07:迷いの森 一晩中降り続けた雪は、町を白く染めていた。 マキも船酔いから何とか復活した翌日。四人で朝食を摂った後に、昨日のマハタック国の女騎士アナーシャがやってきた。 「久しぶりマキ。元気そうでよかった」 「アナーシャ、久しぶり。君が来てくれるとは」 立ち上がってマキは彼女を歓迎した。 「リュークは今、手が離せなくてね」 そこまで言ってアナーシャは三人にも目を向けた。 「いきなりで申し訳ないけど、貴方たちをルーンアルス国へ案内するわ。リュークも私も今はルーンアルス国にお世話になってるの」 「ルーンアルス国って、迷いの森を抜けた先の…?」 レイニーが尋ねるとアナーシャは「そう」と頷いた。 「今から向かえば夕方には抜けられると思うわ」 「じゃ、行くか」 カレンが立ち上がる。レイニーは金髪の青年を見上げて首を傾げた。 「カレン…いつまでついて来る気なの…?」 「誰かさんと比べれば、俺の方が何倍も役に立つと思うけどな。盗賊団椿組のリーダーなんだし」 「そのリーダーが不在でどうするのよ」 不満一杯でレイニーが言い返すと、カレンは笑って彼女の頭を軽く叩いた。 「前もって数日戻らないって言っといたから平気だ。ほら、行くぞ」 タナとマキの先回りをして港町ペイルに向かう時に、椿組に寄ったのはそういう事だったのか、とレイニーは内心溜息を吐いた。 スタスタと店を出て行くカレンと、その彼を追って歩いていく三人の後ろをレイニーはゆっくりと追いかけながら、 (何であいつが仕切ってるのよ……) と小さく舌打ちした。 二頭立ての乗合馬車に乗り、港町アルスロネを出て一時間もすれば、その森の一部がはっきりと見えてくる。 様々な力が集まり、入った者を惑わす“迷いの森”。 辺りは白銀の世界と化しているが、迷いの森だけは雪が積もっていなかった。集う力で気候が狂っているのかも知れない。 更に一時間程進むと、街道が途切れて馬車が止まった。迷いの森の入口付近に到着したのだ。 馬車を降り、冷たい風に身を竦ませながら、アナーシャを除く四人は頭上を見上げた。 視界一杯に広がる緑。耳に届くのは鳥のさえずりや獣の鳴き声などの様々な音。そして森全体が薄い光の膜に覆われているのがタナには見えた。 「……凄いですね」 様々な生命の息吹とは別に、膨大な魔力を感じる。全く敵意が混ざっていないのは、この魔力全てが精霊のものだからだろう。 タナは目を閉じて意識を集中させた。 無数に感じる小さな魔力の奥に、一際大きな力を見つけた。 悠久の大地。 暖かさを感じるこの力が大精霊のものだろう。 「ちょっと待ってね」 その声にタナは目を開けた。アナーシャが背負っていた鞄を漁り、一枚の羊皮紙を取り出していた。紙の縁を金粉で飾られた上質の羊皮紙。 文字が書かれた面を森に向け、アナーシャは声高に言った。 「ルーンアルス国の許可は下りた。道よ、開け」 彼女の手にある羊皮紙が淡い光を放つ。 目の前の景色がぐにゃりと渦を巻いた後、そこに道が口を開けていた。 羊皮紙をしまいながらアナーシャは振り返った。 「ずっと一本道よ。のんびりピクニック気分で行きましょう」 にっこりと微笑み、彼女は森に足を踏み入れた。四人も後を追って森に入る。 レイニーが何気なく後ろを振り返ると、先程までそこにあった街道は消え、木々が立ち並んでいた。 はぐれたら絶対に助からない、というのがはっきり解り、レイニーは一筋冷や汗を流して、アナーシャの後姿を必死で追いかけた。 迷いの森の中はほとんど日の光が差さず、薄暗かった。だが冬の寒さは全く感じない。 樹齢何百年も経っていそうな杉の大木がいくつも並ぶ場所があれば、見たことの無い花が咲き乱れる場所もあった。 色鮮やかな蝶や鳥が舞う。小さな動物が木の影から一行を見つめる。 のどかな道程だった。アナーシャが言っていたように本当にピクニック気分だ。 途中で立ち寄った泉で軽い昼食を摂る。この旅は魔族との戦いというのを忘れてしまいそうになる程、穏やかだった。 だが泉を出発してしばらくすると異変が起きた。 今まで静かにそよいでいた木々が激しくざわめき出す。鳥や動物が奇声を上げ始めた。 「どうしたのかしら……」 異変に気付き、アナーシャが足を止める。四人も足を止めて辺りを見回した。その時―― 「――ぶッ!」 カレンの顔面に何かが直撃した。衝撃で体がふらつく。 青年の顔に激突したものは、淡い光をまとってふらふらと彼の側から離れた。地面に落ちかけたところをタナが慌てて手を伸ばして受け止める。 「精霊ですね。かなり急いでいたみたいですけど……」 レイニーはタナの手の中を覗き込んだ。そこにいたのは目の覚めるような派手なピンクの髪をもつ、手のひらサイズの小人だった。淡い黄色の半透明の羽が背中でピクピク動いている。 痛む額を押さえながらカレンもその精霊を見下ろした。どうやら気絶しているらしく、時折小さな体がピクリと痙攣(けいれん)する。 タナは片手をかざして小さく呪文を唱えた。すると精霊はゆっくりと目を開け、そして慌てて飛び上がって辺りを見回した。 『大変…!』 甲高い声で叫び、はっ、とタナを見る。 クリクリした丸い赤い目で彼の顔をまじまじと見つめた後、声を上げた。 『魔族が現れた!!』 その言葉に一同は瞬時に武器に手を伸ばす。一瞬後、前方に気配が生まれた。 ザァァ、と強い風が一同の間をすり抜けていく。 風になびく短い黒の髪。薄暗い森の中でも輝きを放つ緑の双眸。背から一対の漆黒の翼を生やした女性――魔族がそこにいた。 彼女は腕を組んで静かに佇んでいた。だが今まで感じたことのない強大な威圧感を発している。 全員の武器に当てている手がじっとりと嫌な汗をかく。 少しでも動けば殺される、と本能が警鐘を鳴らしていた。 緑の目がすっと細められる。――直後、爆風と、吹き上げられた木の葉や枝が全員に襲い掛かった。それに紛れ殺気が迫り、五人はその場から跳び退き、武器を構えた。 女の姿は何時の間にか消えていた。代わりに五頭の黒い豹がそこにいた。 「これってカナムーン国に現れた……」 剣を抜いてレイニーが呟く。第二王女の誕生日祝いの祭りの最中に現れた魔物と同じ魔物だった。 低い唸り声を上げて、一斉に跳びかかる。 マキは真正面から剣を振り下ろし、魔物の体を一刀両断にした。 跳びかかって来た豹を、一歩横に体をずらして避けたアナーシャは、すれ違いざまにその頭を切り落とした。 カレンは豹の眉間に短剣を突き刺し、慌ててその場を離れた。タナが放った風の刃が、タナとレイニーに襲った魔物を切り裂き、更にカレンの短剣が刺さった魔物にまでその攻撃を向けたのだ。 バシュッ! と音を立てて豹の姿が弾けて消える。しかしすぐに新たな豹が姿を現す。 キリが無い、と誰もが思ったその時。ドスッドスッと鈍い音が響き、銀の矢が黒い豹に突き刺さった。 再三魔物が姿を現すが、同じように倒されていった。 『アソール!』 タナの肩に捕まっていた小さな精霊が何かに気付いて飛んでいく。その姿を目で追うと、近くの大木の枝の上に人影が立っていた。 小さな精霊のまとう仄かな光に照らされたその人物は、地面と繋がる長い黄色の髪を持った男だった。 手には銀製の弓。先程の銀の矢は彼が放ったものなのだろう。 男は真っ直ぐタナを見下ろしていた。 「……大精霊アソール」 小さく呟き、タナはその姿をじっと見つめた。 「成る程。お前がいたからあいつがノコノコとここに現れた訳だな」 低く呟き、ふわりと宙を舞ってアソールが一同の前に降りてくる。小さな精霊は嬉しそうに彼の周りを飛んでいた。 「すみません、ご迷惑をおかけしました」 鋭い茶色の目に見つめられ、タナは少し辛そうに頭を下げた。他の四人は言葉を失くして呆然とアソールを見ていた。 「気にするな。だが、また奴がこないとも限らないな……」 弓を消してアソールは考える仕草をした。 「今回は特別に道を開こう。お前たちはどちらへ向かっているんだ?」 マルスル国へ向かっているのか、ルーンアルス国に向かっているのかと尋ねられ、アナーシャが我に返った。 「私たちはルーンアルス国へ向かってるの」 「では道を開こう。一時間程歩けば森を抜けられるだろう」 そう言ってアソールは、小さな精霊をまとわりつかせたまま、空気に溶けるように姿を消した。 「あ、ありがとう!」 慌ててアナーシャが礼を言う。姿が消える直前、アソールは微かに微笑んだ。 大精霊アソールは道を開いたと言っていたが、見た感じ何も変わっていないかのように見えた。だが森を抜けた時、太陽は未だ高い位置にあった。 「何だか魔族が現れたお蔭で得した気分だな」 街道を歩きながら、ポツリとカレンが零す。彼の隣を歩くアナーシャも「そうね」と頷いた。 「でもあの大精霊が助けてくれなかったら、あたしたちどうなってたのか……」 前を歩くカレンの背中を見つめてレイニーが言った。 マキも魔族が放っていた殺気を思い出してしまい、微かに震える手でそっと剣の柄に触れた。 冷たい緑の双眸。押し潰されそうな程の威圧感。マハタック国を襲った魔族は直接見る事はなかったが、あれくらいの強敵なのだろうと容易に想像がつく。 マキは隣を歩くレイニーに目をやった。やはり国に帰すべきなのだろうか。しかし彼女は全く圧倒された様子はなく、アナーシャにどれ位で首都に到着するのかを暢気に尋ねていた。 タナは一行の最後尾で先程の出来事を思い出していた。 何の為にあの魔族は現れたのか。全員を殺すつもりなら、わざわざ黒い豹を召喚しなくても、自ら攻撃すればいい事だ。 加えて多くの精霊の力が集う迷いの森に現れたという、ある意味魔族にとって自殺行為になりかねない行動に関しても疑問だった。 まるで自分と大精霊を遇(あ)わせるかのように―― 「馬車が来た」 不意にレイニーが声を上げた。直後、背後からルーンアルス国の紋様が描かれた乗合馬車がやってきた。 「乗せてもらいましょう」 片手を上げてアナーシャが馬車を停める。御者は気さくに五人の途中乗車を許可してくれた。 一行は予定よりもかなり早く、ルーンアルス国の首都に到着した。 アナーシャに案内されて一行が到着したのはルーンアルス城だった。兵士たちの宿舎へ向かう通路で二人組の男と出会った。 「ああ、アナーシャ。お帰りなさい」 線の細い、赤紫色の髪を持つ男がアナーシャに気付いて声をかける。彼の後ろを歩いていた、大量の書類を持っていた男がその声に書類の横から顔を覗かせた。 「只今戻りました、テニーゼ様」 アナーシャが敬礼する。そして四人を紹介した。 「北大陸に渡っていた仲間のマクスレイドと、カナムーン国王宮魔道士のタナ殿です」 タナを見たテニーゼの目が僅かに見開かれる。 「そうですか、貴方が……」 「マックスじゃねぇか! 久しぶり!」 テニーゼの言葉を遮り、書類を抱えている男がキラキラと目を輝かせて叫んだ。その声にマキは小さく苦笑した。 「相変わらずだな、リューク」 「おう! 丁度いい時に来たな。明日の会議でこの書類を使うんだけど、ちょっと手伝え」 「えっ!? ちょ、オイ!」 有無を言わせず書類を半分押し付け、リュークと呼ばれた男はテニーゼに一度頭を下げて、マキを引きずりながらスタスタと廊下を歩いていった。 その様子を見届けたアナーシャは、こめかみに手を当てて溜息を零した。 「もうリュークってば…。マキは長旅で疲れてるのに……」 彼女の呟きにテニーゼは小さく笑った。 「詳しい話は明日にしましょう。アナーシャ、皆さんをお部屋へ案内してあげて下さい」 「はい」 アナーシャが頷いて頭を垂れる。テニーゼは小さくお辞儀をして、リュークとマキが消えた方へと歩いていった。 翌日からタナとマキは会議に出席していた。近いうちにマハタック国へ向かうらしい。マルスル国からも使者が来たりと城内が忙しく、緊張感に包まれていた。 お手伝いなレイニーとカレンはやる事がなく、買い物の為に城下町へ下りる許可をもらい、一日のほとんどを街で過ごしていた。 ルーンアルス国に到着して数日後。 街を歩いていたレイニーは、魔道士協会の建物の前で怪しげな行動をしている男を見つけた。 着ている服は普通の服だが、背中まで伸びる緑の髪を掻きながら建物の前をウロウロし、時折窓から中を覗いている。 協会から人が出てくると慌てて建物の前から逃げ出し、人ごみの中に消えていった。 「……?」 レイニーは首を傾げて、しばらく男が走っていった方を見つめていた。 「レイニーさん」 声をかけられて振り返ると、黒髪の青年が魔道士協会の建物から出てきたところだった。 「どうかしました?」 再び人ごみへ視線を戻すレイニーに尋ねると、彼女は金の頭はことりと横に倒した。 「今、変な人がいて。ちらちら協会を覗いてたんだけど……」 「え…」 タナは歩く足を速めてレイニーの隣に立ち、辺りを見回した。しかし怪しい行動をしている人物は近くには見当たらない。 「ま、いっか」 と明るい声を上げてレイニーはタナを見上げた。 「お昼ご飯まだなら、一緒にいこ」 笑みを浮かべて言う彼女に、タナも微笑み返して頷いた。 ルーンアルス国城下町の大衆食堂は多くの人で溢れかえっていた。店内の隅の席に何とか腰かけ、ランチセットを注文する。 ここ数日、タナもマキも色々と駆り出されて忙しく、こうやって話をするのは久しぶりだった。 「ルーンアルス国もマルスル国も、よくマハタック奪還に協力したよね」 コップの水を飲みながらレイニーが何気なくタナに尋ねた。 どこの国もいつ魔族に襲われるか分からない現状で、よく兵を割く事ができたな、とレイニーはこの国に来てからずっと思っていた。 「そうですね、それは僕も思いました」 レイニーの故郷カナムーン国や、魔法大国メサム国ですら兵を出し渋るくらいなのだ。 「どうやらルーンアルス国は魔族に対抗する手段を色々と考えているみたいですね。今回の作戦も、その新しい対抗策の実験みたいですよ」 実験が成功すれば魔族に対しての戦力が飛躍的に上がる。更にマハタック国にも恩を売ることが出来る。ルーンアルス国からすれば一石二鳥と考えているのだろう。 偉い人の考えは良く分からない、とレイニーは曖昧に頷いただけだった。 「理由はどうあれ、折角協力して下さってますし。絶対勝ちましょう」 静かに、だが力強くタナに言われ、レイニーは無意識に姿勢を正して頷いた。 そして更に一週間が過ぎ、マハタック国奪還作戦が遂に実行される時が来た。 城の会議室には主要メンバーが集まっており、テニーゼを中心に作戦の説明が行われていた。 大まかな作戦は、ルーンアルス国から船に乗り、途中港町アルスロネでマルスル国の兵団と合流して南大陸の南東、首都のすぐ近くに船をつけ、そこから城に向かうといったものだ。 首都に到着したら三つの部隊に別れることになった。 ひとつは魔族や魔物の目を引き寄せておく囮部隊。もうひとつは行方不明の王妃と王女を救出する部隊。そして三つ目は城へ乗り込み、今回の事件の根元である魔族を倒す部隊。 囮の部隊はルーンアルス国とマルスル国の兵団が受け持ち、王妃と王女救出はリュークとアナーシャと、二人のマハタック国兵で向かう事になった。 肝心の魔族討伐隊には―― 「身勝手なのは重々承知ですが……」 ルーンアルス国の魔道士隊の指揮を執るテニーゼが、言い難そうに僅かに顔を顰めた。 「……タナ殿に向かっていただきます」 黒髪黒目の魔法使い。 大賢者と同じ風貌と魔力を持つ彼以外に、この役目が果たせるとは思えなかった。 カナムーン国王から命を受けた時点でこうなる事を予想していたのか、タナは全く表情を変えずに素直に頷いた。 「よし、マハタック国奪還作戦の開始だ! あんまりお迎えが遅くなると王女様にボコボコにされかねないしな!」 リュークが重い空気を吹き飛ばすように気合を入れて叫ぶ。彼の言葉にマキとアナーシャは思わず吹き出した。 リュークの言うように、マハタック国第一王女は見た目は可愛らしいが怒らせると怖い。マキとアナーシャはそうでもないのだが、リュークは何度も彼女に怒鳴られたりしていた。 マキは懐かしいな、と思いつつ、その場面を想像して顔を青くしているリュークを連れて会議室を出る。 部屋を出た廊下には、会議が終わるのを待っていたレイニーがいた。彼の姿を見つけると慌てて駆け寄ってきた。 「マキ、これ……」 何かを握り締めてレイニーが手を差し出す。 「ごめん、ずっと返しそびれてて……」 彼女の手の中にあったのはマハタック国のエンブレムだった。それを見てリュークが驚きの声を上げる。 「おいおいマックス、これが無いと話にならないぜ!」 「わかってるよ」 リュークの咎めるかのような口調に微かに苦笑して、マキはエンブレムを受け取った。しばらくそれを見つめ、そして上着の胸元辺りに取り付けた。 感慨深そうに腕を組み、リュークが見つめる。レイニーも黙ってじっとマキを見ていた。 マキはエンブレムにそっと片手を当て、目を閉じる。 その動作はまるで祈りを捧げるかのような。 ここには居ない王妃と王女に忠誠を誓うかのような、神聖なものだった。 ゆっくりと目を開け、マキは形の良い口を開いた。 「よし、行こう」 |