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 北大陸の玄関口港町ペイルは、白い石で造られた建物が多く立ち並ぶ町だった。道も石畳で舗装されて歩き易い。港には大小様々な船が停泊していた。
 この港から東大陸、西大陸へ船が出ている為、町はかなりの規模だ。マハタック国が滅びる前は南大陸行きの船も出ていたので、今以上にもっと賑わっていただろう。

 様々な人が行き交う大通りを、レイニーは宿の二階からぼんやりと見つめていた。

 街道ではなく、盗賊団の人間しか知らない道を通ってきたレイニーとカレンは、タナとマキが到着する予定日より一日早く町に着いていた。
 到着したその日は、これからの旅に必要な物だけを買って、早々に宿を取ってそこで一日を過ごした。
 そして今はいつ二人が到着してもいいように、ずっと待機している。
 港への様子見はカレンが向かっている。彼なら例え二人に見つかっても、仕事だと言えばバレる事はないからだ。

 レイニーはふ、とポケットにしまっておいたエンブレムを取り出して見つめた。

 マキと出会ったのは数ヶ月前。この港町ペイルと、メサム国の首都との中間辺りにある小さな村で二人は出会った。
 修行の旅に出ていたレイニーは、その村の近くで魔物に襲われて大怪我をしていたのだ。それを助けてくれたのがマキだった。
 彼はひと月近く眠り続けたレイニーにずっと付き添っていた。それどころか気まぐれなレイニーの旅にまで付き合ってくれていたのだ。

 マキには感謝してもし尽くせない。だからこそ彼が困っている時に、何かしら力を貸してあげたかった。
 何の見返りも求めずに側にいてくれた彼に、今度はレイニーが手を差し伸べる番。

 レイニーはぎゅっとエンブレムを握り締めた。




06:想いは礎となり


 太陽が南中を過ぎた頃、カレンが宿に戻ってきた。その手には二枚の乗船券が握られていた。

「やっと到着したぜ。夕方発の船に乗るらしい」

 一枚券を手渡され、レイニーは礼を言った。

「ありがと、カレン」
「船はもう港に来てたけど、出港するギリギリに乗り込むぞ」
「わかった」

 券を大事に鞄にしまいながら、レイニーは頷いた。
 それから二人は宿の一階の食堂で軽い昼食を摂り、その時を待った。




「こっちだ」

 日が傾き、港に出港の合図の銅鑼(どら)が鳴り響く。
 荷を運ぶ水夫にぶつからないように気をつけて、足早に人ごみをすり抜けながら、レイニーはカレンの後を追った。

 目的の船は大きな木造の帆船だった。
 のんびり見上げている暇もなく、二人は港を駆け抜けて船に乗り込んだ。
 銅鑼が激しく鳴り響き、張られた帆が風を受けて大きく孕む。そして船はゆっくりと動き出した。
 夕日によって赤く染まる町並みを遠くに眺めながら、レイニーはカレンの後をついて宛がわれた部屋に向かった。


「あ」

 不意にカレンが足を止める。レイニーは訝しんで彼の背中から通路を覗き込んだ。
 乗組員や乗客の間から、黒い姿の青年が姿を現した。彼は苦笑いを浮かべて真っ直ぐ二人に近づいてきた。

「見つかった…」

 レイニーとカレンは敢えて逃げも隠れもしなかった。大きな船といっても見つからずにいるのはやはり無理があるのだ。
 側で足を止めてタナが口を開いた。

「やっぱりついてきましたね」
「ごめん……」

 レイニーはカレンの背後に隠れながら小声で謝った。タナは微笑んで首を振る。

「レイニーさんはついてくると思ってましたので、謝る必要はないですよ」

 そう答えてタナは二人をすぐ見つける事が出来た理由を話してくれた。

 タナとマキが先日の事件の報告で国王の執務室に行った時、ライローグもそこにいたらしい。そしてマキがタナと二人で出発するという話をしていたときに、やたらとにやにや笑っていたそうだ。
 恐らくライローグには、いくらレイニーについて来るなと言っても無駄だというのが解っていたのだろう。
 タナも何となくそう考えて、乗客が船に乗り込むところが良く見える場所で待っていたら、案の定だったという訳だ。

「マキさんは気付いてないみたいですよ。今も部屋で寝ていますし」
「マキ、どうかしたの?」

 寝るにはまだ早い時間だ。不思議に思いレイニーが尋ねると、タナは困ったように苦笑いを浮かべた。

「どうも船酔いみたいで」

 出港する前から酔っているらしい。レイニーとカレンは心からマキに同情した。






『――マックス!』

 長い赤茶色の髪を揺らして、少女が笑いながら名を呼んだ。
 彼女はいつも明るくて元気で、ころころとよく変化する表情は見ていて飽きない。

『早く早く!』

 手を振って駆け出す。

 走ると危ないぞ、と声をかける前に、ふと彼女は足を止めた。
 訝しげに首を傾げながら彼女の側まで駆け寄ると、ぽっ、と少女の服に火がついた。

『――きゃああっ!』

 その火はみるみるうちに大きくなり、彼女を燃やし尽くそうとする。
 フラフラしながら少女が手を伸ばす。しかし体が言う事をきかず、その場から動けなかった。

『マックス…! 助け…ああっ!!』

 悲鳴を上げて彼女の体が崩れる。
 助けようと手を差し伸べる事も、この場から逃げる事も出来ず、ただ目の前の光景を見続けるしかできなかった。

『……マックス……』

 か細い声で少女が名を呼び、ゆっくりと顔を上げる。
 炎越しに暗い光を湛えた紫の瞳とぶつかった。

 ――呑まれる。

 全身が恐怖で竦んだ。


「――マキッ!」

 大きな声で名を呼ばれ、マキは目を覚ました。
 視線が宙を泳ぎ、側に感じる気配へ移動する。

「大丈夫? かなり魘(うな)されてたけど……」
「……レイ…ニー…?」

 心配そうに顔を覗き込んでいたのは、ここには居ない筈のレイニーだった。

「何でここに……」

 まだ夢でも見ているのかと思ったが、自分たちがいるのは木で造られた船内の一室だったし、時折ぐらりと揺れを感じるので、これは夢ではないと解った。

「ごめん、どうしてもじっとしてられなくて……。先回りして港で待ってたの」

 そう言ってレイニーは俯いた。そんな彼女を見つめながらマキはゆっくりと重い体を起こす。
 どうやらこの娘は自分が思っている以上に頑固なのだろう。きっと港に着いた後、帰りの船に乗せても、また何かしらの手段を使って追ってきそうな気がした。

 しょうがないな、とマキは溜息を吐いた。

「勝手な行動をしない事と、一人でウロウロしないって約束出来るか?」

 尋ねられ、レイニーは勢いよく顔を上げた。

「もちろん!」
「わかった…。本当に危ない時は後ろに下がってもらうから」

 マキのこの言葉に、「うん!」とレイニーは嬉しそうに微笑んだ。

 トントン、と小さく扉がノックされ、水差しを持った黒髪の青年が部屋に入ってくる。

「レイニーさん、夕食の準備が出来たそうですよ」
「わかった」

 頷いてレイニーは立ち上がる。タナは水差しをサイドテーブルの上に置いて扉に向かった。

「マキはご飯、どうするの?」
「俺は遠慮しておくよ。食べたら戻しそうだし……」

 青い顔のままマキは苦笑した。レイニーもつられて苦笑いを浮かべ、腰に手を当てた。

「じゃあ行ってくるね。ちゃんと大人しく寝ておくこと」
「はいはい」

 マキは言われた通りに大人しく体を横たえた。それを見届けてレイニーは、待っていたタナと共に部屋を出て食堂へ向かった。




 食堂は多くの乗客や乗組員で既に賑わっていた。その一角にカレンが座っており、魚介類がふんだんに使われたクリームシチューと、焼きたてのふかふかのパンを頬張っていた。
 彼のいるテーブルにつきながら、レイニーが何気なく尋ねる。

「そういえば、東大陸までどれくらいかかるの?」
「順調に進めば三日くらいですかね」

 タナの答えにカレンもスプーンを持ったまま頷いた。

「さっき風読み士に聞いたら、天気はいまいちだけど風はあるからもっと早く着くかもって言ってたな」
「風読み士…?」

 聞き慣れない名前にレイニーは首を傾げた。カレンはちらりと彼女に目をやってパンに手を伸ばす。

「航海するために絶対必要な職業だよ。風を読んで天気を予測する、ある意味航海士みたいなもんだな」

 なるほど、と頷いてレイニーも運ばれてきたシチューを口にした。

「東大陸方面は海賊も滅多に出ないし。のんびり船旅でも楽しむかな」

 カレンの言うように、東大陸方面の海域はマルスル国の海軍艦隊が時折巡回しているため、海賊出現率はかなり低い。逆に西大陸方面は意外と無法地帯が多く、海賊が良く出没する。
 北大陸周辺は盗賊団が海までその勢力を伸ばしているので、今回は特に問題も無く東大陸に到着するだろう。

 釣竿を持った商人を見かけたので後で買うかな、などと考えながら、カレンは水の入ったコップを握った。
 ふぅん、と解ったのか解っていないのか謎の相槌をうっていたレイニーが、ここぞとばかりに質問攻めを開始した。

「東大陸ってどういう所なの? マルスル国とルーンアルス国があるのは知ってるけど」

 マルスル国は東大陸の南を治める国、ルーンアルス国は北を治める国だ。

「そうですね……」

 少し首を傾げ、タナは考えながら答えた。

「東大陸で一番有名なのは、大陸の中央にある迷いの森ですね」
「迷いの森…?」

 また聞いたことの無い地名が出てきた、とレイニーは眉間に皺を寄せた。

「大陸を横断する大きな森です。様々な力や精霊が集まっていて、一種の異空間を作り上げています。なので、その森を管理しているルーンアルス国の許可が無いと通り抜けられないようになってます」

 そう言えば迷いの森には大精霊がいるという話を聞いた事があったな、とタナは思い出した。たとえ森に行った所で簡単に会えるとは思えなかったが、一目見る事が出来ればいいなと思った。

 その後は三人で他愛の無い会話をし、夕食を終えてそれぞれ部屋に戻った。




 翌日。太陽が幾分高いところまで昇った頃。
 甲板の船尾付近でレイニーは呆然とそれを見上げていた。隣ではカレンが興味無いと暢気に釣りをしている。
 マキから同行の許可をもらったレイニーは、船室でコソコソする必要も無くなったので、朝食後甲板に出て海を眺めていた。そこに商人から釣竿を購入したカレンがやってきて、のんびりしていたところにそれは現れた。

 マルスル国の国旗が描かれた帆を持つ、一行が乗っている帆船より二回りは大きな船がやってきたのだ。
 その船は近くを巡回していたマルスル国の海軍の船だった。
 にわかに船内が騒がしくなるが、こちらは定期便のため、兵たちが乗り込んでくる事もなく、隊長らしき男が船長と軽い挨拶を交わしていただけだった。

「大きい船だねぇ…」

 船体を見上げながら、レイニーが感嘆の声を漏らす。その声にカレンもようやく顔を上げ、目の前の船の甲板を忙しなく走り回るマルスル国の兵に目を向けた。

「……船酔いする奴が海軍に移籍させられたら、どうするんだろうな」

 未だ客室で寝込んでいるマキを思い出して、カレンがぽつりと呟く。レイニーは釣竿を持つ彼の手を力一杯叩いた。

 マルスル国の海軍の船は、それからしばらくして別の方向へと消えていった。
 それを見届けるでもなく、カレンは釣竿をしまって船室へ足を向ける。

「一雨来そうだから、お前もそろそろ船内に戻れよ」

 その声にレイニーは空を見上げた。カレンの言うように空は灰色の厚い雲で覆われていた。
 青年の姿が船内に消えた直後、ポツポツと降り始め、レイニーは慌てて船の中に戻った。



 天気はずっと悪いままだったが航海は順調で、予定通り三日後の昼過ぎには東大陸の玄関口、港町アルスロネに到着した。
 雨が止まない上にマキの具合も悪いので、一行は宿を取った。
 マキの仲間と合流したいが、マキが動けないと話にならない。タナの話だと魔道士協会――世界各地に存在し、魔法使いが必ず所属しなければならない組織――には連絡がいっているらしいので、今更焦る必要もない。

 夕方を過ぎると雨は雪に変わり、寒さが増してくる。
 夜闇の中、街灯の明かりを受けて舞う雪が仄かに光る。

 マキを除く三人は、夕食を終えた後もしばらく宿の一階の食堂にいた。温かいココアのマグカップを両手で包んで、レイニーは窓の外を何気なく眺めていた。
 このまま雪が降り続ければ、明日には積もっていそうだ、と考えていると食堂に一人の客がやってきた。入口で雪を払い、フード付きの革のマントを脱ぐ。
 その人物を見てレイニーが小さく声を上げた。彼女の声にタナとカレンも入口に目をやった。

 マントを片手に持ち、店内を見回しているのは女性だった。
 金に近い長い茶色の髪を高い位置でひとつに束ねている。着ている服は赤い上着――マキと同じマハタック国王宮騎士団の制服だった。胸元でエンブレムが一瞬煌く。
 女の視線が三人を捉える。そして黒いブーツの踵を鳴らし、真っ直ぐ歩いてきた。タナの側でピタリと足を止めて姿勢を正す。

「失礼。カナムーン国王宮魔道士のタナ=トッシュ殿ですね?」

 その問いにタナが小さく頷くと、彼女は背筋を伸ばして敬礼した。

「私はマハタック国王宮騎士のアナーシャ=ダマーと申します。話は既に伺っております」

 そこまで言って彼女、アナーシャは再び店内を見回した。

「それで、マキ…マクスレイドはどちらに…?」
「マキさんなら船酔いが酷くて、部屋で休んでますよ」

 タナの答えにアナーシャは眉を寄せて小さく溜息を吐いた。

「またですか……。相変わらず情けない……」

 片手を腰に当て、もう片方の手をこめかみに当て、アナーシャは少し考えて姿勢を正す。

「明日、改めて伺います」

 それだけ告げて頭を垂れ、マントを着てアナーシャは店を出て行った。
 黙って彼女の後姿を見届けていたレイニーは、マグカップを持ったままひとつ吐息を吐いた。

「マハタック国って女性の騎士がいるんだ……」

 凛々しかったアナーシャの姿を思い出し、レイニーが感嘆の声を上げた。
 カナムーン国もメサム国も、王宮魔道士に女性の姿を見かけても、騎士団には男しかいない。
 レイニーとそんなに変わらない体型で、男たちと共に厳しい訓練などをこなしてきたのだろう彼女に、ある一種の憧れを抱いた。
 陶酔しているレイニーを尻目に、カレンはココアを飲み干して席を立った。

「じゃ、俺は寝るぜ」

 マキの仲間、アナーシャが明日また来ると言っていたので、今日はもうやることはない。
 「おやすみ」とひらひらと手を振りながら、カレンが二階へ消えていく。青年に声を返しながら、ふとレイニーは、よくアナーシャはタナを見つけられたなと思った。
 宿屋をひとつひとつ見て回っていたのだろうか。
 それにしても誰がタナなのか容姿を聞いても分かり難い――

(危ない……)

 レイニーは咄嗟に片手で口を押さえた。

 うっかり尋ねそうになった自分を心の中で叱咤した。そんなもの尋ねなくても簡単に分かるではないか。
 タナの容姿――黒髪黒目は珍しすぎる。
 失礼になるからとジロジロ見る人はいないが、それでもちらちらと好奇の目を向ける人が今まで何人もいた。それほどまでに彼は何処にいても目立つのだ。

 タナが己の容姿についてどう思っているのかは分からないが、口にしなくて良かった、とレイニーは小さく溜息を吐いた。

「大丈夫ですか?」

 僅かに顔色を悪くし、溜息を吐くレイニーを見てタナが心配そうに声をかける。その声色にレイニーは慌てて笑みを浮かべて手を振った。

「あ、大丈夫。ちょっと考え事してただけ。さて、あたしもそろそろ寝ようかな」

 今度から何でもかんでもすぐ尋ねる前に、自分なりに考えたり調べたりしようと決心しながら、レイニーは席を立った。

「それじゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」

 笑みを浮かべたままレイニーが階段へ歩いていく。微笑み返してしばらくして、タナも部屋に戻った。





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