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10:躊躇いを斬り捨てて


 玉座には二人の男がいた。一人は体格の良い男で、マハタック国王宮騎士団大隊長の赤い服を着ているキリュウ。
 もう一人は長い銀髪をなびかせ、漆黒の翼を広げている男。赤い目を細めて、タナの後ろに隠れるように立っている王女を見ていた。

「ひゃはははっ! まさか王女サマが自らやってくるとは……」

 口の端を吊り上げて銀髪の魔族が言う。王女はタナのマントを掴み、耳障りな笑い声に顔を顰めて男を睨んだ。
 魔族は笑みを深くして赤い目を動かしてタナを見た。

「そっちは……大賢者……」

 銀髪の男はすっ、と左腕を上げた。その顔から笑みが消える。直後、赤い炎が三人に躍りかかった。

 咄嗟にタナが結界を張って防ぐ。しかし炎が掻き消えた瞬間、白刃が煌いた。金属音を響かせ、刃が結界にぶつかり、火花を散らす。次の瞬間、結界が澄んだ音を立てて崩れた。
 まさかキリュウが炎の真後ろを駆けてくるとは思っていなかった。その動揺が一瞬の隙を生んでしまい、タナの結界が脆くなったのだ。そしてキリュウは力任せに結界を破壊した。

 返す刃がタナの喉元に迫る。だが、ガキンッ! と音を立ててその剣先はタナに届く事無く、別の刃――横から突き出されたマキの剣に受け止められていた。
 ギリギリと鍔迫り合いが続いた後、キリュウは一度ぐっと剣を押し、後ろに大きく跳躍した。すぐさまマキが床を蹴って駆け出す。

「叔父上は魔族に操られておる!」

 ネアがマキの背中に向かって叫んだ直後、タナの目の前に再び炎が襲い掛かった。タナは結界を張ってそれを防いだ。

 銀髪の男はずっと離れた場所から魔法を放ち続けていた。恐らくタナの魔力が尽きるのを待っているのだろう。
 ネアは炎の先にいるであろう魔族を紫の目で睨みつけ、タナのマントを握る手に力を込めた。
 その瞬間、タナの結界が赤く光り、変化した。魔族が放つ炎よりも強大な炎がタナの目の前に現れ、魔族の炎を押し返した。

「がぁぁああッ!!」

 炎は勢いを衰えさせる事無く魔族に襲い掛かり、爆発した。魔族の体が吹き飛ぶ。
 タナは今起きた光景に目を見開いていた。そして横目で王女を見下ろした。彼女はその視線に気付き、人差し指を口唇に当て、「秘密じゃ」と呟いた。
 タナには何が起きたのかが分からなかった。分かったのは別の力が加わって魔族の炎を押し返したという事だけだった。
 今王女に聞いても答えてはくれないだろう。タナは考えを頭から追い払い、魔族に目を戻した。



 マキは足を踏み込みながら剣を繰り出していた。キリュウは少しずつ後ろに下がりながら、彼の剣を受け止め、時には受け流している。
 ぎりっ、と歯を食いしばり、マキは眉間に皺を寄せた。

 ――これではまるでいつもの訓練ではないか。
 一瞬でも気を抜けばそう錯覚してしまいそうになる。

 マキは幼い頃から王宮騎士団大隊長のキリュウに憧れていた。キリュウは実力だけでなく、国王並みに人望がある。
 自分も彼のような騎士になり、この国を守るのだと、幼い頃からそう思って力をつけてきた。
 いくら魔族に操られているとはいえ、こうして戦う事になるとは。

 マキの心の中の葛藤に気付いたのか、キリュウは一瞬剣を引いて隙を見せた。マキの剣が寸前で止まる。
 ――直後、キリュウの剣が迫り、咄嗟に受け止めたマキは堪えきれずにたたらを踏んで数歩後退った。
 すぐさまキリュウが上段から剣を振り下ろす。それも剣で受け止めたマキだったが、体勢が悪かったため、後ろに一歩下げていた左脚の膝から力が抜けた。
 片膝をついて、マキは鍔迫り合いを必死に耐えた。
 奥歯を噛み締め、一瞬でも躊躇った自分を叱咤した。

 かつてキリュウも言っていたではないか。敵がどんな相手であれ、一瞬でも攻撃を躊躇えば、それは死に繋がると。

 マキは両足に力を入れ、剣を押し返しながらゆっくりと立ち上がった。その勢いで剣を振り抜く。
 キリュウは後ろに跳躍して攻撃を避けた。着地と同時に床を蹴ってマキに迫る。
 マキはひとつ息を吸って剣を両手で構えた。
 突き出された剣を僅かに体をずらして避ける。剣先が頬を掠め、髪が一房零れて落ちるが、気にせずマキはキリュウに剣を突き刺した。
 鈍い音と共に、カラン、とキリュウの手から剣が落ちる音が響いた。
 彼の体がマキの肩に倒れ込み、マキは慌ててその体を支えた。

「……強くなったな……」

 耳元で囁かれた声にマキは目を見開き、キリュウの顔を見た。
 彼の髪の間から金のサークレットが見え隠れしている。そのサークレットが急激に錆び、パラパラと粉々になっていった。
 キリュウの目に光が戻る。マキは苦しそうに顔を顰めた。

「俺は……まだまだです……」

 最後の瞬間、キリュウの剣先は寸前でわざとマキを外した。そして自ら隙を作っていたのだ。
 恐らくあの瞬間、キリュウは自我を取り戻していたのだろう。魔族に操られても尚、その力に抗っていたキリュウ。彼は本当に強い人だ、とマキは思った。
 逆に自分はこういう形でしか止める事ができなかった。

 マキはゆっくりとキリュウの体を床に横たえた。彼の脇腹にはマキの剣が深く突き刺さったままだ。致命傷から僅かにずれていたのは不幸中の幸いだろう。
 マキは懐から布を取り出してキリュウの口に咥えさせた。キリュウがぐっと歯を食いしばる。マキは剣の柄に手をかけて呪文を唱え始めた。
 回復魔法をかけながらゆっくりと剣を引き抜く。こうする事で出血多量を免れることができるのだ。
 傷口を広げないように、呪文が途切れないように、慎重に剣を抜いていった。




 タナの魔法に吹き飛ばされた魔族は、玉座を破壊して奥の壁に激突した。粉塵が上がり、パラパラと小さな瓦礫が降る。
 魔族は頭を振ってゆっくり立ち上がった。

「ちっ…やってくれるネェ……」

 舌打ちして魔族は背中の翼を広げた。力を溜めると翼の先端部分が赤く燃え始めた。炎はみるみるうちに広がり、魔族の全身を覆う。

「本性を現しおったか……」

 その光景を見ていたネアがぽつりと呟いた。
 炎が蠢きながら徐々に大きくなっていく。火の粉が辺りに散る。
 バサリ、と大きな羽音が耳に届いた直後、けたたましい雄叫びが玉座に響き渡った。

 バサッ、バサッ、と炎の翼を羽ばたかせ、天井付近で滞空しているのは、炎をまとった巨大な鳥だった。尖った嘴を威嚇するかのように開き、奇声を上げる。
 嘴から吐き出された炎がタナとネアに襲い掛かる。タナは咄嗟に結界を張って防いだ。

 炎の鳥が火の粉を散らしながら、二人に体当たりを食らわせようと猛スピードで迫る。タナはネアを抱きかかえて跳躍し、その場から離れた。
 熱風で髪とマントが大きくはためく。ネアはタナの腕の中から離れ、彼の背後に回って口を開いた。

「タナ、お主の中に溢れておる魔力に意識を集中させるんじゃ!」
「え…」

 タナは一瞬戸惑ったが、言われたようにすぐ目を閉じ、自分の中を血液のように流れる魔力に意識を向ける。
 ゆっくりと全身を巡る魔力。それが段々と増していくのが分かった。自分の中に長い間封印されていた魔力が、泉の如く湧き上がる。

 地面スレスレを飛んでいた魔族が一気に上昇し、天井付近で方向転換して再び二人に襲い掛かった。
 風を切り、唸り声を上げながら魔族が迫る。燃え上がる炎がタナに触れる瞬間、タナは静かに目を開けた。

 バシィッ! と大きな音を立てて、タナと魔族の間に光の魔法陣が盾のように現れた。一瞬後、魔法陣から真っ白な閃光が放たれ、魔族の姿をかき消しながら膨れ上がる。
 光を浴びた所から、ザァァ、と炎の鳥が塵と化していく。
 断末魔の悲鳴を上げながら、魔族は光を放つ魔法陣の向こうの青年の姿を見た。

 暴風にはためく黒のマントがまるで一対の翼のようだった。
 小さく弧を描いている口唇。そして鋭くも自信に満ち溢れた輝きを放つ、漆黒の双眸。

 ――空席の、No.1

 その姿が浮かび上がった瞬間、部屋全体に光が溢れ、魔族は完全に光に呑まれて消滅した。



 光が収まった直後、魔力を使い果たしたタナはその場に座り込んだ。
 今まで無意識に制御していた魔力まで使ったので、全身がだるい。疲れで手と足が小さく震えていた。
 ネアが小さな手を伸ばしてタナの頬に触れる。その手から暖かな気が流れ込んでいるようで、タナはそっと目を閉じた。

「ネア王女様! タナ!」

 声が聞こえ顔を向けると、キリュウに肩を貸しながらマキがゆっくりと歩いてきた。

「叔父上! マクスレイド! 無事で何よりじゃ!」

 ネアがぱっ、と表情を明るくし、二人に駆け寄る。だが不意にその足が止まった。

「お主、髪が……」

 マキの顔を見上げた少女が目を見開く。
 青年の茶色の髪はその一部がばっさりと切り落とされ、不揃いになっていた。

「勝利の勲章ってやつですよ」

 そう言ってマキはにっこりと微笑んだ。



「魔族め! このリューク様が相手だ!」

 バァンッ! と大きな音を立てて玉座の入口の大扉が勢い良く開かれる。
 そこにいたのは剣を構えるリュークと、その青年の行動に苦笑いを浮かべる王妃たちだった。

「母上!」

 小さな王女が駆け出す。王妃は身を屈めてその体をしっかりと抱きとめた。

「ネア、良く頑張りましたね」

 我が子の朱色の髪を優しく撫でながら王妃が言う。少女はしばらくの間、ぎゅっと抱きついていた。

「皆の者、よくぞ悲願を達成してくれましたね。礼を言います」

 王女を連れたまま、王妃は壊れた玉座の前に立ち、笑みを浮かべて目の前に立ち並ぶ一同に労りの言葉をかけた。全員は恭しく頭を下げた。

「キリュウ」
「はっ」

 名を呼ばれ、キリュウはゆっくりと前に出て跪いた。
 王妃は笑みを消し、彼を真っ直ぐ見下ろして赤い口唇を開いた。

「そなたにはネアが十八になり、正式に王位を継承するまで、その代理を任せます。この国の為にその身全てを捧げなさい」

 王妃の言葉に頭を垂れたまま、キリュウは驚いた。
 魔族に操られていたとは言え、国王暗殺、そして魔族に手を貸していたのだ。己が弱い為に今回の惨劇を引き起こしたと言っても過言ではない。
 処刑、もしくは良くて国外追放だろうと思っていたキリュウにとって、この言葉は信じられなかった。
 王妃はこの国に仕え続ける事を許してくれたのだ。

 キリュウは深く頭を下げ、微かに震える声で答えた。

「――仰せのままに」

 王妃は満足そうに目を細めて微笑んだ。そしてタナに目を向ける。

「さあ皆さん、何処か一つか二つくらい部屋が綺麗に残ってるでしょうから、今日はそちらで休まれてください。アナーシャ、案内してあげてください」
「はい」

 一礼してアナーシャはタナ、レイニー、カレンを連れて玉座を出て行く。

「リューク、マクスレイド。二人は城下町にいる方々に連絡を」
「はい」

 王妃はそれからもてきぱきと指示を出していった。


 城下町に溢れていた魔物は、急に動きを止めたかと思うと、破裂するようにその姿を消した。
 いきなりの出来事で兵たちは何が起きたのか理解できなかったが、全ての魔物が完全に消え失せて、ようやくマハタック国奪還に成功したのだと悟った。



 翌日からルーンアルス国とマルスル国の兵たちを中心に、城と城下町の復興作業が行われた。マハタック国奪還の報は既に全国に伝わっており、早くて三日後には他の大陸へ避難していた国民も戻ってくるだろう。
 タナは城の結界の張り直しに朝から駆り出されており、レイニーとカレンは積極的に復興作業に協力していた。マキも騎士団の一員として忙しく走り回っているようだ。

 作業の合間に昼食を摂り、休憩がてら城の中を散歩していたレイニーは、城下町が良く見渡せるテラスにいた。
 作業をする音と、人々の笑い声が風に乗ってレイニーの耳に届く。

 マハタック国を魔族から取り戻した。マキはこの国で再び騎士として暮らすのだろう。今度こそ彼との旅はここまでだ。
 レイニーは太陽の光に目を細めた。

「レイニーさん、ここにいましたか」

 城の中から声がかかり、振り返ると黒髪の青年が立っていた。彼はレイニーの側まで歩み寄りながら続けた。

「いきなりですみません。明日の朝にはカナムーン国に戻る事になりました」
「それはホント……いきなりだね」

 目を丸くしたレイニーは小さく笑った。タナも苦笑を返した。

「すみません。先程カナムーン国に連絡を入れたところ、どうやら仕事が溜まっているらしくて……」

 一度言葉を切り、タナはレイニーの隣に立って城下町に目を向けた。

「それに僕はマリアード様の護衛でもありますから、あまり長期間不在という訳にもいきませんし」

 メサム国第一王女と並んで、絶世の美姫とも謳われるカナムーン国第二王女マリアード。
 カナムーン城で肖像画に取り込まれるという事件の時に、一度だけその姿を見たが、噂に違わず彼女は美しかった。

 金の髪は痛んだりはしていないのだろう、腰まで真っ直ぐ伸びていた。深い海のような双眸を縁取る長い金の睫毛。肌は白く滑らかで、薔薇色の口唇はふっくらとしていた。
 全てのパーツが計算されて配置されていてもおかしくはない、美女。

 タナが彼女の護衛をしていたというのは初耳だったが、あれだけの美姫なのだ。彼くらい力のある者がついていないと色々と大変なのだろう。
 レイニーは一人で納得して頷いた。

「わかった、カレンにも伝えておくね」
「お願いします」

 一礼してタナは城の中へ戻っていった。
 ふ、とレイニーは、自分がその王女の姉になるんだな、と思い出し、ますます実感が消え失せていくのを感じた。



 その日の夜、帰りの支度をしていたレイニーは、宛がわれた部屋に訪れた人を見て驚いていた。

「マキ! ずっと探してたけど見つからなかったから、どうしようかと思ってた……」

 部屋に入ったマキは、後ろ手で扉を閉めて謝った。

「ごめん、ずっと忙しくて。ようやく一段落したところなんだ」

 青年は茶色の髪をばっさりと短く切っていた。今までと全く違って見える彼に、レイニーは首を横に振った。

「ううん、気にしないで。それより」
「明日カナムーン国に戻るって聞いた」

 レイニーの言葉を遮ってマキが言う。レイニーは素直に頷いた。

「うん、今度こそマキとの旅も終わりだね」

 少し寂しいが、またいつでも会えるだろうと考え、レイニーは微笑んだ。

「今まで色々ありがとう」

 マキは彼女にそっと手を伸ばそうとしたが、不意に脳裏に黒い影が一瞬よぎり、思い止まった。
 短い期間だったが、あの黒髪の青年はいつも彼女の側にいて、彼女を守り続けていた事を思い出した。レイニーにはもう、自分がついてなくても大丈夫だろう。
 マキは小さく頭を振り、微笑み返す。

「いや、俺の方こそ色々有難う。あんまりタナとかカレンとかに迷惑かけるなよ」

 茶化して言うと、レイニーは微かに眉を寄せてムッとした。

「わかってるわよっ」

 子供っぽい彼女の仕草にマキは思わず笑い出す。レイニーは拗ねて顔を逸らした。

「明日も早いだろうから、そろそろ戻るよ」

 笑いを収めて言うと、レイニーは顔を戻して頷いた。

「うん、おやすみなさい」
「おやすみ」

 微笑んでマキは彼女に背を向けて静かに部屋を出た。レイニーはしばらくその扉を眺め続けていた。




 翌朝。城の玄関ホールにはタナ、レイニー、カレンと、三人を見送りに来ていたネアとアナーシャがいた。
 小さな王女はキョロキョロと辺りを見回して、誰にとも無く尋ねる。

「マクスレイドの姿が見えぬが……」

 その問いにアナーシャは溜息を吐いた。

「昨夜、リュークと一緒に北の港町ルヴァースに行くように命じたのはどなたですか……」
「そうじゃったかのぉ?」

 にこにこと笑いながら王女はすっとぼけた。

「まだ復興途中なのに、急に帰ることになってすみません」

 タナが頭を下げて言うと、ネアはひらひらと手を振った。

「気にするでない。お主には魔族を倒してもらったしの。これ以上コキ使う訳にもいかぬ」

 腕を組み、頷きながら言う彼女に、タナは礼を言った。

「有難う御座います。では僕たちはこれで」
「うむ。ラルス国王陛下によろしく伝えておいてくれ」

 頷いてタナは入口に向かって歩き出した。レイニーとカレンもそれに続く。
 三人の背中を見届けながら、またすぐ会えるだろうな、と幼い王女は微笑んだ。





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