「失礼します」 追い出した四人と入れ替わるかのように、一人の女性が部屋に入ってきた。背中まで伸びる黒髪を揺らしながら真っ直ぐ執務机に向かい、国王に書類を手渡す。 受け取った紙の束に目を通しながら、国王は先程までこの部屋にいた四人組の事を考えていた。 正確には赤い上着を着た青年を思い出していた。 「マハタック国か……」 前日、城を巡回していた近衛兵が彼を見つけ、国王が直々に話を聞いた。 四大陸の南に位置するマハタック国が、半年近く前に魔族によって壊滅状態にあるのは知っていた。 救援部隊を送りたいのは山々だったが、はっきりとした現状がわからなかったので、手をこまねいているだけだった。 そこに使者であるあの青年が現れた。 彼から聞いたマハタック国の惨劇は、想像以上に酷いものだった。 国王は死に、王妃と王女は行方不明。兵は殆どが殺され、逃げ延びているのはほんの一握りだそうだ。 今すぐにでも兵を出してやりたいが、マハタック国は騎士団の国だ。その騎士団が一夜で壊滅してしまう相手に、いくら兵を出しても焼け石に水だろう。無駄に被害を増やすだけになってしまう。 「どうしたものか……」 書類を机の上に放り、肘をついて顎を手で支えて溜息を吐く。 山になっている書類を見ていた女性が、ふと顔を上げた。 「タナに行かせますか? あの子はそろそろ旅立たなくてはなりませんし」 彼女の弟子の黒髪黒目の青年、大賢者の生まれ変わりの彼なら、恐らく魔族を倒す事は出来るだろう。 しかしいくら大賢者の生まれ変わりだからといって、彼一人に全てを背負わせるのは余りにも身勝手だ。だが他に手が無いのも事実だった。それ程までに魔族に対して無力だった。 国王は顎を支えていた手を額に当てて目を閉じて黙り込み、そのまま答える事はなかった。 04:伯爵と花嫁 ドイル伯爵が治める町、ヤオルドは海に面した高台にあった。 伯爵の人望故か、町並みはかなり綺麗だ。第二王女の誕生日の祝いとしてなのか、小さな花や木の実で作った細工が、家々の戸口に飾られていた。 伯爵の屋敷の後ろには丘があり、頂上に立つ一本の木が町を見下ろしていた。 一行は町の入口でドイル伯爵家の使用人のキリクスという青年と会い、食堂に移動して昼食を摂りながら事件の内容を聞いた。 「数日前から毎日、夜中になると何処からとも無く女性のすすり泣く声が聞こえてくるそうです……」 机に少し身を乗り出し、低い声でキリクスが囁く。会った時は明るくにこにこしていたのに、何の嫌がらせか、折角の楽しい昼食をぶち壊しにしていた。 「お前なぁ……もっと普通に喋れよ!」 フォークを握る手をわなわなと震わせながら、カレンが目の前に座るキリクスを睨みつける。しかし青年は不満そうな声を上げた。 「普通に話したら面白くないじゃないですか」 「面白くなくていいから……」 カレンに突っ込まれ、キリクスは仕方なく普段の口調に戻した。 「町の人や見回りの兵の話によると、その声の持ち主は水色の髪の女性で、毎晩町の入口から伯爵様のお屋敷近くまで行って消えるそうです」 「幽霊退治は俺たちの専門外だな」 カレンがこう言うとタナも小さく頷いた。 「まだ続きがあるんですよ!」 ドン、と机を叩き、キリクスが叫ぶ。カレンは面倒くさそうに「何だよ」と尋ねた。 「その幽霊が現れ出した頃から、伯爵様の花嫁候補の方々が、次々に何者かに襲われるという事件が起きているんです」 ある者は階段から落ち、ある者は廊下を歩いている時に窓ガラスが割れて、破片で顔に傷を負った。 この二人は原因らしいものは分かっていたが、声を失う者が現れ、遂には殺人まで起きてしまった。 そこで盗賊団に依頼が来たのだろう。単にライローグが興味深い話だからと安請け合いした気もするが。 「伯爵が恨まれてるんじゃないのか?」 机に肘をついてカレンが言うと、またもやキリクスはその机を叩いた。 「伯爵様は誰かに恨まれるような人ではありません!」 力説され、カレンが小さく舌打ちする。 「その花嫁候補の人たちって、まだ屋敷にいるの?」 レイニーがカレンを押しのけて尋ねると、キリクスは何故か自慢げに頷いた。 「それはもう! 皆様ドイル伯爵様の事をとてもお慕い申し上げてますから!」 自分の所為で被害が出たのだと落ち込んでいる伯爵を、彼女たちは慰めているらしい。 何だかなぁ、とレイニーとカレンは揃って溜息を吐いた。 「ではそろそろお屋敷の方へご案内いたします」 一通り食事を終えたのを見計らってキリクスが立ち上がる。椅子を元の位置に戻しながら、キリクスはある事を思い出して口を開いた。 「そうそう。レイニー様は伯爵様の花嫁候補ということになって」 「イヤ」 レイニーはキリクスの言葉を遮って即答した。 「それってあたしに囮になれって事でしょ!? 何考えてるのよ絶対イヤ!!」 「く…くるしい…デス……」 キリクスの上着の襟を掴み、ガクガク揺らして叫ぶと慌ててマキが止めに入った。 「原因を突き止めるにはそれが一番なんだから諦めろ」 他人事のようにあっさりと言い切ったのはカレンだった。レイニーはキリクスの首を絞めながら彼を睨みつけた。 「まあまあレイニー。俺たちがついてるから大丈夫だって」 キリクスの首から彼女の手を解きつつ、マキはタナに「ちゃんと守るよな?」と同意を求めた。お茶を飲み干し、タナは立ち上がる。 「もちろんです」 微笑まれてようやく、レイニーはキリクスの服から手を放した。キリクスは咽ながら襟を正して再び四人に向かって口を開いた。 「で、では…お屋敷にご案内いたします……」 そう言った彼の表情はかなり青褪めていた。 ドイル伯爵は茶色の髪と同色の瞳を持つ三十代前半の中々の男前だった。 背丈はマキと同じくらいでスラリと高く、金糸で刺しゅうされた黒の上着を見事に着こなしている。しかし事件の所為でその顔は少しやつれていたので、いまいち似合ってはいなかった。 伯爵と挨拶を交わした後、レイニーはキリクスに着替えるように言われた。ドレスの類は着なくてもいいが、せめて町娘らしい格好をして欲しいと言われたのだ。 どうせ囮なのだからいつものように革鎧をつけ、剣を腰からぶら下げていても問題ないはずなのに、懇願されて渋々着替えた。 黒のワンピースを着て深緑色のカーディガンを上から羽織る。それだけではまだ寒かったので、更にショールも肩にかけた。 スカートの下は厚手のタイツを履き、ヒールは断固拒否してショートブーツを履く。一部だけ尻尾のように伸びている金の髪は緩く三つ編みにしておいた。 ふた間続きの一室、男性陣に宛がわれた部屋のソファーに腰掛け、レイニーはぼんやりと窓の外を眺めていた。 女性の幽霊が現れる夜までやる事がない。 カレンは寝台に横になっており、マキはその隣で武器の手入れをしている。 タナは伯爵の所に新しい花嫁候補が来た、とそれとなく話して回っているキリクスと共に、町の様子を見に出かけていた。 たいくつ、と欠伸をかみ殺したレイニーは、ふとある事に気が付いた。 「ここからは丘が見えるんだ……」 木が一本だけ立つ小さな丘。暖かい日にあの木の下で昼寝をしたらさぞ気持ちがいいだろう。 今度行ってみようと考えながら、レイニーはあまりの暇さにうとうとし始めた。 タナが戻ってきたのは日が大分傾いた夕方だった。 キリクスに案内してもらってかなり歩き回ったのか、それとも元々体力が無いのか、彼は少し疲れた様子だった。 レイニーが淹れたお茶をひと口飲んで、タナは町の様子を三人に話した。 「女性の霊が目撃された場所を実際歩いてみました。至る所に僅かに魔力の痕跡がありますね」 カップを両手で包み、ちらりと窓から丘を見る。丘の上の木は黒いシルエットになっており、その姿をはっきりと見る事は出来なかった。 「町を歩いている時にずっと視線を感じていたので、その相手が今回の犯人でしょう」 「悪霊の怨念とかじゃなくて?」 レイニーが恐る恐る尋ねると、タナははっきりと頷いた。 「ええ、そういうものではなさそうです」 「そっかー」 ほっと胸を撫で下ろしたレイニーはソファーの背もたれに身体を預ける。それを見てカレンはからかうように笑った。 「何だよレイニー。もしかしてお化けが怖いとか?」 「何言ってるのよ。昼間キリクスの話で震えていたのは誰だったかしら?」 半眼で睨み、レイニーが言い返す。しかしカレンは平然としていた。 「あれはキリクスの喋り方がむかついただけなんだよ」 「本当に?」 「うるせぇな」 フン、とカレンが顔を背ける。レイニーとマキはその行動に小さく吹き出した。二人のやり取りにタナも小さく微笑み、話を続けた。 「この町に来てからずっと気になっていた丘にも行ってみました。でも犯人の手がかりになるようなものは何も……」 笑みを消してカップをソーサーに戻し、急にタナは頭を下げた。 「すみません、レイニーさん。囮にならずに済む方法が見つかれば良かったんですけど……」 「ちょ…ちょっとタナ。タナが謝る事なんか何もないじゃない」 本気で申し訳無さそうに謝る彼に、レイニーは慌てて背もたれから身体を起こした。しかしタナは顔を上げる事はしなかったので、助けを求めるようにカレンとマキに目を向ける。二人とも驚いて青年を見ていた。 「気にするなよ。元々そんなに簡単に解決できるなんて思ってないんだしさ」 優しくマキが声をかければ、カレンはお茶を飲みながら、 「そうそう。レイニーだって喜んで囮になるって志願したんだしな」 と茶化した。 レイニーは横目でカレンを睨みつけるだけで、あえて反論はしなかった。 「悪霊とかじゃないならどうにでもなるし。ホント気にしないでよタナ……」 顔を覗き込むようにレイニーが言うと、タナはようやく顔を上げた。そして真っ直ぐレイニーを見つめる。 「すみません。レイニーさんは必ず僕がお守りします」 濁りの無い澄んだ黒の双眸に、レイニーはドキリとした。 彼の言葉は信じられる。 何となくそう思い、はにかむようにレイニーは微笑んだ。 夕食はドイル伯爵と三人の花嫁候補の女性たちと共に摂った。少しやつれている伯爵とは違い、彼女らはそれぞれ怪我を負ったりしているのに、その表情に曇りは無い。 キリクスが昼間食堂で言っていた事は、あながち間違いではないようだった。 夕食後、広間で全員でお茶をしている時、最後にタナが話してくれた事について伯爵に尋ねた。その内容はタナが町中で聞いた話だった。 「ドイル伯爵には幼馴染がいたって聞きましたけど、覚えてますか?」 一人掛けのソファーに腰を降ろした伯爵にレイニーが尋ねる。しかし伯爵は首を捻った。 「いや、知らないな」 「本当に覚えてませんか?」 レイニーはしつこく食い下がった。 タナが町の人から聞いたのは、ドイル伯爵には女性の幼馴染がいて、婚約までしていたという事だった。しかし彼女は一年程前、病気で帰らぬ人になってしまった。 幽霊の正体は恐らくその人だろう。どうして今現れたのかはわからないが、この事件の鍵は伯爵自身が握っている気がしてレイニーは尋ねた。 ドイル伯爵が目を閉じて必死に思い出そうとする。レイニーは粘り強く待った。その時―― 「きゃああっ!!」 広間の明かりが全て消え、部屋が急に闇に包まれる。同時にバリンッ! バリンッ! と次々に窓ガラスが割れる音が響き渡った。 レイニーは思わずソファーから立ち上がって辺りを見回した。カレンとマキは咄嗟に近くにいた女性たちを庇って剣に手を当てている。 部屋中の窓ガラスが割られた後、冷たい夜風と共に、雲の切れ間から月の光が差し込む。風の音と共に女性のすすり泣く声が聞こえてきた。 「ひっ…!」 部屋の奥に見たことの無い人影を見つけ、誰かが小さく悲鳴を上げた。 青い月の光に照らされて佇むその人は、長い水色の髪を持った女性だった。 町中で話題になっている幽霊の登場だ、とレイニーが思っていると、女性の霊は紫の口唇を微かに動かした。 『……失礼な男…。わたくしは今もまだ…こんなにも貴方様を……お慕い申し上げているのに……』 そう囁いてゆっくりと右腕を上げる。 女性の体が月明かりとは違う青白い光に包まれた直後、一同に暴風が襲いかかった。 床に散っていたガラス片や茶器、絵画や壺といった調度品が暴れる風によって人々に襲い掛かる。 レイニーは先程まで座っていたソファーを盾にしていたが、不意にその身体が強い力によって女性の方へと引っ張られた。 咄嗟にソファーにしがみ付いて抵抗するが、ずるずると少しずつソファーから手が離れそうになる。 「レイニー!」 マキもカレンも女性三人を守っていて動けない。タナもドイル伯爵を守って身動きが取れないようだった。 次第に身体が浮き始める。それでも必死にソファーを掴んでいたが、割れた壺の破片が彼女の手を切り裂いた。 「あっ…!」 痛みに顔を顰める。ソファーから遂にその手が離れてしまった。強大な力に抗う事なくレイニーの身体が吹き飛ばされる。 だが、がしっ、と大きな手が彼女の手を掴み、力一杯引き寄せた。 「タナ……」 黒髪の青年がしっかりとレイニーを抱きかかえていた。先程まで彼が側にいたドイル伯爵は光の結界に守られている。タナの体が淡い光に包まれると、暴風が段々と弱まった。 弱くなった風と、彼自身から発せられている魔力の風に短い黒髪が揺れる。 女性の霊を見つめる黒い目は、いつもより冷たく感じられた。 「それくらいにしていただきましょうか。まだ続けると言うのならば容赦しませんよ」 その声は絶対零度の響きだった。 『くっ……』 女性の霊が顔を歪めてたじろぐ。 しばし睨み合いが続いた後、女性の姿はパッと消え、緑の小さな光がふよふよと割れた窓から飛んでいった。 それを見届けてからタナはようやくレイニーを下ろした。そして破片で切った彼女の手を魔法で癒す。 「ありがと、タナ」 「いえ、レイニーさんを必ず守ると約束しましたから」 先程までの冷たさは既に消え、タナは柔らかく微笑んだ。 「今の光は?」 床にへたり込んだ花嫁候補たちに手を貸しながらマキが尋ねる。タナは光が飛んでいった方角に一度目をやった。 「今のは妖精ですね。あの妖精が幽霊騒ぎを起こした犯人です」 答えてドイル伯爵に向き直る。部屋にいた他の人々も黙って伯爵を見つめた。 「思い出した……」 全員の視線を受け、ドイル伯爵は片手で顔を覆って項垂れた。 タナたち四人はドイル伯爵と共に、屋敷の裏にある丘の上へやってきた。 「この丘はよく彼女と待ち合わせをしていた場所なんです」 幹に手を当て、どこか遠い目をしながら伯爵は木を見上げた。 「今まで忘れていてすまなかった、サラサ……」 伯爵の声に木の頂上付近から、拳大の緑色の小さな光の球がふわふわと舞い降りてくる。 それは緑の頭に緑の服を着た小さな人だった。透明な羽根をパタパタと忙しなく動かしていた。 『そーだよ、伯爵さまが悪いんだよ。サラサはずっと伯爵さまの事が大好きだったのに』 むすー、と頬を膨らませ、妖精が文句を零す。 『なのにサラサの命日どころか、彼女の存在自体忘れて新しい花嫁をもらおうとしたりして……』 だから花嫁候補たちに手を出したのだと言った。 『悪いことをしました、ごめんなさい。ミネも本当はちょっと驚かすつもりだったのに……』 ミネというのは亡くなった女性の事だろう。妖精は体を折り曲げて深々と伯爵と、何故かタナに謝った。屋敷で見た絶対零度の表情がかなり効いたらしい。 『でもボクは伯爵さまを許さないからね!』 がばっ、と頭を上げ、妖精はそう言った。ドイル伯爵は困ったように眉を下げた。 その時、地面の草から青い光の粒子がふわふわと浮かび上がる。 何百、何千と数え切れない光の粒は、次第に人の姿を形作っていく。段々とその姿がはっきりとし、そして現れたのは、 「……サラサ」 先程屋敷で見たものとはまるで違う、本当に今ここで生きているかのような、艶やかな青い髪を持った美しい女性が立っていた。その笑みは穏やかで、彼女の性格そのものを表しているかのようだった。 『……もういいのですよ。わたくしは伯爵様がお幸せなら……それで充分なのです……』 優しい音色の様な声で囁き、彼女は笑顔を浮かべたまま姿を消した。 ドイル伯爵と緑色の妖精は黙り込んだまま、辺りを舞う無数の光の粒子をいつまでも眺めていた。 「さっきのは…まさかサラサさんの本物の霊?」 ドイル伯爵を残して丘を下りながらレイニーが三人に尋ねる。「さぁな」とカレンは肩を竦め、マキも首を傾げた。タナだけが言い難そうに口を開いた。 「今のは……実は僕がやりました」 その声に三人は驚いてタナを振り返った。 「サラサさんの事を聞いた後、残留思念を集めてあの木に宿る精霊にお願いして、ちょっとやってもらいました」 あっさりとタナは言ったが、全く理解不能だった。 妖精や精霊の存在は知っているが、そんなにも簡単に頼みを聞いてくれるとは思えない。三人の不思議そうな顔に気付いてタナは説明した。 「サラサさんは結構な魔力を持っていたみたいですね。あの妖精と仲が良かったのもありますけど、木の精霊が簡単に承諾してくれたのも、彼女と顔見知りだったみたいですし」 伯爵にはナイショですよ、と付け足した。 「何はともあれ、めでたしめでたしって事なのかな」 月を見上げてレイニーが大きく伸びをする。前方を歩くカレンがぼそりと突っ込みを入れた。 「何もめでたくないけどな」 「えー? 事件が解決してめでたしめでたしじゃない」 「どっちかと言えば一件落着、かな」 マキにまで言われてレイニーは「むむむっ」と唸った。 「今回役に立たなかったカレン君とマキ君は、屋敷に戻ったらあたしの肩を揉むこと! 以上!」 「なっ…ふざけるな!」 笑いながら走っていくレイニーをカレンが慌てて追いかけた。 「囮してあげたんだから、それぐらいしなさいよね!」 レイニーの明るい声が響き渡る。 空では青い月が優しく丘の木を照らし続けていた。 |