火の精霊の加護を受けし騎士団の国が、その炎によって滅びを迎えようとしていた。 街だけでなく城からも火の手は上がり、夜空を紅く染める。 ゴウゴウと衰える事の無い勢いで燃え盛り、全てを破壊していく炎と、宙を舞い、上空から攻撃を繰り出す魔族によって街はまさに地獄絵図だった。 通りには崩れた建物の下敷きになった人や、魔族の攻撃によって切り裂かれた人の屍で溢れていた。 マキはその光景をどこか遠い記憶のように眺めていた。 熱風に煽られても暑さを全く感じない事に気付き、これは夢だと悟る。 この時は確か、数人の兵を引き連れて人々の逃げ道を作る為に、延々と炎をまとった鳥の魔物と戦っていた。 そんな事をぼんやりと思い出していると、近くで爆発が起き、建物が崩れる。降り注ぐ瓦礫の間から見慣れた人影を見つけた。 気が付いたらマキは駆け出していた。 長くウェーブがかった赤茶色の髪が、白いリボンと共に熱風に煽られて舞う。身に着けている白のエプロンが、炎に照らされて赤く染まっていた。 何故彼女がここにいるのだろう。 そんな疑問が一瞬わき上がったが、マキは何も考えずにただひたすら走った。 もう少しで追いつくと思ったその時、彼女のすぐ側で爆発が起きた。彼女の体が爆風に舞う。 「――!!」 名を叫び、手を伸ばす。 意識が覚醒する直前、彼女の手を掴んだ気がした。 05:守りたいもの 翌朝。日が昇ってまだそんなに時間が経っていない頃にレイニーは目を覚まし、部屋のカーテンを開けて窓の外を眺めた。 冬の空は本日も快晴。 屋敷の裏にある丘をしばらく眺めていたレイニーは、こっそりと屋敷を抜け出して丘に行ってみようと企む。 そう決めた彼女の行動は早く、いつもの革鎧を身につけて腰に剣を下げ、白のマントを羽織って静かに部屋を出た。 事件はとっくに解決していたが、三人に見つかれば何かしらの理由と共に止めるに決まっているので、まだ彼らが眠っているだろう今の内に向かうに限る。 音を立てないようにゆっくりと扉を閉め、足を踏み出したその時、隣の部屋から出てきたマキとばったり遭遇してしまった。 「ま、マキ、おはよう。早いわね」 何とか笑みを浮かべてレイニーが挨拶をすると、彼はそれに応えながらレイニーの格好をじっと見つめた。 「おはよう。こんな朝早くから何処に行くつもりだ?」 レイニーのぎこちない挨拶に苦笑しながらマキが尋ねると、彼女は一瞬口ごもった。そして目を逸らしながらもごもごと素直に答える。 「その……丘に行こうかと思って。昨日は夜だったから……」 「俺もついて行くよ。ちょっと待ってて」 反対されると思っていたレイニーは、驚いて顔を上げた。 マキは部屋から剣とマントを取ってきて、彼女の前を歩き出す。呆気にとられていたレイニーは、慌てて後を追った。 明るい日差しが降り注ぐ丘から見る風景は格別だった。町の奥に海も見え、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。 少し肌寒いが心地よい風になびく金の髪を抑えて、レイニーは風景に見入っていた。 暖かい季節になったらお弁当を持ってまた来よう、と考えているレイニーを見つめていたマキは、木の幹に体を預けて上着のポケットからある物を取り出した。 「レイニー」 名を呼び、振り返る彼女に向かってそれを投げ渡す。レイニーは慌てて両手を伸ばして受け取り、手の中に落ちた物を見た。 木漏れ日を受けてキラリと輝いたそれは、エンブレムだった。 「これって……マハタック国の?」 あまり他の国の事に詳しくないレイニーも、エンブレムに使われている国旗には見覚えがあった。 「何でマキがこれを…?」 エンブレムと青年の顔を見比べながら、レイニーが首を傾げる。全く分からないと尋ねる彼女にマキは小さく苦笑した。 「半年前にマハタック国が壊滅したのは知ってるだろ?」 こくりとレイニーは頷く。マキは彼女の手の中のエンブレムに目を向け、表情を固くした。 「俺はその国の騎士団の生き残りの一人だ」 生き残りという単語にレイニーは何も言えず、ただ彼の顔を見つめていた。 「昨日の事件の報告に城に戻った後、この国を発つよ」 カナムーン国王から救援部隊が送られるかどうかの返事は未だ無いが、何時までもこの国に留まり続ける訳にもいかなかった。他の大陸に渡っている仲間の手助けにも行かなくては。 マキはそう告げて、エンブレムを持つレイニーの手をそっと握った。 「レイニーとの旅はここまでだ」 彼女の青い瞳が何か言いたそうに揺れる。 「……あ…あたしもついて行く」 「駄目だ」 マキはきっぱりと反対した。しかしレイニーは食い下がる。 「あたしじゃ役に立たないかも知れないけど、マキにはまだ恩返ししてないじゃない!」 必死に言い詰めるが、彼は首を横に振った。 「もう充分返してもらったよ」 「そんな…!」 「それにレイニーはこの国の王女だろ? 危険な場所に連れて行く訳にはいかない」 最終手段とも言える内容をマキが口にすると、レイニーは細い眉を吊り上げて声を荒げた。 「そんなの関係ない!」 彼女の気持ちに反応するかのように丘の上を吹く風が強くなり、木がざわめき出す。しかしマキの声はどこまでも静かだった。 「レイニーには関係なくても、陛下からすれば大切な子供なんだから……。俺だってレイニーが傷付くのは見たくない」 頼む、と目を伏せ頭を下げる。 どこか苦しそうなその呟きに、レイニーは遂に何も言えなくなり、マキを見つめるだけだった。 何処と無くぎこちなさを残したまま、四人はカナムーン城に戻った。タナとカレンは気付いていないのか、それとも干渉しないと決めたのか、何も聞かなかった。 城の正面玄関で二手に別れ、タナとマキは事件の報告に、レイニーとカレンは宛がわれた客室に向かった。 部屋のソファーに背筋を伸ばして座ったレイニーが溜息を吐く。姿勢は良いが、その表情は暗い。 反対にカレンは城の中だというのに、行儀悪く腕を枕にしてソファーに寝転んでいた。 「……マキがマハタック国の騎士だったなんて……」 返しそびれたエンブレムを見つめながらレイニーが呟く。 「知らなかったのか? あんだけあからさまな格好してるのに」 目線だけ上げてカレンが小馬鹿にしたように言った。 マキが着ている赤い上着はマハタック国王宮騎士団の制服だ。それも一般兵の物ではなく、軍の一部隊を預かる隊長クラスのものだ。 どれだけ無知なんだ、とカレンは半眼でレイニーを見た。しかし彼女はその視線に気付く事なく、独り言のように続けた。 「……マキについてくるなって言われた……」 「どう見ても役立たずどころか足手まといじゃねぇか」 律儀に答えながらカレンは体を起こす。 「相手は魔族だろ? それも一国を一夜で滅ぼす程の力を持った。お前がついて行ったところで迷惑になるだけだろ」 きつい口調にレイニーがゆっくり顔を上げる。泣いているかと思われたその表情に涙は見えなかった。 「大人しく盗賊団に戻ることだな」 そう言ってカレンはソファーに体を横たえる。レイニーは再び俯いて、手の中のエンブレムを黙って見つめた。 沈黙が部屋を支配する。 先に耐えられなくなったのはカレンだった。 「どうしてもついて行くって言うなら、港に先回りでもするんだな」 言いながら相変わらず甘いな、とカレンは内心舌打ちした。レイニーに目をやると、彼女はよく分からないのかきょとんとしていた。 「マキがマハタック国に戻るにしろ、他の大陸に渡るにしろ、港町ペイルに行くだろ。そこで待ち伏せして奴が乗る船に乗り込むんだよ。船が動き出しちまえばこっちのもんだしな」 他の大陸に着いた途端に帰りの船に乗せられる可能性はあるが、やらないよりはましだろう。 「何だったら港まで案内するぜ。お前の事だからヘマしそうだしな」 「失礼ね」 そう言い返したレイニーはいつもの調子を取り戻していた。それを見てカレンはニヤリと口の端を上げた。 「ヘマするよりも前に、無事に港まで行けるかが心配だよなぁ?」 ニヤニヤと笑みを浮かべられ、レイニーはムッとした。 「そんな事ないわよ! 北大陸はあたしの庭みたいなものなんだから」 胸を張って言う彼女にカレンは吹き出した。 「ぷっ、何だよそれ。じゃあ港町スルーは何処行きの船が出るか知ってるか?」 「スルー…?」 レイニーは首を傾げた。町の位置は知っている。ワナルード山脈を越えた大陸の西にその港町はある。だがそこから出る船までは知らなかった。 「ドーラ国だよ。ま、今は船は出してもらえないけどな」 苦笑してカレンは目を閉じた。 遥か昔、世界第一位の魔法大国として栄えた国だ。大賢者アイオンもその国の出身だったはずだ。 現在はメサム国が第一位の魔法国家になっている。その理由は簡単で、ドーラ国は魔族の王によって支配されていると噂されているからだ。 「ドーラ国……」 レイニーの知らない国の名前だった。 そういえば他の大陸も、名前だけは知っていても実際行った事はないな、と思い出す。いつか行ってみたいなと考えながらレイニーはエンブレムをポケットにしまい、お茶を淹れようと茶器に手を伸ばした。 タナとマキが部屋にやってきたのはそれからすぐだった。レイニーは二人にお茶を出して話を聞いた。 どうやら国王は兵が出せない代わりに、タナについて行くように命じたらしい。 一人で発つつもりだったマキは、これには驚いた。同時に嬉しくもなった。 王宮魔道士のタナが来てくれるなら、魔族に対しての戦力がぐっと上がるだろう。 マキは仲間の顔を思い出しながら、これからの行程を話した。 「明日出発してメサム国で一泊し、それから東大陸へ向かう予定だ」 東大陸という事はマルスル国に向かうのだろう。レイニーは四大陸の地図を頭に浮かべながら頷いた。 「そっか…気をつけてね。全部終わったらまたこの国に来てね」 「ああ」 魔族との戦い故、いつ命を落とすかは分からないが、絶対に勝つという思いも含めてマキは力強く頷いた。 レイニーは微笑んでちらりと横目でカレンを見る。 「絶対に悟られるなよ」と自ら言っていただけあり、何か言いたそうにはしていたが、彼のポーカーフェイスは完璧だった。 それからマキは城下町の宿屋へ向かうため、レイニーとカレンは盗賊団に戻るため、揃って城を出た。タナとは翌日待ち合わせて出発するらしい。 城門を抜けてすぐにカレンは姿を消した。彼なりに一応気を使ったのだろう。レイニーとマキは朝のぎこちなさはなくなっていたが、特に話すこともなく街を歩いた。 城下町の広場に到着して、二人は足を止めた。 広場の噴水はこの街に来た時と同じように、魔法の光と色とりどりの花で飾られていた。冬の冷たい空気にキラキラと輝く噴水は本当に綺麗だった。 「それじゃあ、俺はこっちだから。……元気で」 そう言ってマキが白い手袋に包まれた手を差し出す。レイニーは微笑んでその手をとった。 「色々ありがとう。マキも元気でね」 頷いてマキは名残惜しそうに、だが思いを断ち切るように手を離して背を向けて歩き出した。 その姿が人ごみの中に消えた後、何処からとも無くひょっこりとカレンがやってきた。 「じゃ、俺たちも行くか。椿組に寄れば余裕で先回りできるだろ」 彼の言う椿組は北大陸に存在する盗賊団のうちのひとつだ。薔薇組、椿組、蘭組、百合組の四つが、カナムーン国とメサム国直属の組織の拠点として存在している。 「それはいいけど、カレンもついてくるの?」 「言っただろ? お前がヘマしないようにな」 そう言ってズボンのポケットに両手を突っ込んでカレンは歩き出す。 別に一人でもいいのに、とレイニーは思ったが、マキにバレて怒られた時に全部カレンの所為にしてやろう、と後を追って歩き出した。 タナはマリアード王女の部屋にやってきていた。既に話は伝わっているだろうが、自分からきちんと旅に出るという事を伝えておこうと考えてきたのだ。 王女の部屋にはメサム国の第一王子も来ていた。仮縫いを終えた紺のドレスを試着している彼女を眩しそうに見つめている。 そういえばもうすぐ二人の婚約発表が行われるな、と何処かぼんやりとタナは思った。 「そうか…マハタック国か……」 タナの隣に立ち、壁にもたれて腕を組んだエルスが呟いた。タナは小さく頷く。 「どれ位かかるかは分かりませんけど」 鏡越しに王女が二人に青い目を向けた。その視線に気付き、エルスが笑みを浮かべる。 それを見て、タナは本当にこの王子はマリアード王女の事が好きなんだな、と何気なく思った。 「マリアード王女の事は俺に任せておけ。お前は思い切り暴れてくるといいさ」 「そうですね」 頷いて目を窓の外に向ける。 戦いに向かう恐怖などは感じなかった。ただ、王女によく似た娘の事が少し気がかりだった。 王女はそんなタナを見つめて青い目を僅かに曇らせた。だがすぐに長い睫毛が伏せられた為、それに気付く者は誰もいなかった。 |