くなる。二人は走る足を速めて、涙声で謝った。 「ごめんなさいぃ…!!」 広い部屋の窓際に置かれた執務机の上に腰かけていた黒髪の青年は、廊下から響いた三人の声に、肩を震わせて笑っていた。 「相変わらず賑やかだな」 楽しそうなその声色に、部屋の主のイファルナも小さな笑みを浮かべた。だが、青年の手元に目をやった彼女は、表情を僅かに曇らせた。 その視線に気づいた青年は、さり気無く手元を隠すかのように腕を組んで、窓の外に目を向けた。 「気にするな。イファルナの所為じゃないって言ってるだろ」 「……サフラン……」 イファルナは小さく呟き、青年の横顔を見つめた。 魔族の王が変わり、同時にイファルナがドーラ国の王になってから既に数年が経っていた。その間、黒髪の青年サフランと会う事は無く、先程久しぶりに再会したのだが、彼の左手首には見慣れない銀製のブレスレットがあった。 どうやら魔族の王によって、力を抑えられているようだった。 「単に逆らえないようになっているだけだ。こんなの、外そうと思えばいつでも外す事は出来るしな」 イファルナと目を合わせたサフランは、にやりと不敵な笑みを浮かべ、執務机から体を離した。 「それにあいつは、俺たちを殺す事は出来ないから平気だ」 現魔王は力のある魔族を側に置く事で、己の力を高めている、とイファルナは聞いた。 よって、本来なら魔族の王になるはずだった、かなりの力を持つサフランは、魔王にとってなくてはならない存在なのだ。 サフランがここまで自由に動き回れるのもそのお蔭とも言える。 ズボンのポケットに両手を突っ込み、テラスへ繋がる窓へと歩いていく青年を目で追いながら、イファルナはポツリと零した。 「……魔王は、どうして人間との共存を拒むのかしら……」 小さな呟きにサフランは足を止めた。 人間と魔族は長い間争う事は無く、共存し続けてきた。しかし新たな魔王は人間との共存を拒否。 魔王は魔力の高い人間を食らい、魔力を吸収する能力を持つが、共存を拒む理由はそれだけではない気がイファルナにはしていた。 だがサフランに尋ねたところで答えは返ってこないだろうと、彼女はそっと目を逸らした。 「――あいつは、アビスの母親は…人間なんだよ」 振り返る事無くサフランは言い、テラスへの窓を開けた。 気配を殺してそこに佇んでいたのは、何処か儚さをもつ女性のような顔立ちの青年だった。長い桜色の髪が風に吹かれなびいている。 「スクウェルド。どうしたんだ?」 その声にイファルナは顔を上げた。青年の無表情な顔を横目で見つめ、こめかみを指で押さえて小さく溜息を吐いた。 何故彼らは結界が張られてあるこの城内に簡単に入ってこれるのだろう、と本気で悩んだ。それと同時に、これ以上サフランに魔王について尋ねる事は出来ないと悟った。 イファルナの視線を感じたスクウェルドは、ちらりと青紫の目で彼女を一瞥し、サフランに向きなおった。 「魔王がお前を探している。シリアが時間稼ぎをしている内に戻れ」 「――仕方ないな…」 黒髪の青年は肩を竦め、後ろを振り返った。 「また来るよ」 「ええ。次は簡単に侵入出来ないように結界を強化しておくから」 にっこりと極上の笑みを浮かべて追い払うように手を振る女王に、サフランは苦笑いを浮かべた。 「冷たいな」 黒い頭を掻きながら、サフランはスクウェルドと共にテラスに出て窓を閉めた。 二人の青年が背中に一対の漆黒の翼を広げ、空に飛び立とうとしたその時。執務室の扉がノックされ、一人の女性が入ってきた。 背中まで伸びる金の髪を緩く三つ編にしている若い娘。 ドーラ国騎士団の正式な黒い制服を着ている彼女は、テラスにいるサフランとスクウェルドには全く気付かず、手に持っていた書類をイファルナに手渡して何やら話していた。 「どうした?」 ぴくりとも微動だにしなくなった友人を不審に思い、スクウェルドが小声で尋ねる。 しばらく部屋の中を無言で見つめていたサフランは、小さく頭を振って「何でもない」と答え、音を立てずに空へと飛んでいった。 「……変なやつだな」 青紫の目を細めて黒い姿を目で追ったスクウェルドは小さく呟いて、彼と同じように音を立てる事無く翼を広げ、空へと消えていった。 山間の小さな村の広場に人々が集まっていた。 木の椅子がひとつ置かれてあり、その椅子に年老いた女性が腰かけている。彼女の周りには数人の村人と、ドーラ国騎士の黒い制服を着た若い男女が立っていた。 「アディル、どう?」 背中まで伸びる黒髪を一つに束ねた青年が地面に片膝をつき、椅子に座る老婆の右手をそっと握って見つめていた。 彼の背中から金髪の娘が顔を覗かせて尋ねる。 アディルと呼ばれた青年は、女性の手をゆっくりと彼女の膝の上に戻して立ち上がった。 「見事に結晶化してるな……」 アディルは青い目を細めた。 老婆の手はキラキラと、まるで宝石のようになっていた。同じように結晶化している植物も見たが、ほんの少しの衝撃で粉々になってしまうほど、脆くなっている。 「山神様の祟りだ……」 周りに佇む人々が恐る恐る呟き、祈るように両手を合わせる。 「魔物が最近凶暴化したのもそうに違いない」 村人の呟きに金髪の娘は姿勢を正し、胸を張って笑みを浮かべた。 「大丈夫ですよ。あたし達女王騎士に任せて下さい。必ず解決してきますので」 偽りの無い綺麗な笑みに、アディルもつられて口元に笑みを浮かべて頷いた。 村人は二人に縋るように、何度も頭を下げ始める。 「ユナ、一度戻って応援を呼ぼう。俺達二人じゃキツイだろうしな」 村人に囲まれている娘にアディルは声をかけた。しかし彼女は声が届いていないのか、山道へ通じる林を凝視していた。 「ユナ?」 少しきつめに再度声をかけると、ようやく彼女は振り返り、首を傾げた。 「…誰かに見られてるような気がして……」 彼女の言葉にアディルは眉を寄せた。 「犯人か…?」 「わかんない。でも殺気とかは感じなかった」 アディルは腰に手を当てて林へ目を向けたが、既に視線の持ち主は姿を消したのか、気配を感じる事はなかった。 「とにかく城に戻ろう。陛下に報告しないと」 「そうね」 頷いてユナはアディルと共に村人に一度別れを告げ、村を後にした。 ドーラ国女王の執務室には、部屋の主イファルナと、報告に戻った黒髪の青年アディル、金髪の娘ユナと、背の高い金髪の男と、彼よりも頭半分低い、表情の険しい青年がいた。 「――それで、俺達二人だけではかなりキツイ戦いになりそうなので、誰かつけて欲しいのですが」 アディルの報告を黙って聞き終えた直後、金髪の男が目を輝かせて口を開く。 「陛下! 俺の出番っすね!?」 暗い紫の双眸を輝かせ、声高らかに言う彼に、イファルナは冷ややかな視線を送った。しかしそれに気付かない彼は更に続ける。 「初めから俺がユナと二人で行っておけば、二度手間にならずに済んだんですよ、きっと!」 「……ナルカース」 低く遮った声に、ナルカースと呼ばれた金髪の男はビクリと肩を震わせ、声の主に顔を向けた。 「な…なんだよ、ネイ」 眉間に深い縦皺を作り、睨みつけてくる青年にたじろぎながら尋ねると、彼は肩より少し短い赤茶色の髪を揺らして深く溜息を吐いた。 「光と闇の騎士が同時に不在でどうする。それにお前、ユナと出たところで真面目に仕事をするとは思えないが?」 「ぐっ……」 一気にまくし立てられた言葉に、ナルカースは言葉につまった。 後半部分は聞き捨てならないが、前半部分は彼の言う通りだった。 ナルカースは光の精霊の加護を受けるドーラ国女王騎士団の団長で、黒髪の青年アディルは、闇の精霊の加護を受ける騎士団の副団長だ。 ネイの言うようにナルカースが不真面目だったとしても、団長と副団長、二人が同時に不在にするのは色々と問題が出てくる。 しばらく悔しそうにネイの険しい顔を睨み付けたナルカースは、助けを求めるかのように執務机に手をつき、イファルナに声をかけた。 「でも陛下。ネイは忙しいし、リタやセリィが行くより、俺が行く方が確実でしょ?」 「そうね…」 椅子に腰かけたまま四人の顔を一通り眺めたイファルナは、ナルカースの顔を見上げた。 「今回は特例として許可するわ」 女王のこの言葉に、ナルカースは顔を輝かせた。 「ナルカース、アディル、ユナはレイアと合流後、その村に向かって頂戴」 「了解」 名を呼ばれた三人は姿勢を正して敬礼し、早速部屋から出て行った。 「ネイ」 渋い顔をして三人を見送った青年に、イファルナは声をかけた。ネイは背筋を伸ばして女王に向き直る。 「四人が事件を解決して戻ってくるまで、セリィ辺りを呼び戻したらどう?」 イファルナの言葉にネイは一瞬迷ったが、すぐに苦笑いを浮かべて頭を振った。 「仕事が増えるだけなので遠慮しておきます」 ネイと同じ女王騎士であるセリィとリタはデスクワークを苦手とし、いつも適当に書類を片付け、外回りの仕事へ行っている。 そんな二人が戻ってきたところで、大して変わらない気がしてネイは答えた。 イファルナも妙に納得してしまい、苦笑いを浮かべるだけだった。 世界第一位の魔法大国と謳われるドーラ国は、世界の中心、一番力の集う場所にある。 更にその力を増幅させる為、城は街の中央の高台の上に聳え立ち、七方向に城壁が伸びている。その先には塔。 街は七つの区画に分けられ、外側を真円を描くように城壁が建っている。 七つの塔を点に線を結ぶと七芒星の魔法陣が描けるという仕組みになっている。 そんなドーラ国の南に位置する街の玄関口の区画にある、魔道士協会の建物の前に、一人の女性が佇んでいた。 耳の下で切り揃えられた金の髪をかき上げ、大きな茶色の瞳でキョロキョロと辺りを見回している。 丈の長い黒のワンピースを着ている可愛らしい彼女に、通行人は何度も振り返って見つめていたが、誰一人として彼女に声をかける者はいなかった。 先ほど一人の若い男が彼女の側まで歩み寄ったが、胸元に輝くドーラ国女王騎士団のエンブレムに気づくと、あからさまに顔色を変え、怪しい動きで魔道士協会の建物の中に消えていった。 それから数分後、ようやく彼女の待つ人物が姿を現した。 「待たせたな、レイア」 すらりと背の高い黒髪の青年が声をかける。レイアと呼ばれた女性は小さく頭を振り、青年の後ろに目を向けた。 「ユナにナルカース。どうしたの?」 青年の背後にはブスっと不機嫌な表情をした金髪の男女がいた。 その二人を振り返り、黒髪の青年アディルは苦笑いを浮かべた。 「出る前にネイに声をかけられてな」 『いいかナルカース。絶対に暴走するなよ。ユナ、お前もだ』 「何であたしがナルカースと同じレベルなのよ!」 眉間に縦皺を作った青年の顔を思い出し、ユナが叫びながらレイアに抱きつく。レイアは苦笑いを浮かべて彼女の金の頭を撫でながら、背の高いナルカースを見上げた。 恐らく彼はユナに同レベルは嫌、と言われた事にショックを受けているのだろう。 先が思いやられる、とレイアは内心溜息を吐いた。 ちらりと黒髪の青年に目を向けると、レイアの視線に気づいた彼は深々と溜息を吐き、腕を組んだ。 「二人とも……。いつまでもうだうだ言ってないで、ネイを見返す為に早く事件を解決できる方法でも考えたらどうなんだ」 低いアディルの言葉に、ユナとナルカースは顔を上げて頷き合っていた。 「よし、ネイの野郎をギャフンと言わせてやる!」 握り拳を作り、気合十分にナルカースが言う。ユナもレイアから離れ、気合を入れていた。 「単純だな…」 そんな二人を見てポツリと呟かれたアディルの言葉に、レイアは苦笑いを浮かべて頷いた。 |