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王子様救出大作戦【中編】


 城を出たときには既に町が赤く染まっていた。
 城から出て、買い物をしながら宿へと戻る。その途中、“黒死鳥の森”の魔女の事について話を聞いて歩いた。

「あそこは行かない方がいいよ。“黒死鳥”という死を告げる鳥が多く住んでいる所なんだよ」
「行くのは簡単だけど、生きては帰ってこれないんだって」
「その原因は黒死鳥に喰われたとか、森の魔女に喰われたかのどっちかだって聞いた事がある」
「グラファト王子はあまりにお美しいから、魔女が手元に置いておきたいんだろうね」
「“黒死鳥の森”の魔女の事? そんなの分かるわけないだろっ。ほら子供は帰った帰った」

 ぽいっと店からつまみ出され、ジュネは地面に尻餅をつく。

「貴様っ! 彼女を俺の婚約者と知っての行為かっ!!」

 すらりと剣を抜き放ち、隻眼(せきがん)のスキンヘッドの男に剣を向けるソシア。
 白刃と、彼の細い金の髪が夕日を受けて煌く。
 金の柄に彫られたラディ家の紋章を見た男は、ふんっと鼻で笑ってソシアを見下ろした。

「侯爵様の坊ちゃんの婚約者がこのガキィ? とうとう血迷われたか?」

 男の背後の酒場から顔を出しているガラの悪そうな数人の男女は、彼の言葉に声を上げて笑い出す。
 ジュネは立ち上がり、服についた砂を払いながら、黙って様子を窺(うかが)っていた。

(意外と人気ないのね、ラディ侯爵って……)

 止めようか放っておこうか考え始めたとき、二人の間に割ってはいる人物がいた。

「そのくらいにしたらどうですか」

 風に吹かれ、長い青い髪がなびく。
 全てを吸い込んでしまいそうな深い青い瞳が夕日の光を受け、不思議な輝きを放っていた。
 男性にしては少し線の細い体型。
 どれだけざわめきがあったとしても、何処までものびてゆく澄んだ声。
 夕日の赤に染まる町に、真っ直ぐと立っているその姿は、今まで見たことが無い程に神々しくもあった。

(青銀……)

 瞳と同じ青い髪が、何故か銀色にも見え、不思議な感じだった。

(やっぱり、そっくりね……)

 ジュネは目を細めて微笑んだ。
 直後――

「うるせぇ!」

 隻眼の男とソシアの間にいたパッセが殴られ、ソシアと共に数メートル吹き飛ぶ。
 途端に辺りから悲鳴が上がり、野次馬が駆けて来る。
 隻眼の男の背後の酒場は盛り上がっていた。
 商品である、シャーゼン国の特産品の果物が入っている木箱を崩して倒れこんでいたパッセは、ヨロヨロと立ち上がる。パッセとソシアを見て、更に見下すように男は口の端をつり上げて笑った。

「ごちゃごちゃうるせぇんだよ。早く家に帰ってママにしがみついてな」

 再び酒場から上がる歓声。
 ジュネはポリポリと頭を掻いて溜息をついた。

「情けないな〜、パッセもソシアも」

 女性の声がし、パッセはそちらを向いた。
 先程まで茶髪の少女が立っていた場所に、金髪の美女が立っている。
 背中まで伸びる黄金の髪をかき上げながら、パッセと隻眼の男を見ていた。

「ジュネ…さん…!」

 頬を赤く腫らしたまま、パッセがゆっくりと彼女の側へと来る。ソシアは額の包帯を乱して気を失っていた。

「パッセはあいつと一緒にいて、怪我でも治してなさいよ」
「で、でもっ…!」

 まだ何か言おうとしていたが、ジュネはそれを遮った。

「あんたの出番は終わったの。いつまでもしつこいと女の子に嫌われるわよ」
「――っ……」

 ジュネのセリフに酒場の連中は更にパッセをからかう。パッセは渋々ソシアの元へと向かった。
 それを黙って見届けていた隻眼の男は再び笑みを浮かべた。

「へっ、嬢ちゃんが一人でどうするつもりだ。まさか色仕掛けか?」

 爪先で軽く地面を叩いて足場の調子を確かめていたジュネは、真っ直ぐ隻眼の男を見た。

「あたし、下品な男って大っ嫌いなのよねっ!」

 ダッ、と駆け出し、男の目の前で高く跳躍する。あまりの素早さに、隻眼の男にはジュネが目の前から消えたように見えた。
 上へと跳んだのに気付いた瞬間、隻眼のせいで死角となっていた方から蹴りをくらう。
 吹き飛びそうになったが何とか持ち越し、顔を上げて目の前の金髪の女を見た。
 背中まで伸びる金髪は特に珍しいわけでもない。彼女は確かに美人だが、王族、貴族にはそれ以上の美人がいるはずだ。
 だが隻眼の男は目を奪われた。
 一日の最後の黄金の光を受けて輝く金の髪からのぞく真っ赤な、血のように赤い瞳。
 前にも一度、喧嘩をふっかけた事のある相手だ。

「――…ジュネ」

 名を呼ぶが、彼女は構えを解かない。
 だが顔に笑みを浮かべて答える。

「はぁい」
「俺が悪かった……」
「解かればいいのよ」

 前にも一度、喧嘩をふっかけた時は、返り討ちに遭った。女だと思って甘く見ていたせいで。
 しかしあの時は確実に、誰が見ても向こうが悪かった筈だが。
 ジュネはにっこりと微笑んで、隻眼の男の頬に手を伸ばして触れる。
 冷たい空気が、熱く腫れた彼の頬を優しく包んだ。

「でさー、さっきと同じ事聞くんだけど、“黒死鳥の森”の魔女の事、何か知らない?」

 彼女の言葉に、男は何度も瞬きをして彼女を見つめた。

「何よ」
「さっき? さっきは子供が聞きにきたが?」
「細かい事を気にするんじゃないわよ。それで、知ってるの? 知らないの?」
「ああ、知ってる。魔女はグラファト王子しか誘拐していないそうだ。王子並に美しい人間は他にも沢山いるのにな」

 今度はジュネが彼を見つめ返した。

「何だ?」
「さっきは知らないって言ったじゃない」
「子供(ガキ)に教えたって意味がないだろう」

 わっはっはっは、と男は笑って言う。ジュネは彼を見て深々と溜息をついた。

「ジュネ!!」

 既に野次馬たちは消え、普段の波に戻った人々の間から、額に包帯を巻いた金髪の青年が駆けて来る。その後ろを慌ててパッセが追っていた。

「ジュネっ! 何でこんな男と仲良く話しなんか……! ジュネは俺の婚約者なんだから…っ!!」

 肩で大きく息をしつつ、ジュネを隻眼の男から引き離しながらソシアが言う。

「だから、何時、誰があなたの婚約者になったのよ」

 半眼になって睨みつけるが、ソシアは全く怯まない。

「それにただ話を聞いていただけでしょ?」
「でも、凄く仲良く……」
「だから何でそう見えるのよ。目ェ腐ってんじゃないの?そもそもこの人の事、知らないんだし」
「知…らない……?」

 真っ白になって隻眼の男が尋ねると、ジュネは大きく頷いて口を開いた。

「ええ、知らないわ。たとえ以前会った事があったとしても、あったしが覚えてる訳ないでしょ?」

 あははは! と高らかに笑い出してジュネは歩き出した。

「さあ、パッセ! 宿に戻るわよ!」
「はっ、はい!」

 長い青い髪を町の灯に照らしながら、パッセが慌てて追って来る。ジュネはその彼を振り返って悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「折角だしさ、ラディ侯爵ん家に行って、晩御飯たかろうよ」
「え゛っ!?」
「ジュネ! 俺の家に来てくれるのか!?」

 嬉しそうに駆けて来るソシア。隣りに並んで歩く彼に、ジュネは微笑んだ。

「晩御飯おごってよ。その位いいでしょ? こうして一年ぶりに会ったんだし」
「勿論だよ! ささ、こっちだ。ウィステリア殿も早く!」

 スタスタと先頭を歩き始めるソシアの後ろ姿を見つめ、ジュネはしてやったりと悪魔の笑みを浮かべた。
 パッセはそれを見逃さなかったが、ここで口を挟むと後が怖いので、大人しくついて行くことに決めたのだった。


「あ、あのー……」

 三人を見送っている隻眼の男に、恐る恐る声をかける者がいた。
 パッセとソシアが吹き飛んだときに、運悪くその場で店を開いていた果物売りの青年だ。
 男が物凄い形相で振り返り、思わず逃げ出したくなったが、何とか伝える。

「あのっ。商品の弁償は貴方がすると金髪の女性が……」
「何だとぉ……」

 冷や汗をたらたら流す青年の後ろには、崩れ落ちた店の商品たち。
 木箱は滅茶苦茶に砕け、大事な売り物の果物たちは道に散らばり、潰れていた。
 隻眼の男は握り拳をワナワナと震わせ、力の限り叫んだ。

「ジュネーーーーッ!!」





 翌朝、日が昇ってすぐにジュネとパッセは宿を出た。
 通りを進み、城門を出、街道を一時間程歩いてから何気なくジュネは後ろを歩くパッセを振り返る。

「ところでさぁ。“黒死鳥の森”って何処にあるの?」
「え゛!? ジュネさん、知らずに歩いていたんですか?」

 パッセが驚いて尋ねるが、彼女は平然と頷いた。

「だって、パッセがガイドブックで案内してくれるかな〜って思って」
「そんなぁ……」

 情けない声を上げ、パッセは鞄から慌ててガイドブックを取り出す。
 シャーゼン国のページをめくったが、“黒死鳥の森”については全く書かれていなかった。

「こっんな時は俺にお任せ♪」

 後ろからこっそり付いてきていたソシアが、ここぞとばかりにパッセを押しのけ、ジュネの隣に立つ。

「“黒死鳥の森”まで俺が案内してあげるよ、ジュネ」
「え、本当?」

 無視していたジュネは、彼の言葉に顔を上げた。そして後ろの青髪の青年を見て言う。

「やだ、ソシアってばパッセより役に立つじゃなぁい」
「ふふん。当然だろ。俺はジュネの婚約者なんだから。ジュネの為なら何でもするぞ!」

 両手を腰に当て、胸を反らして偉そうに言う。ジュネは彼を見て極上の笑顔を浮かべた。

「じゃあ、あそこの森に生えている白い百合(ゆり)の花を採って来てv」
「了解したっ」

 ジュネが指差す方向にある森へとソシアは駆けて行く。ジュネは笑顔を浮かべたまま、暫く彼の後ろ姿を見つめていたが、急にパッセの手を取り、森へと駆け出した。

「ジュネさん?」

 彼女に引っ張られるままパッセが尋ねる。だがジュネは答えず森の側までやってきた。
 太く大きな木に複雑に絡まる蔦(つた)たち。そんな木々の間に、ほんの少しだけ森への入り口があった。
 パッセの手を離し、ジュネは森の周囲を調べていた。
 するとその時、森の中から悲鳴が聞えた。

「行くわよ、パッセ!」

 今の悲鳴がソシアのものであると気付いたパッセは、慌ててジュネの後を追う。
 薄暗い森を走りながら暫く進むと、巨木の根元に辿り着いた。
 大人十人が手を繋いでも囲めない程の太さである。ジュネの身長ほどはある木の根は、所々が苔むしていたり、不思議な色のキノコが生えていた。
 木々の青臭さと、水の匂いが辺りに充満している。
 巨木の所為で日の光は遮られ、辺りは先程よりも暗い。
 てっぺんが全く見えない巨木を見上げ、パッセが口を開いた。

「凄いですね。樹齢何年くらいなんでしょうね。こんな大きな木がシャーゼン国にあったなんて知りませんでした」

 パッセは再びガイドブックをめくってみたが、やはり載ってはいなかった。

「この森はあまり人が来るような処じゃないからね」

 頻(しき)りに木の根の周りを調べながらジュネが答える。
 足場の良さそうな場所を見つけ、彼女は根の上に這い上がった。パッセもその後から木の根の上に登る。
 ジュネは既に次の根に這い上がっており、パッセは慌てて彼女の後を追う。

「ジュネさん、ラディ侯爵が何処にいるのか解かるんですか?」
「まぁね」

 彼女の答えにパッセはふと、ソシアの言葉を思い出した。

『ジュネは俺の婚約者なんだ!』

 ジュネは完全に否定していたが、ソシアの悲鳴が聞えて駆けつけたり、こんな薄暗い森の中でも彼の居場所が解かるという事は、ソシアの婚約者も悪くないと思っているのだろう。
 なんせ彼女は、シャーゼン国の王子を救ったときの報酬として、玉の輿をしようとしているし。

「……………」

 胸の奥がズシリと押し潰されたような感覚をパッセは無視する事が出来なかった。

「パッセ! こっちよ!」

 小声で叫ぶジュネの声に、パッセは慌てて彼女の側へと向かう。
 木の根を這い上がるのは止め、今度はゆっくりとジュネは降りていた。
 パッセも続こうとしたその時、視界の端に煌めく物が映った。

「?」

 なんだろうとそちらを向くと、見た事のある金の柄の剣が木の根の間に挟まっていた。
 柄に彫られたラディ家の紋章。

「じっ、ジュネさん! これ…っ!!」

 パッセは剣とジュネを交互に見ながら叫んだ。
 その直後、物凄い音量の羽音が森全体に響き渡った。

「パッセの馬鹿っ!」

 ジュネは叫んで木の根から慌てて降りた。パッセは羽音の方を振り返り、その場に立ち竦んでしまう。
 巨木の周りが黒く染まっていた。
 黒い羽根が無数に舞い、黒い闇からは何百、何千という小さな赤い光が放たれていた。

「彼の者の魔力を我が力に変換し、日の時のみ呪いを打ち消す力とする! 我が名はジュネ=ブルーム! 赤き瞳を持ちし、ブルーム一族の生き残りなり!」

 こんな所でこの魔法を使う事になるとは思っていなかった。
 だが今は、ここから逃げ出さなくてはいけない。
 ジュネは小さく舌打ちし、未だ固まり続けている青年の名を叫んだ。

「パッセ!」

 羽音すらかき消すような彼女の声にパッセは我に返り、ソシアの剣を持って根から転がり落ちるように降りてくる。
 茶髪の少女の姿ではなく、金髪の女性へと戻っているジュネを見て、ただ事ではないと理解する。

「パッセ、ここから逃げるわよ!」

 ジュネの言葉にパッセはコクコクと何度も頷く。
 ジュネはパッセからソシアの剣を奪って構え、呪文を唱えた。

「光は我が意思のままに矢となりて突き進み、闇を打ち消し弾けよ!」

 彼女の声に森全体に真っ白な光が溢れた。その光の中から無数の悲鳴が聞えてくる。
 ジュネはパッセの手を引っ張り、この場から駆け出した。




 巨木から大分離れ、黒い闇と赤い無数の小さな光が追ってきていないのを確かめ、ジュネは細い木の根元に座り込んだ。
 肩で大きく深呼吸をし、目を閉じる。
 森の中を駆けていく風に金の細い髪をなびかせ、ゆっくりと目を開き、目の前に倒れている青い髪の青年を睨みつけた。

「パッセの馬鹿。折角ソシアを生け贄にしたっていうのに、あんな大声出したら意味ないじゃない」

 血のように赤いジュネの瞳に睨まれ、パッセは何とか声を絞り出す。

「すみませ……」

 のそりと起き上がり、真っ直ぐジュネを見て彼は尋ねる。

「さっきのって一体何なんですか?」

 とてつもない音量の羽音。
 闇の塊。
 そしてその闇に浮かぶ何百、何千という赤い小さな光。
 今まで見た事のないそれについて、パッセは尋ねた。

「あれが“黒死鳥”。黒死鳥は何百という群れで行動するのよ。そしてあの巨木を根城にしているの。――全く、死ぬかと思ったわ」
「え? じゃあ、ここが“黒死鳥の森”なんですか?」

 確かジュネは知らないと言っていた筈だ。

「ジュネさん、場所は知らなかったんじゃあ……?」
「パッセかソシアを生け贄にする為の演技よ。上手くソシアが引っかかってくれて嬉しかったわ〜♪ でもパッセが足を引っ張ったけど」
「はあ……」

 パッセは曖昧に頷いた。
 ジュネが本当にソシアの婚約者を嫌がっているのには嬉しかったが、生け贄にされていたかもという気持ちがふつふつと湧いてきて、複雑な感情が渦巻いていた。

「ところでラディ侯爵は? まさか黒死鳥に喰われたんじゃ…!?」
「なワケないでしょ。きっと近くの泉で倒れているわよ」

 そう答えて彼女は立ち上がって歩き出した。
 ジュネの言った通り、数分も歩かない近くの泉の側に、ソシアは気を失って倒れていたのだった。





 ――……ア……

 俺、一体どうしたんだっけ?

 ああ、そうか。ジュネの為に百合の花を採りに森に入ったら、謎の黒い物体が襲ってきて……

 ――…ソシア……

 誰だ? 俺の名前を連呼する奴は……


 ――目を開けて………

 仕方ないなあ……



 ゆっくりとソシアは目を開けた。
 間近に白い肌と薔薇色の頬が見えて焦る。

(なっ……)

 声を出そうとしたが、息が苦しくて呼吸すら出来なかった。
 思考をフル回転させ、大人しくじっとしていると、ゆっくりと白い頬が離れていく。
 姿がはっきりと見え、ソシアは顔を赤く染めた。
 金髪の女性の、赤い双眸がじっと自分を見つめ、そして微笑んだ。

「お目覚めになりまして?」

 ソシアはゆっくりと起き上がり、今、彼女に何をされたかを思い出して再び顔を赤くして笑みを浮かべる。そして、

「やっと俺の愛に気付いてくれたんだね! ジュネッ!!」
「きゃっ!」

 ソシアはジュネを押し倒した。
 殴られるかと思い、身を固くしたがそんな様子は全く無く、ソシアは彼女の顔を見る。

「いけませんわ、ソシア様」

 白い肌を薔薇色に染め、少し潤(うる)んだ瞳でソシアを見ていた。

「どなたかが見られていたらどうするのですか」

 口調が少し可笑しかったがソシアは全く気にしていなかった。

「構うことは無い…っ!?」

 すっと二人の間に白銀の物が割り込み、ソシアは言葉を切って顔を上げた。

「じっ……ジュネ……?」

 目の前には剣を構えて突っ立ている金髪の女性。前髪で顔が隠れていて表情は解からないが、かなり怒っているようだ。しかし、

「ジュネが二人…?」

 ソシアは目の前に立っている女性と、自分が押し倒している女性を交互に見た。

「邪魔よっ!」

 立っている方のジュネが足でソシアを退ける。そして地面に倒れているジュネに剣を向けた。

「誰の許可を得てその姿になってんのよ。十秒以内に戻らないと後悔するわよ」

 ジロリと睨みつけてジュネはカウントダウンを開始する。

「じゅーきゅーはちななろくごー……」

 倒れていたジュネは剣から逃れて立ち上がり、服についた土を払うのと同時に姿を変えた。
 淡い桃色の派手なドレスを着た女性は、肩までの桜色の髪と濃紺の瞳を持っている。
 薔薇色の頬に珊瑚色のふっくらとした口唇の彼女はとても綺麗だった。
 ドレスの襟元から覗く白く細い首筋。胸は丁度良い大きさで、腰は細く脚は長い。

「偽者!?」

 悲鳴に近いソシアの声が聞える。

「てっきりジュネが二人に増えてくれてラッキーとか思って……っ!!」

 ジュネは剣の柄で思い切りソシアの顎を殴って黙らせる。そして真っ直ぐ剣を彼女に突きつけた。

「自己紹介」

 言われるまま、女性はドレスの裾を軽くつまんでお辞儀をする。

「初めまして。最も、ジュネの事は前から知っていたので初めてって感じはしないんですのよ」
「前置きはいいから名乗りなさいよね!」
「んもう。ジュネってば相変わらずせっかちさんね。かなり苦労してるんじゃありませんか? シアン=ウィステリアのご子息クン」
「はあ……」

 急に話をふられ、ジュネの後ろに立って様子を窺(うかが)っていたパッセは曖昧に頷く。
 ジュネはスタスタと彼女の側へと行き、首元に剣を当てた。

「その首、落とされたいの……?」
「わかりましたわ、名乗れば宜しいのでしょう?」

 軽くジュネを押しのけ、彼女は一同を見渡す。

「わたくしはこの“黒死鳥の森”に住んでいる魔女ブラッサム……って何ですの?」

 ジュネの他にソシアとパッセまでもが構えるのでブラッサムは尋ねた。

「魔女ってことは、グラファト王子はどこにいるの?」

 ジュネが尋ねると彼女は首を傾げた。

「グラファト王子殿下がどうかしたんですの?」

「とぼけんじゃないわよ! アンタが王子を誘拐したんでしょ!?」
「はぁ? 何故わたくしがそのような事を? ――あ、もしかして……」

 何かを思い出したらしいブラッサムにジュネは再び尋ねる。

「何か言い訳でも思いついたの?」
「違いますわ。実は数ヶ月前からこの森に居座っている女がいるんですの。わたくしの城をわたくしが留守の間に乗っ取り、“黒死鳥の森”の魔女と偽っているんですわ。もしかするとその女がグラファト王子殿下を誘拐したのかもしれませんわね」
「どうして城を取り返さないんですか? 仮にも魔女なんでしょう?」

 パッセが恐る恐る尋ねると、ブラッサムは思い出したかのように悔しそうに言う。

「実は何度も城へと乗り込んだのですが、女の魔法に負けてしまって……」
「情けない魔女ね……」

 ぼそっと冷たく言い放つジュネにブラッサムは泣きついた。

「お願いジュネ! わたくしの城を取り戻して!」
「その前に何であたしの姿になっていたのかを聞かなきゃ」
「それはですね……」

 ブラッサムはジュネの隣りに立つ金髪の青年、ソシアをちらりと見た。その動作だけで理由の解かったジュネはすぐさま半眼で彼女を睨みつける。

「わたくし、彼に一目惚れしましたの。それでジュネの姿なら喜んで下さると思いまして」

 えへへと可愛らしく笑うがジュネは彼女を睨みつけたままだ。

「お嬢さん。お気持ちは嬉しいですが、俺にはジュネと言う婚約者が……」

 ブラッサムの両手を優しく握ってソシアが言う。ジュネとパッセは呆れ果てて二人を見ていた。

「パッセ」
「はい?」
「確か太くて長い縄があったわよね?」
「ええ、多分」
「それ出して」
「そんな! ジュネ! わたくしを縛り付けるつもりなの!?」

 鞄から縄を取り出していたパッセは、その言葉に手を止めてジュネを見る。

「うん。ソシアと一緒にあの巨木の根元に」
「まぁ、ソシア様と……?」
「ジュネーッ!!」

 一人は顔を赤く染め、もう一人は真っ青になりながら色々と抗議をする。しかしジュネは綺麗に無視していた。

「あ゛ー、風の音がうるさいわー。パッセ、縄はまだ?」
「ジュネさん……」
「ジュネっ。ソシア様と一緒なのは嬉しいけど、あの巨木は嫌なので許してください!」
「聞えませーん」

 指で耳栓をし、ジュネは明後日の方向を向く。それを見てブラッサムは泣きつくのをやめた。

「シアン=ウィステリアが死んだ本当の理由を彼にバラすわよ……」

 ドスのきいた低い声でボソリと言われ、ジュネの顔はさっと青くなる。

「ああ! ごめんなさい! あたしが悪かったわっ!」

 慌ててジュネが謝るが、ブラッサムは完全に無視し、今にもパッセに全てを話そうとしていた。
 しかしジュネは諦めずにこう言った。

「ソシアをあげるから許して!!」

 ソシアの背を押し、ブラッサムの方へと押しやる。

「お、おい、ジュネっ!」
「きゃー♪ ソシア様ぁv」

 先程までとはコロリと人が変わり、ブラッサムはソシアに抱きついた。それを見てジュネは深々と溜息をつき、がっくりと肩を落とす。それからブラッサムを見て口を開いた。

「ねえブラッサム。何であたしの事を知っていたの?」

 ソシアから引き剥がされないように必死にしがみつき、顔だけを向けてブラッサムは答える。

「ジュネたち一族の事はわたくし達魔女にはとても有名ですのよ。一族が抱えている運命を始め、最近の出来事――昨夜のディナーは何だったとかまで、全て情報が入ってくるんですわ」
「ふぅん?」
「わたくしは貴女の味方ですが、中には狩り(ハンター)側につく者もいるとか。貴女に呪いをかけた人物もそういう者でしょうね」
「あの女の事を知っているの!?」

 ソシアからブラッサムを引き剥がし、襟元を掴んでジュネは尋ねる。ブラッサムはゆっくりと彼女の手を離した。

「知ってますが名前も居場所も教える事はできませんの。協力したいのはやまやまなんですが、魔女の掟を反することになりますから」
「そう……。まあいいわ。どうせまた、あたしの前にやってくるだろうし、その時にボコボコにすればいっか」

 にっこりと微笑んでジュネは言う。その表情を見て、ブラッサムもつられて微笑み、再びソシアに抱きつく。

「それでジュネ。わたくしの城は取り戻して下さるの?」
「はあ?何であたしがんなメンドイ事をしなくちゃいけないのよ。あたしの目的は魔女を倒し、グラファト王子を救い出し、報酬を受ける事! あとは知ったこっちゃないわ」

 そう言ってジュネは歩き出した。パッセとソシアがその後を続く。ブラッサムは口元に手を当てて小さく呟いた。

「素直じゃないわね……」




「あれ? ジュネ」

 ソシアは急に足を止め、隣りを歩くジュネにある物を発見して声をかける。腕にしがみついているブラッサムもその声にジュネを見る。

「俺の剣、見つけてくれたんだ」

 微笑んで言われた言葉に、ジュネはずっと手に持っていた剣のことを思い出す。
 金の柄に施されたラディ家の紋章。間違いなくソシアの剣だ。

「巨木のところでパッセが見つけたのよ」

 ジュネは立ち止まり、剣をソシアに手渡した。剣を受け取り、腰の鞘に戻そうとする。その時、ビシッ! とさほど小さくもない音が全員の耳に届いた。

「……え?」

 ソシアはその音が手元から聞こえ、鞘に戻そうとしていた剣を見る。途端、

 ビシビシビシッ!!

 刃に無数の亀裂が走り、直後、金属特有の澄んだ音を立てて白銀の刃が粉々に砕けた。
 ソシアは顔を真っ青にして柄だけ残った剣を見つめていた。

「あ、もしかして」

 ジュネの声がし、ソシアは顔を上げる。

「さっき黒死鳥の群れから逃げるときに使った魔法に耐えられなかったのかな?」
「じじじじじ…ジュネ……?」

 引きつった顔でソシアはジュネを見る。だが彼女は笑い出した。

「そもそもあんな魔法に耐えられない方がおかしいのよ」

 笑みを浮かべるジュネに、ソシアは怒りが沸いてくるのを抑えられなかった。

「この剣は我がラディ家に代々受け継がれてきた家宝なんだ!」

 気が付いたら彼女に向かって叫んでいた。
 言いすぎだと思ったが、ジュネは「偽物(レプリカ)じゃないの?」と平然と言い返してくる。

「家宝だって言ったって、屋敷の宝物庫にはまだ数十本と剣が眠っているんでしょ? 使わずにそんな所に置かれてちゃ、たとえ魔剣だって錆びてボロボロになるわよ。使うつもりがないんなら売って、そのお金を孤児院なんかに寄付すれば? そうすれば子供たちは美味しい物を食べれるし、病気だって治せる。剣だって冒険者たちの手に渡って思う存分使って貰えた方が嬉しいでしょうよ」

 一気にまくし立てられ、言われた本人も側にいたブラッサムもパッセも黙ってジュネを見ていた。
 十数秒ほど沈黙が流れたのち、ソシアがゆっくりと口を開いた。

「そっか……ジュネの言う通りだな。家に帰ったら早速そうする」
「全く…言われなきゃ気付かないなんてね」
「そう言うなよ。それより俺、剣がないとジュネを守れないじゃないか」
「頭脳と拳で戦いなさいよ」
「こぶし…?」

 ソシアは思わず聞き返した。そこですかさずブラッサムが口を挟む。

「わたくしがソシア様をお守り致しますわ」
「……俺じゃなくてジュネ……」
「ジュネならシアン=ウィステリアのご子息クンが守りますわ」

 ブラッサムの言葉にジュネとソシアはパッセを見る。

「え゛…?」

 その瞬間、嫌な空気が流れ、そして、

「さー、サクサク進むわよ〜」

 ジュネは一言こう言って歩き出した。ソシアは腕にブラッサムをくっつけて彼女の後を追った。
 状況を理解していなかったパッセは慌てて三人を追いながら尋ねた。

「今の間は一体何ですか!!」




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