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 十五年の時が過ぎ、三人の子供がやっと揃う。
 その日は、子供達の誕生日――




01:時満ちて廻る歯車


 北大陸にあるカナムーン国。この国では王女の誕生日祝いの祭りが行われていた。
 その城下町で、占い師に捕まっている一組の男女の姿があった。
 深い紫色の布で造られた小さなテントの前には金髪の娘。彼女の後ろには何処かの騎士のような格好をした、茶色の髪を一つに束ねた青年が立っていた。
 金の髪の娘はじっと黙って占い師の顔を見つめていた。とは言え、目の前にいる占い師は、黒いフードを目深に被っている為、口元しか見えない。
 娘は占い師の赤い口唇が言葉を紡ぎ出すのをひたすら待っていた。

 占い師と娘の間にある、テントと同じ布をかけられた小さなテーブルの上に置かれた水晶球が虹色の光を放っている。赤、青、緑、黄、紫と様々に色を変えていた水晶球が本来の透明色に戻った時、ようやく占い師が口を開いた。

「視(み)えました」

 赤いルージュを引いた口唇から聞こえた声に、娘は僅かにテーブルに身を乗り出して、続きを促した。

「それで?」

 占い師は水晶にかざしていた手を下ろし、続きをゆっくりと話し始めた。

「今日の貴女の運勢は……今日は素敵な一日になる事、間違いなし。運命の赤い糸で結ばれた人と出逢えるかも? ラッキーカラーは白。何か良い事が起きそうな場所は――王城」
「お城? って入れるの?」

 金髪の娘は後ろに立っている青年を振り返ると、青年は腕を組んで彼女を見下ろした。

「今日から王女様の誕生日祝いのお祭りだから、ある程度は一般開放がされているんじゃないかな?」

 青年の答えに娘は「成る程」と頷き、占い師の方に向き直った。

「で? その運命の人ってどんな人?」

 自分の人生に大きく関わりを持つ人物。男か女か。占い師は“運命の赤い糸”と言っていたので、相手は男だろう。
 容姿は。年齢は。自分の知っている人物なのか。
 娘は想像を膨らませながら占い師の言葉を待った。


 季節は冬。だが今日は晴れ渡っており、春が来たかのような暖かな風が人々の間をすり抜けてゆく。
 占い師の黒いフードを風が揺らした時、フードからウェーブのかかった朱色の長い髪が零れた。
 占い師は髪を払って娘の問いに答えた。

「貴女と深い繋がりを持つ人。貴女達は出逢い、そして幸せにならなければいけません」

 街のざわめきが気にならない程、娘は占い師の声に聞き惚れていた。
 普段は占いを信じる事は殆ど無いのだが、目の前の占い師の言葉は素直に信じる事ができた。それほどまでにこの占い師は、かなりの力を持っているようだった。

「ですが、貴女達は出逢えば、また哀しい別れが――」

 占い師の言葉が途切れた。占いのテントがある通りの側の広場から複数の悲鳴が上がったのだ。
 祭りムードは壊れ、人々は広場から慌てて逃げ出す。

「魔物だ!」

 金髪の娘の側に居た青年が、腰の剣に手を添えて広場に向かって駆け出した。

「ちょ…待って、マキ!」

 娘も慌てて彼を追おうとしたが、占いの料金を払っていない事に気付き、財布を鞄から取り出そうとする。しかし占い師に止められた。

「お金はいりません。さあ、早く行かないと折角のチャンスを逃しますよ」
「チャンスって何の?」

 思わず訊き返す娘。占い師は赤い口唇に笑みを乗せて言った。

「貴女と彼の未来は、決して明るいものではありません。ですが、運命は変える事が出来るでしょう」

 早くお行きなさい、と言われ、娘は一瞬躊躇(ためら)ったが、ひとつ頷いて駆け出した。
 彼女の姿が人ごみに消えていくまで見届け、不意に占い師は右腕を上げた。黒いローブを着たその腕に、一羽の鳥が舞い降りてくる。

「今度こそ、幸せになれるといいわね?」

 腕に留まった鳥――鷲(わし)に向かって小さく微笑んだ。





 連れの青年の後ろ姿を追って、金髪の娘は人ごみを掻き分けながら、すぐ近くの広場へ辿り着いた。
 広場の中央には噴水があり、水の代わりに魔法の光の洪水と、この時季には見る事の出来ない鮮やかな彩りの花で飾られていた。
 しかし今はそんな景色を悠長に楽しむ人はおらず、広場に突如現れた十頭近い黒い豹から人々は逃げ惑っていた。
 王女の誕生日祝いの祭りということで商人や貴族だけではなく、多くの冒険者もいた為、そこまで被害は出てなさそうだ。

 連れの青年は既に一頭の黒い豹の魔物と戦闘を開始していた。
 豹の持つ鋭い爪と大きな牙を片手剣で受け流しながら攻撃を仕掛けていく。流れるような動きで、あっという間に魔物を倒した。

「お見事」

 感嘆の声を上げ、金髪の娘は辺りを見回す。他の冒険者たちもあらかた魔物を倒し終えていた。

「レイニー、怪我はないか?」

 剣を鞘にしまい、尋ねながら駆け寄ってくる青年に、娘はにっこりと微笑んだ。

「うん、あたしの出番は無いみたいだし」

 そう答えて、腰から下げてある剣の柄を撫でる。
 幼い頃から盗賊団で修練を積んできてはいるが、彼のように鮮やかに魔物を倒すにはまだまだ修行が足りなさそうだ。

「流石マキだよね…」
「え?」

 少し拗ね気味に呟くと、「何?」と青年が首を傾げた。
 独り言に返事が来てしまい、金髪の娘レイニーは笑みを浮かべた。

「相変わらず強いなぁって思って」

 素直に感想を述べると、青年は少し苦い顔をした。

「……さっきの魔物、何か変だったんだよな」
「へ?」
「単なる威嚇で現れたみたいで…。今までの魔物だったらもっと人や物を襲ってるんだけど……」

 マキの言葉にレイニーは改めて辺りを見回した。彼の言うように怪我人は殆どおらず、噴水の飾りも乱れた所は無い。

「……魔物も王女様の誕生日のお祝いに来たとか…?」

 ボソリとレイニーが呟くと、マキが盛大に溜息をついてくれた。

「あのなぁ……」
「冗談よっ」

 笑って誤魔化そうとする彼女を、マキではなく別の人物の声が遮った。

「おい、また来たぞ…!」

 声が上がった方を見ると、先程倒した黒い豹の魔物が再び何処からとも無く姿を現した。
 加えて先よりも明らかに数が多い。

「持久戦…?」

 眉を顰めながらレイニーは腰の剣を抜いた。
 一般的な片手剣よりも少し短く細い刀身。素早い動きを重視する彼女にぴったりの片手剣だ。

「レイニー、無理するなよ。王宮騎士団が来るまでの辛抱だ」

 そう言ってマキも片手剣を抜き、構える。
 何処かの制服のような赤い上着に白いマント。後ろで一つに束ねた茶色の髪が風に揺れる。澄んだ紫の瞳は真っ直ぐ魔物を見据えていた。
 相変わらずその立ち姿に隙は無い。それどころか何処かの騎士としての訓練を受けてきたような立ち振る舞いだった。

「この国なら騎士より王宮魔道士の方が有名か」

 何気なく続けられたマキの言葉に、ふと占い師の言葉が蘇る。

 ――運命の赤い糸で結ばれた人……

 一体誰なんだろうと考えたが、黒い豹の魔物が二頭こちらに跳び掛ってきたので、思考を中断して慌てて避ける。避ける時に剣で軽く斬り付け、一頭の意識をこちらに向けた。
 いくらマキが強いとは言え、二頭を同時に相手にさせる程、レイニーは弱いつもりはなかった。
 青年から少し離れた場所で魔物と向き合う。
 前足についている鋭い爪の攻撃は受け流す事はせず、素直に避けた。

 自分の体より一回りは大きい魔物の前足を受け流す気にはなれなかった。下手をすれば剣を折られかねない。
 攻撃を素早く避け、距離を取る前に斬り付けて離れる。一撃一撃は致命傷には程遠いが、確実にダメージを与え続けた。
 幸いレイニーへと襲いかかってくる魔物はこの一頭だけだったので、それだけに集中できた。

 戦闘を開始して数分。
 魔物は人間や動物と違い、切られても血を流す事は無い為、どれ程のダメージを与えているのかは良く分からない。しかし動きが鈍くなってきているのは、はっきりと分かった。
 もう少し、と息を整え剣を構え直した時、背後から殺気が襲いかかり、咄嗟に身を低くした。

「――わっ!?」

 直後、レイニーの頭上を暴風が通り過ぎた。
 その隙を逃さず、豹が跳びかかってくる。慌てて横に転がって避けるが、体勢を整える前に先程の暴風が襲いかかった。
 暴風と思っていた物は人型の魔物だった。人の姿をしているのは上半身のみで、腕は翼になっており、下半身は鳥のように黒い羽根に覆われている。足は猛禽類のもので、鋭い爪がレイニー目掛けて突き進んできた。
 地面に転がった体勢からは避けることは出来そうになかったので、折られるのを覚悟で剣を構える。
 爪が眼前に迫った瞬間、黒い塊が横から飛び出し、魔物に体当たりをかました。直後、二体の魔物が爆発した。

「きゃっ!!」

 至近距離で起きた爆発に、体勢の悪かったレイニーは軽く吹き飛ばされる。しかしすぐに何者かに受け止められ、事なきを得た。

「大丈夫ですか?」

 すぐ頭上から柔らかな声が聞こえてきて顔を上げる。
 何かひとつ位文句を言ってやろうと口を開いたレイニーだったが、黒い双眸とぶつかり言葉を失くした。

 彼女を支えていたのは一人の青年だった。カナムーン国王宮魔道士の制服だろうか。黒いマントが爆風に煽られている。それよりも目を引いたのは短く切り揃えられた黒い髪だった。
 この世界では見る事の無い、珍しい髪の色だった。


「レイニー!」

 今の爆発を見たマキが血相を変えて駆けつけてくる。その声に青年に見入っていたレイニーは、我に返って振り返った。

「後は僕たちに任せてください」

 そう言って青年はレイニーの頬についている煤を優しく払い、微笑んで魔物へと駆けて行った。すれ違いにマキがやってきて、彼女の肩を掴む。

「怪我は!?」

 目線を合わせて尋ねる。彼の紫の瞳は心配の色でいっぱいだった。

「ない、けど、今のは?」

 立ち去っていった黒い後ろ姿を思い出して尋ね返す。マキも何気なく後ろを振り返った。

「カナムーン国王宮魔道士のタナ=トッシュ……だろうな。あの黒髪は」
「タナ……」

 口の中でその名前を転がす。
 どこか懐かしい響きを含んでいる気がした。




 二種類の魔物は冒険者と王宮魔道士の力であっという間に全滅した。
 黒い豹の魔物は王宮魔道士が到着した時点で、既にその数を減らしていた。
 大きな被害も無いので、後は警備兵に任せても大丈夫だろう。黒髪の青年は部下に指示を出し、街中を見渡した。
 広場にいた人々の話では、黒い豹の魔物は二十を超える数がいたそうだ。その割に怪我人はおろか、街への被害も少ない。
 噴水の魔法の明かりは今もなお、様々な色の光を撒き散らしている。
 青年には黒い豹の魔物には見覚えがあった。そしてその魔物をこの国へ出現させた相手にも心当たりがあった。
 彼の考えを遮るかのように、すぐ側の通りから大きな羽音を響かせて一羽の鳥が青い空へと飛び立っていく。
 青年はその姿が消えるまで、まるで睨みつけるかのように見つめていた。




 避難していた人々が戻り、城下町に祭り特有に賑やかさが帰ってくる。明らかに兵士の数が増えているのは、また魔物が襲ってきた時の為だろう。
 街の人の話では、本日の夕方には隣国メサム国の女王陛下らがこの国に到着するらしい。ますます警備が厳重になってくる。
 そんな街の様子を眺めていたマキは、「さて、と」と口を開いた。

「さっきの占い師が言ってた通りに、宮殿にでも行ってみようか」
「えっ?」

 煤まみれの顔を濡らしたタオルで拭いていたレイニーは、驚いて動きを止めた。

「あの占い師の言葉を信じてるの?」

 頭ひとつ分高い位置にある青年の顔をじっと見つめると、呆れたかのように彼は肩を竦めた。

「俺よりも物凄く真剣に話を聞いてたのは誰だよ」
「うっ……」

 タオルに顔を埋めながらレイニーは目を逸らす。
 確かに占い師の言葉は気になるが、「運命の赤い糸」だとかは胡散臭すぎる。それ以前に王宮という場所は何となくレイニーは苦手だった。

「お城は…なーんか堅苦しいのがイヤというか……」

 街の喧騒にかき消されそうな程、小さく呟かれた声にマキは吹き出した。
 彼女の言うように、城内はきっちりと鎧を着込んだ兵士が規則正しく巡回をしていたり、美しく着飾った貴族たちが上辺だけの笑みを浮かべてお茶をしていたり、と肩が凝るような場所でもある。

「今はお祭りムードだし、そこまで気にしなくてもいいんじゃないかな?」
「うー…」

 それでも首を縦に振らないレイニー。マキは笑みを浮かべたまま彼女のタオルを取り、まだ頬に残っていた煤を優しく拭った。

「占い師の言葉を抜きにしても、俺も会いたい人が王宮にいるから…。悪いけど付き合ってくれないか?」

 お願い、と軽く頭を下げると、流石にレイニーも嫌とは言えず、渋々頷いた。

「わかった」
「ありがとう、じゃあ行こうか」

 人ごみの中で迷子にならないようにと、マキは彼女の手を取る。レイニーは素直に引っ張られて城へと歩き出した。




 城内も城下町と変わらない位に賑わっていた。城に居たのは殆どが着飾った貴族ばかりだったが、旅人や冒険者の姿もちらほらと見かける事ができた。
 多くの人は運良く王族の姿が見れないかとやってきている。中には王宮魔道士の黒髪の青年を一目見ようと押しかけている娘たちの姿もあった。

 レイニーとマキはそんな人ごみから早々に離れ、中庭に面している廊下をのんびりと歩いていた。
 日の光が降り注ぐ明るい石造りの廊下の壁には様々な絵画が飾られていた。風景画や肖像画の中で一際目を引いたのが、今の代の国王陛下とその家族の肖像画だった。
 金髪碧眼の若い国王とその妻。そして幼い三人の子供たち。

「噂には聞いてたけど、やっぱりこの国の王子たちは三つ子か……」

 肖像画を見つめ、マキが呟く。彼の見つめる肖像画には良く似た顔の少年一人と少女二人が描かれていた。

「二人は行方不明…だっけ?」

 顔を上げてレイニーが尋ねると、マキは絵から目を離さずに頷いた。

「十五年くらい前に第一王子と第一王女が行方不明になってるって話だな」

 今年は王女の十八の誕生日の筈だ。恐らくこの絵が描かれた直後に二人の行方がわからなくなったのだろう。
 魔族に攫われたのか。もう生きてはいないのか。
 じっと王族の肖像画を見つめるレイニーをそっとしておき、マキは少し離れた場所にある一枚の肖像画の前へと移動した。

「こっちは……」
「これは第二王女マリアード様の最近の肖像画ですねぇ」
「――っ!?」

 急に隣から声が聞こえ、マキは驚いてその場からわずかに後退った。彼の隣にはいつ来たのか、貴族風の中年の男が立っていた。
 地味な紺色の上着を着た男は、「いやぁ、美しい!」と肖像画を褒めちぎっていた。
 マキはひとつ咳をして動揺を誤魔化し、肖像画に向き直る。

 描かれていたのは椅子に腰掛けた一人の少女。長く真っ直ぐな黄金の髪と深い青い瞳。その微笑んだ表情は柔らかで、見る者を虜にする程美しかった。
 肖像画なので多少は美化されているだろうが、第二王女はこのカナムーン国の王妃に良く似ているという話なので、本物の方がもっと美しいのかも知れない。

「今年は遂にマリアード王女様と隣国のエルス王子殿下の婚約発表も行われますし、めでたい事だらけですな!」

 腕を組み、うんうん頷きながら笑い声を上げる貴族の男にマキは苦笑した。
 未だに第一王子と第一王女は見つかっていないので、あまりめでたいとは言い難いが、魔族の動きが活発なこの時代、ついつい浮かれてしまうのは仕方ないのだろう。

「おや? 貴方のお連れのお嬢さん」
「…え?」

 笑いを収めた男はある事に気付き、肖像画とレイニーを何度も見比べ始めた。

「同じイヤリングをつけてますね。こんな偶然があるものなんですねぇ…」

 男の言葉にマキも肖像画とレイニーを見比べる。
 耳に金の髪がかかって見え難いが、間違いなく左耳に同じ形のイヤリングをつけていた。
 王女がいつも愛用している物として、同じ形のイヤリングが一般に売られているのかも知れない。しかしマキは胸騒ぎがして、肖像画をじっと見つめた。

「――ちょっ…放して! マキ…ッ!」

 近くで上がった悲鳴に顔を向けると、レイニーが王族が描かれた肖像画から伸びた腕に捕まり、取り込まれそうになっていた。

「レイニーッ!!」

 慌てて駆け寄るが、僅かな差で手が届かず、彼女の姿が肖像画の中に消える。

「くそっ!」

 ドンッ、と力一杯絵を殴る。しかしマキが同じように肖像画に取り込まれる事はなかった。

「きゃああっ!!」
「お、女の子が…!」

 今の様子を偶然目撃した人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。城内は一瞬にして混乱の渦に巻き込まれた。

「たたた…大変だ……、レイン様が…!!」
「え……」

 人々の悲鳴の中に聞こえた微かな声に、マキはその人物を探した。その姿はすぐに人ごみに飲まれてしまったが、あの地味な紺色は、間違いなく先程まで第二王女の肖像画を褒め称えていた男だった。
 マキは咄嗟に人ごみへ飛び込み、その人物を追いかけた。





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