王子様救出大作戦【前編】
木々が青々と芽吹く春の日。 街道を馬を二頭繋げた荷馬車が、ゆったりと進んでいた。 左右に並ぶ木々の木漏れ日に少し目を細め、荷台に積んである藁(わら)の上で、茶髪の少女が大きく伸びをする。 ここ二、三日歩き続けて大分疲れていた。宿にも泊まれず野宿し、そのときに焚いていた炎の明かりを目印にやってきた小さな魔物たちと戦い続け、完全に寝不足だった。 運良く荷馬車と遭遇し、近くの町まで乗せて貰える事になった。 天に伸ばしていた腕を下ろし、茶色の瞳を閉じる。折角だから町までの道程はぐっすり寝ようと思った。 魔物が現れても相棒がいるから大丈夫だろう。 そう考えてゆっくりと眠りの海へと身を沈めていった。 急に静かになり、御者席に座って、この馬車の持ち主の男と話していた青く長い髪の青年は、荷台を振り返った。 先程まで「足が痛い」だとか「腰が痛い」だとか「あんたのせいで寝不足よ!」だとか言っていた茶髪の少女は、小さな寝息を立てて眠っていた。 黙っていれば多少は可愛い少女の寝顔を見て青年は微笑み、隣の男に尋ねる。 「町まではどの位かかりますか?」 「二時間くらいかな。嬢ちゃんもゆっくり休めるだろう」 「そうですね」 ずっと野宿で寝不足でかなり申し訳ないと思っていた青年は、やっとまともに眠っている少女を見て、更に笑みを深くした。 馬車の蹄の音が、春の暖かな街道に響き渡っていた。 二時間後。 荷馬車は町の城壁の近くまでやってきていた。 茶髪の少女は数分前から目を覚ましており、辺りの景色を見て目を細めていた。 すれ違う馬車や側を歩く人々を見て、少女はポツリと呟いた。 「町って言うより……王国じゃない」 彼女の言う通り城壁に囲まれた町は広く、そして遠くに城が高くそびえている。 活気と人々のざわめきが風に乗って耳に届く。 「ここはシャーゼン国の王都ですね。学問が盛んで、町には十もの学校があり、王立図書館は世界第二位の規模で、城の中の図書室も一般に開放されています。それで他国へと留学する人は、この国へと学びに……ってジュネさん!」 観光ガイドブックを見ながら説明していた青い髪の青年を後ろから一発殴り、ジュネと呼ばれた少女がガイドブックを奪い取る。 ぱらぱらとページをめくって中身を見て、ジュネは深々と溜息をつき、ガイドブックを青年に投げ返した。 「わ! 何するんですか!」 「あんた、この国の事もガイドブックを見ないと説明できないなんて……。とんだ箱入り息子ね。よくそんなんで冒険できるわねぇ…」 器用に荷台から御者席に移動し、ジュネは男の隣に座った。 服と髪についた藁を落とし、鞄から手鏡を取り出し、自分の姿を映してにっこりと微笑む。髪を整えながら青年に尋ねる。 「大体、いつそんなガイドブックを手に入れたのよ」 「えーっと……。数日前に泊まった宿の女将さんがくれました」 「あっそ。なら丸暗記くらいしなさいよね。それでも魔法使いなの?」 「うっ……それは…その〜……あの〜……」 語尾が段々と小さくなっていく。黙って話を聞いていた男は、声を上げて笑い出した。 「ほらほら、シャーゼン国に到着だ。二人ともケンカはそれぐらいにしてくれよ」 「は……はい。すみません」 「別にケンカじゃないわよ。頭の悪いパッセに教育しているの」 再び色々と言い始めた二人に、男はまた笑い出した。 二人の言い合いは全く止むことはなく、馬車はそのまま町へと入って行った。 「有難う、おじさん。御蔭で早く着いたわ」 大通りから少し離れた通りで馬車から降り、ジュネは男に礼を言った。男はにっこりと微笑んで彼女の茶色い髪をくしゃっと撫でる。 「おう、気を付けてな。早く両親見つかるといいな」 「……そうだね」 隣に立って視線を逸らしている青い髪の青年を一瞬ギロリと睨みつけて、ジュネは頷いた。青年は冷や汗すら上手く隠して微笑む。 「また何処かで会いましょう」 深く頭を下げて男に言った。ジュネもそれに倣い、長いドレスの裾を軽くつまむような仕草で優雅にお辞儀をする。 男は二人に手を振り、馬車を操って通りに消えていった。 馬車を見送りつつ、ジュネは青年の方を見ずに尋ねる。 「誰が両親を捜してるって…?」 「あははは……。あっ、広場で何かやってるみたいですよ! 行きましょう」 冷や汗をたらたら流しながら青年が話をそらす。そしてジュネの手を取って広場へと歩き始めた。 「ちょっと! あんなの関係ないでしょ!? それよりも早く宿を探さないと、また野宿になっちゃう……って聞いてるの!?」 ジュネは叫んだが、彼女の言葉を無視したように青年は彼女を引っ張って広場へ向かう。彼に引きずられるまま、ジュネは青年の顔を見上げて睨みつけた。そして、 「宿を探すのが先よ! パキート=パッセ=ウィステリア!!」 ぐーの拳で彼の頭を殴った。 「一瞬だけ戻って殴るなんてヒドイです」 宿の受付のカウンターの側で青い髪の青年、パッセは言った。 うじうじと言い続ける彼の足を思い切り踏みつけてジュネは口を開く。 「もう何度も聞いたわよ! 貴方が悪いんだから少しは反省しなさいよね」 「でもわざわざ元の姿になってまで殴らなくてもいいじゃないですか」 パッセが先程から言っている元の姿というのは、ジュネの今の姿が呪いによるものであり、本来の姿は全く違うということだ。 彼女の元の姿は、背中まで伸びる金の髪に、光を受けて輝く赤い瞳だ。背の高さも本当は、パッセより頭半分は低いが、普通の女性並みの身長がある。 だが呪いのせいでジュネの姿は、肩までの茶髪に茶色の瞳、そして十歳くらいのまさに少女と呼ぶにピッタリの体型だった。因みに実際の年齢は二十歳だ。 「そんな事言ったって、あたしにもいつ姿が戻るって分からないんだし……。今のところ分かってるのは、怒りメーターがMAXになった時かなぁ? ――それにね」 にっこりと微笑んで言うジュネに、パッセは多少怯みながら嫌々尋ねる。 「何ですか……?」 「今の姿じゃ全然頭に手が届かないでしょ」 こう言うジュネの微笑みは、どこからどう見ても悪魔の笑みだった。体力、気力、精神力、おまけに魔力まで彼女に吸い取られた気分になる。 パッセはがっくりと肩を落とした。 「それよりも早く宿取ってよ」 近くのソファーにどさりと座り、ふんぞり返ってジュネが言う。パッセはもう何も言わずに素直にカウンターに向かった。 宿を確保して、二人は町を見て回る事にした。 まず向かったのは、パッセが先程言っていた広場の人だかりだ。 今は多少人が減っているものの、それでもまだ人の数は多い。近くで見なくても、その人々は何かしらの冒険者だと分かった。 人々の間をすり抜けて前へとジュネは出る。後ろでパッセの悲鳴が聞えていたがあえて無視し、何があるのかを見た。 ジュネの丁度視線の高さに立て札が立っていた。立て札には張り紙が貼られており、そしてデカデカとこう書かれていた。
第一王子グラファト殿下が“黒死鳥の森”の魔女に攫(さら)われた。 王子を無事救出した者には、それ相応の報酬を授ける。 詳しくはシャーゼン国第三部隊長ムジハラ将軍まで。 〜シャーゼン国〜 茶色の瞳を思い切り見開いて、ジュネは立て札を見ていた。周りの冒険者たちの声が色々と彼女の耳に届く。 「“黒死鳥の森”って、生きて帰れないって言われてる処だろ?」 「魔女は美しいものに目がないんだとか」 「王子もそれで誘拐されたんだって」 「命を張って魔女と戦うより、他のクエストに挑戦した方がいいって、絶対」 様々な声にジュネは口の端を上げて微笑んだ。やっと彼女の側にやって来たパッセが、肩で息をしながら立て札を見て口を開く。 「普通は内密にするんじゃないんですか? この隙に戦争が起こったりするでしょう?」 「ん〜、まぁ普通はそうなんじゃない? でもこの国は中立国だしねェ……」 フラフラとジュネは人ごみから抜けて広場から離れる。パッセは慌てて彼女を追った。 「ジュネさん、どうかしたんですか?」 ぼーっと宙を見つめ続けているジュネを心配し、パッセが尋ねる。だが、彼の声が聞えなかったのか、いきなり「うふふふ……」と不気味に笑い出した。 「行くわよ、パッセ!」 「え? 行くってどこにですか?」 「ムジハラ将軍のところよ!」 「王子殿下をお救いするんですか!?」 今まで人の為に行動をしなかったジュネに驚き、パッセは声を上げる。 「一体どうしたんですか!?」 熱でもあるんじゃないか、とパッセは驚いたが、ジュネはそんな彼をちらりと見て、再び薄気味悪い笑みを浮かべた。 「決まってるじゃなぁい。王子を助ければそれ相応の報酬が貰える訳でしょ?」 「はぁ……」 「と、言うことは?」 パッセは嫌な予感がし、ジュネが何を考えているのかと頭をフル回転させた。 報酬が欲しいのなら別にどんな仕事でもいい訳だ。だがジュネの頭には別のモノがかなり詰まっている。 (一国の王子……。シャーゼン国第一王位継承者) 金貨ではなく、それ相応の報酬。 王子……第一王…… 慌てて逃げ出そうとしたパッセの服をすかさずジュネは掴んだ。反動でパッセはひっくり返る。 「はっ、離して下さい!」 彼女の手を振りほどこうとジュネを振り返る。しかしパッセは彼女を見て手を振りほどくのをやめ、地面に両手をついて深々と項垂(うなだ)れた。 目の前にいたのは茶髪の少女ではなく、目の色を変えて極上の笑みを浮かべる金髪の美女だった。 「うふふ、玉の輿ぃー!」 パッセの服を引っ張り、スキップするようにジュネは城へと歩き出した。 「子供の遊びではないっ!」 ムジハラ将軍の開口一番がこれだった。 城に着くまでに冷静さを取り戻し、少女の姿に戻ってしまったジュネに、将軍はこう言った。 怒りメーターが徐々に上がっていく彼女を見て、慌ててパッセが口を開く。 「あっ、あの……、僕たちこう見えても色々なクエストに挑戦している冒険者で……」 「一流(自称)よ!」 ジュネが付け足すが、パッセは慌てて彼女の口を塞いだ。ムジハラ将軍は二人を黙って見ていた。 ふと急に先程までとはまるで違う表情でパッセを見つめ続けた。 「貴殿はもしや、ウィステリア殿!?」 「え?」 ジュネとパッセは同時に将軍を見た。将軍はパッセの手をがしっと握って言う。 「おお、間違いない。シアン様と同じ青い髪に青い瞳…っ!」 「それ、母の名前……。母をご存じなんですか?」 「勿論良く知っておる。そういえばシアン様はお元気かな?」 将軍の言葉にパッセは目線を下げる。 「母は僕が十八の時に病気で他界しました……」 「そうか……そうだったな。すまんな、辛いことを思い出させてしまって」 「いえ。ムジハラ将軍、母はどんな人でしたか?」 パッセが尋ねると将軍は少し考えて思い出に浸るように言った。 「初夏に咲く花のような女性だった……」 「………………は?」 「へー、ムジハラ将軍ってパッセのお母さんの事、好きだったんだ〜」 急に割り込んだ第三者の声に、パッセと将軍はそちらを向く。先程まで茶髪の少女が立っていた場所に、金髪の美女が立っていた。 「じっ…ジュネ! いつからそこに…!?」 顔を赤くして将軍が驚きの声を上げる。その様子を面白そうに見て、ジュネは笑みを浮かべた。 「さっきからずっといたわよ。それよりさ、あたしたち“黒死鳥の森”の魔女に捕まっているグラファト王子をお救いしたいんだけど」 「珍しいな。ジュネが人助けをするなどとは」 「んふふ、報酬の為よ」 先程町でパッセの前で浮かべた笑みをする彼女に、ムジハラ将軍は苦笑いを浮かべた。 「変わらんな、その性格。まぁ、折角再会したんだし、茶でもどうだ? ウィステリア殿もご一緒に」 「え? じゃあ、お言葉に甘えて……」 パッセは頷いてジュネと共にムジハラ将軍の後をついて廊下を進んだ。 ぼんやりと廊下から見える中庭を眺めているジュネに、パッセはふと尋ねた。 「ジュネさん、ムジハラ将軍とお知り合いなんですか?」 「うん、何度かこの国に来たことあるのよ。その度に色々な事件を解決してきたのよ」 「へー……」 自分の知らないジュネを発見してしまい、パッセは少し淋しそうな声で相づちを打つ。 そこで話が終わると、前を歩いていたムジハラ将軍がジュネを振り返った。 「そういえば、ラディ侯爵様が今、城へと来られているぞ」 「え゛…?」 ジュネは思わず足を止めた。それを見計らってなのか、近くの角から金髪の美青年が姿を現し、ジュネを見つけて駆けて来る。 「ジュネ! 会いたかったよ!!」 両手を広げ、彼女を抱き締めようとするが、ジュネは素早くパッセの後ろに隠れた。 「なっ、なんで…!」 驚きのあまり、上手くろれつの回らない彼女に、金髪の青年は微笑む。 「何でここにいるのかって? そんなの決まってるだろ。俺は侯爵なんだから仕事だよ。こっちこそ驚いたよ。一年ぶりにジュネに会えたんだから」 女性なら間違いなくおちる笑みを浮かべて、青年は答えた。だがジュネは、パッセの後ろで顔を青くしている。そんな彼女を見かねて、パッセが口を開いた。 「あの……貴方は…?」 やっとパッセの存在に気付いたのか、青年は「ああ」と頷いて自己紹介をした。 「初めまして。俺はソシア=ラディ。この国の侯爵の地位を貰っているんだ。貴方はウィステリア殿だろ? シアン様の事は俺も存じているよ」 「はあ……」 曖昧に頷くパッセの後ろから、ジュネは顔を出して言う。 「爵位を貰っているのは貴方じゃなくてお父様の方でしょう?」 「冷たいなぁ、ジュネ。いずれ俺が爵位を譲り受けるんだから変わりないよ」 「言ってなさいよ」 パッセの後ろから出てきてジュネは手を振り、ソシアを追い払おうとする。 苦笑いを浮かべて三人を見ていたムジハラ将軍は、先に部屋へ言っていると告げた。 「茶の用意をしておこう。のんびり来るといい」 「あ、ちょっと待ってよっ……」 ジュネは慌ててムジハラ将軍を追おうとした。だが急に視界が揺らいだ。 「ぇ…?」 「ジュネさんっ!」 いきなりジュネが倒れ、パッセはすかさず彼女を抱き止める。 「…頭、痛い……」 パッセの服を力なく掴んで呟く。 「ジュネ、一体どうし――」 彼女の顔を覗き込んだソシアは言葉を切った。 輝きを放っていたジュネの赤い瞳が茶色に変化していたからだ。 瞬きをするうちに、段々とジュネの姿が変わってゆく。 背中まで伸びる金色(こんじき)の髪は茶色く変化し、肩まで短くなり、女性の体型だった姿は縮み、少女のそれへと変わっていた。 「ジュネ……これは一体……」 ムジハラ将軍が戻ってきながら尋ねる。パッセの胸に体重を預けていたジュネは、ゆっくりと彼から離れて顔を上げた。 「呪いだろっ、ジュネ!!」 説明しようと口を開きかけた時にソシアに科白を取られてしまい、ジュネは口を開けたまま彼を見た。 ソシアは自分一人だけにスポットライトが当たっているかのように、左手を胸に、右手は高らかと伸ばし、いかにも残念そうに言う。 「きっと俺とジュネの仲を憎んでいる奴に違いない! 何て罪なんだっ。人に恨まれるほどに俺とジュネは仲がいいなんて…!」 パッセもムジハラ将軍も目を点にして彼を見ていた。 「でも大丈夫だよジュネ!」 急に振り返りジュネの両手を握る。 金の髪がさらりと流れ、ソシアの顔にかかる。菫(すみれ)色の瞳が嫌な輝きを放っていた。 「愛する俺の口付けで、ジュネは元の姿に戻るかっ…!!」 ごつっ! と小気味良い音がして、ソシアは目を回して仰向けに倒れた。 「――――っ!!」 額を両手で押さえ、青い瞳に大粒の涙を浮かべながらパッセがフラフラと後ずさる。 どうやらジュネがパッセとソシアを激突させたのだろう。 床に倒れているソシアを見ると、ぷっくりと額にたんこぶができていた。 「将軍、誰か呼んで、こいつ医務室まで運んでよ。あ、地下牢でも構わないから」 ジュネの冷気のような声に、状況を理解していない将軍は曖昧に頷き、丁度近くを通りかかった兵たちにソシアを運ぶように命令し始めた。 「ジュネさ〜ん……」 パッセの涙声がし、ジュネは彼を見てにっこりと、天使のような悪魔のような笑みを浮かべる。 「さっすが石頭! 御蔭で助かったわ」 「頭痛はどうしたんですか! 頭痛はッ! すっかり元気じゃないですか!!」 「この姿になったら治ったわ」 数人の兵士に運ばれていくソシアの姿を見届けながらケロリと言う。パッセはそれ以上は言い返さず、呪文を唱えて額のたんこぶを消していた。 兵とソシアが消え、ムジハラ将軍は再びジュネに尋ねる。 「ジュネ、その姿の事だが……」 「取り敢えず、部屋に案内してよ。さっきの頭痛で喉が渇いちゃって」 「あ……ああ、そうだな」 将軍は頷いて廊下を歩き始めた。彼の後をジュネが続き、その後ろを歩いているパッセは、まだ何かぶつぶつと言っていた。 梅の花の模様が刺繍(ししゅう)された淡い色の絨毯(じゅうたん)の上に樫の木で作られた大きなテーブルと、白いシーツのソファーが置いてある。壁際には小さな棚が置かれてあり、その真上の壁には一枚の風景画。 窓に掛かっている白いレースのカーテンが、春風に吹かれて揺れていた。 温かいハーブティーを一気に飲み干して、ジュネはゆっくりと口を開いた。 「………何でここにいるのよ……」 半眼で溜息混じりに呟かれた声に、彼女の隣に座ってお茶を飲みながら、にこにこと微笑んで金髪の青年が答える。 「だって俺も話を聞いておかないと。俺の婚約者のジュネの事だろ?」 額に包帯を巻いているが、それでも彼の美貌(びぼう)は衰えていなかった。 誰が誰の婚約者だって? ジュネは危うくそう言いそうになったが、何とか堪え、替わりに深々と溜息をつく。 「まぁ、いいわ」 お茶のカップをテーブルに置き、腕と脚を同時に組んで、彼女は自分の事について話し始めた。 「一年位前、ある村の魔物退治をしたのよ。魔物退治をした直後、変な女と出会って……」 『赤き瞳を持つ一族に呪いをっ!』 「咄嗟に防御魔法を唱えたんだけど、そのまま気を失って……。気が付いたら村長の家のベッドの上にいて。それでこの姿になってたの」 「その人の事は覚えてますか?」 正面に座っているパッセが、珍しく真面目に尋ねてくる。ジュネは肩までの髪を耳にかけて頷いた。 「勿論よ! 肩まで真っ直ぐ伸びる赤紫の髪に瑠璃色の瞳。やたらと露出度の高い黒い服を着ていたわ。それと……」 黒い服と白い肌に映える赤い光。 自分の瞳の色にそっくりで、忘れられそうになかった。 「それと、ルビーのピアスとネックレスをしていたわ。あと杖と指輪にもルビー」 「やたらと詳しいな、ジュネ」 お茶のカップを持ったままムジハラ将軍は彼女を見る。ジュネはソファーの背に大きくもたれて微笑んだ。 「とぉ〜ぜんよ。絶対見つけ出して仕返ししてやるんだから!」 お茶菓子のチーズケーキを頬張る。隣に座っているソシアは何故か嬉しそうに微笑んで、彼女を見ていた。 「で、やっぱりその呪いを解くのは愛する俺からの口付けだろ?」 「ちっがうわよ!」 フォークを持ったままの右手で、がんッ! とテーブルを叩く。 「そんなんで戻るんなら、パッセの魔法でも戻るわよ!」 「照れるなって」 「ジュネさんっ、それってどういう意味ですか!?」 「そんなヤワな呪いじゃないって意味よ」 チーズケーキの最後のひと口を頬張って言い放つ。パッセがまだ情けない顔をしていたので、ジュネは微笑んだ。 「さ、あたしの話は終わりよ。ムジハラ将軍、グラファト王子の事と“黒死鳥の森”の魔女の事を教えてよ」 「え? ジュネ、王子殿下をお救いするのか?」 ソシアが意外そうに彼女を見る。ジュネはふふん、と薄気味悪い笑みを浮かべた。 「そうよ。あ、ところでさ、確認しておきたいんだけど」 真っ直ぐムジハラ将軍を見て、ジュネは尋ねる。 「何だ?」 「張り紙に書いてあった“それ相応の報酬”の事だけど、やっぱ『こんなのは無理』とかあるでしょ?」 「ジュネさん……もうグラファト王子をお救いしたつもりですか…?」 呆れ果てた顔でパッセが言うが、ジュネは綺麗に無視した。 「そうだな…。王位をくれだとか、他国に戦争を仕掛けろとかは、絶対無理だろうな」 「じゃ、爵位をもらうってな感じのは?」 「え!?」 ソシアは慌ててジュネを見る。しかしそれすら無視する。 「それは大丈夫だろう。公爵の地位は貰えるだろうし、望めば領土も与えてくれるだろうな。普通に金貨数十枚とかもな」 「そっか〜」 両手を頬に当て、うっとりとジュネは呟く。その頭の中にはよからぬ妄想が渦巻いているに違いない。 「じっ、ジュネ! 爵位なら俺と結婚すれば…っ!」 ソシアがかなり焦りながら言うが、ジュネは全く聞いていなかった。 視線は天井に張り付いたままだ。茶色の瞳が星を放っている。 「あ、それと、グラファト王子殿下の肖像画の写しとかないわけ?」 天井から視線を戻して尋ねると、将軍は上着のポケットから綺麗に折り畳まれた紙を取り出し、テーブルの上に広げた。 将軍以外の三人がテーブルに乗り出して、頭をくっつけるように覗き込む。 そこには、短く切り揃えられた黒い髪と、青い瞳の可愛らしい少年が描かれていた。 ジュネはゆっくりと顔を上げてムジハラ将軍を見る。 「最近のは?」 「それしかないんだ。絵師が修行の旅に出てしまってな。代わりの者に描かせても陛下が納得しなくてな……」 「そっか」 もう一度肖像画の写しを見る。 笑顔を浮かべている黒髪の少年は、とても可愛かった。 ジュネはその笑顔から、青年へと立派に成長している姿を想像して、口の端を上げて微笑む。 「じゃ、最後に。“黒死鳥の森”の魔女ってどんなの? 昨年あたしがここに来た時はいなかったわよね?」 「ああ。半年くらい前に急に森に住み始めたらしい。町の人の噂だと、どこかの森から逃げてきた魔女だとか言ってたな」 「オッケー、任せてよ。必ず吉報を持って帰るから」 カップを手にし、ウィンクしてジュネは言った。 ムジハラ将軍は小さく「頼んだ」と呟いた。 |