少女は手に籠を持って、嬉しそうに森の中を歩いていた。 肩まで伸びる緑の髪が風に舞う。小さな精霊が時折少女の髪に絡んできたが、全くそれが気にならないくらい、少女はご機嫌だった。 足を止め、上着の襟につけてある銅で作られたバッジを見つめ、にこにこと笑みを零す。 先程魔道士協会からこのバッジをもらったばかりだった。それは少女の力が協会に認められたという事。彼女の師は自分の事のように喜んでくれた。 「うふふふ」 その時の様子を思い出し、笑いがこみ上げる。少女は咄嗟に口元を手で覆い、辺りを見回した。 こんなにも一人で笑っていたら怪しい子供だと思われてしまう。だが周りには人の気配はしなかった。 ほっ、として再び歩き出す。しかし少女は近くの切り株の根元に布の塊を発見して足を止めた。 首を傾げてそちらへ足を向ける。布は所々が赤く染まっていた。眉を寄せ、恐る恐る近付いて布の中を覗き込んだ。 「あ…」 布の中から綺麗な翡翠の瞳が少女を真っ直ぐ見ていた。 布の中には生まれて一年も経っていない赤ん坊がいた。じっと少女を見つめている。 少女がそっと赤子に手を伸ばすと、赤子はその指をぎゅっと握り返してきた。 「いたっ! 痛い痛いってば!」 少女は笑いながら声を上げる。 「まだ小さいのにこんなにも力があるなんて……」 呟いてふとある事を思いついた少女は、ゆっくりと赤子を抱き上げた。 「よし、決めた! 今日から君はダリだ!」 最近何度も読み返している物語の主人公の名前を叫んで、赤子を頭上まで抱き上げた。赤子は嬉しそうに笑い声を上げ始めた。 「勇者ダリ、見参ー!」 13:幼き日に繋いだ手 盗賊団は大量の巨大な虫で溢れていた。人々が武器を手に戦っているが、数が多すぎる。 「うわぁあっ! 助けて!!」 少年の悲鳴が聞こえ、そちらに目を向けると、金髪の十くらいの少年が巨大な天道虫に捕まり、宙を飛んでいた。 どうやらこの魔物たちはあの魔族の好みの少年を、次々と探しては捕まえているようだ。 一同は少年を助けようと走り出す。しかし数歩足を進めた直後、至近距離で爆発が起き、慌てて避ける。 着地した瞬間、次々と爆発が起き、一度離れていた一行は再び一箇所に集まった。その瞬間、周りを淡い黄色の光の壁が覆う。結界が張られ、身動きが取れなくなってしまった。 タナとモクスの魔法では無い。恐らく近くに隠れていた敵の魔法なのだろう。辺りを見回すと、側の平屋の屋根の上に人影が立っていた。 「なっ…!」 その人物を見て、モクスは思わず青い目を見開いた。 屋根の上にいたのは十五、六の少年だった。肩くらいの長さで切り揃えられた茶色の髪が風になびく。大きな翡翠の目はその光を失っていた。 「ダリッ!」 モクスが叫ぶが、少年は一行を冷たく見下ろすだけだった。 「おい、レイニーはどこに行った?」 先程まで一緒にいたはずの娘の姿が見えないことに気付き、カレンが声を上げる。三人は慌てて結界越しに辺りを見回した。 爆発に巻き込まれて倒れているという事はなさそうだった。 「――あそこだ!」 モクスが少年のいる屋根を指差して叫んだ。タナとカレンもそちらに目をやると、少年の背後からレイニーが襲い掛かっていた。 「っ!?」 少年がレイニーに気付き、振り向きざま右手を上げて呪文を唱えようとする。しかしレイニーはその腕を掴んで体当たりをした。 派手な音と粉塵を上げながら二人揃って屋根から落下する。少年はすぐさま体を起こして、レイニーの手を振り解こうともがきながら呪文を唱えるが、レイニーが手を伸ばしてその口を塞いだ。 「タナ、力を貸せ!」 その光景を見ていたモクスが叫んで側のタナの手を握り、結界に当てさせた。いきなりの事で驚いたタナだったが、すぐに彼に従った。 モクスが短く呪文を唱える。すると結界が波打ち、青い光に変化した。直後、空気に溶けるように結界が消滅する。モクスはタナの手を放してレイニーと少年の元へ駆け出した。 「……すごい」 モクスがやってのけた事に、タナは驚きの声を上げた。 モクスは敵の結界を己が干渉出来るように変化させたのだ。変化の術を使う人物を見たのは初めてだった。 感嘆の声を上げてタナもモクスの後を追おうとしたが、急に視界が傾いた。 「タナッ!」 いきなり倒れた青年を、カレンが慌てて抱き止めた。 自分の身に何が起きたのかすぐに理解できなかったタナは、しばらくカレンの顔を見つめ、そして小さく苦笑した。 「どうやら今ので魔力を全部使い果たしたみたいです……」 すみません、と小さく謝る青年に、カレンも苦笑いを浮かべるだけだった。 モクスはレイニーの手から離れようと暴れる少年の背後から羽交い絞めにして、額に手を伸ばした。レイニーはそれを見て青い目を丸くした。 「え? モクス…?」 少年の背後にいたのは緑髪の女性だった。だが着ている服などはモクスと全て同じだった。 女性はレイニーの問いには答えず、少年の髪に隠れているサークレットに触れた。 「目を醒ませ! 勇者ダリッ!」 女性の声と共に、パンッ! と音を立てて少年のサークレットが弾け飛ぶ。衝撃に少年は緑の目を見開いたが、すぐにぐったりと女性の腕の中に倒れた。 レイニーは少年から手を離し、その顔を見つめた。少年の睫毛が微かに震え、薄っすらと目を開く。 「……僕は勇者じゃないって言ってるだろ…? バカモクス……」 女性を睨みつけながら呟かれた言葉は、何処と無く嬉しそうだった。 魔族が倒されたのと同時に、盗賊団で暴れていた魔物は全て姿を消した。 タナたち一行は屋敷の一室で、茶髪の少年ダリの話を聞いた。 「僕、仕事でカナムーン国に来てたんだけど、途中から記憶が曖昧で……」 ダリはルーンアルス国の魔道士協会で住み込みで働いていた。 ある日、仕事でカナムーン国の魔道士協会に行くことになり、船で海を渡り、メサム国からカナムーン国に入った直後、記憶がすっぽり抜け落ちているようだった。 「カナムーン国に入った時にあの魔族に操られたんでしょうね」 タナがこう言うと、ダリはマグカップを両手で握って俯いた。 オレンジがかった茶色の髪がサラサラと零れる。憂いを含んでも翡翠の瞳は宝石のように綺麗だった。 腕を組み、側に立っていた女性――モクスが少年を見下ろしてフン、と鼻で笑い飛ばした。 「修行不足だから魔族に操られたりするんだ」 馬鹿にしたような物言いに、ダリは顔を上げて緑の目を細めた。 「師匠に破門されたモクスに言われたくないなぁ…。あれだけ禁止されていた変装の術も、未だに使ってるみたいだし?」 「うっ…」 強い口調で言い返され、モクスは言葉に詰まった。 少年の言うように、モクスの本来の姿は現在の女性の姿で、先程までの男の姿は魔法で変えていたものらしい。 たじろぐモクスに、追い討ちをかけるかのようにダリは更に続けた。 「大体今まで何処をほっつき歩いてたのさ。師匠が亡くなった時も連絡が取れないし……」 じっ、と緑の双眸に睨まれ、モクスは遂に耐えられなくなり、部屋から飛び出していった。 ドスン! バタン! と大きな音と共に、モクスの笑い声が響き渡る。 「また会おう! 私の力が必要な時はいつでも呼んでくれたまえッ!」 「あ、コラ!」 少年が慌ててソファーから立ち上がるが、モクスの笑い声はすぐに遠ざかっていった。 ダリは溜息を吐いてソファーに座り直し、一同を見てペコリと頭を下げた。 「色々と迷惑をかけたみたいでごめんなさい」 「気にすんなよ。被害もそんなに酷くないし。ダイとダンも無事だしな」 素直に謝る少年の頭を、側にいたカレンが軽く叩いた。 「それより魔道士協会に連絡入れてこいよ」 「うあー、そうだった……」 ダリは青褪めた。 カナムーン国到着の予定から既に数日経っている。いつまでも現れない少年の事を、協会の人々は心配しているだろう。 「一人じゃ不安でしょうから、僕もついて行きますよ」 タナが微笑んで言うと、ダリは一瞬きょとんとしていたが、すぐに笑顔を浮かべた。 「ありがと!」 「いえ、僕も長期不在の連絡を入れておかないといけませんし」 「長期不在って…何処かに行くの?」 ソファーから立ち上がったタナを見て、レイニーが首を傾げた。 「ええ、シャロル国のアイオン研究所に行こうと思いまして」 「賛成!」 はい! と今まで黙っていた話を聞いていたアイミが、元気良く片手を上げる。 「私も一度行ってみたいと思ってたんだけど…。ついて行ってもいいかしら?」 首を傾げてアイミが尋ねると、タナは快く頷いた。 「もちろん、構いませんよ」 「やったぁ! ありがとう!」 嬉しそうに声を上げるアイミを見て、ダリも少し考えながら呟いた。 「シャロル国かぁ…。僕も休暇を貰ってついて行こうかな」 「レイニーさんとカレンさんも行きませんか?」 「え?」 まさか声がかかるとは思っていなかったレイニーは、驚いてタナを見た。黒髪の青年は穏やかな瞳でレイニーを見つめていた。 レイニーは何気なくカレンに目を向けると、目が合った彼は一度肩を竦めた。 「ま、社会勉強になっていいんじゃねぇの?」 「そっか……じゃあよろしく」 微笑んでレイニーが言うと、タナも微笑み返して頷いた。 そしてそれぞれ準備がある為、二日後、北の港町ワイルに集合し、そこから出発という事になった。 二日後、カナムーン国の北に位置する港町ワイルに一行は集まり、シャロル国行きの船に乗った。メンバーの中には少年魔法使いのダリの姿もあった。 ルーンアルス国の魔道士協会に連絡を入れたところ、魔族に操られていた精神的な傷を癒す為にと休暇が貰えたらしい。ついでに大賢者の生まれ変わりのタナの力になってこい、という事だった。 シャロル国までの船旅は約五日。その日の夜から急激に冷え込み、海の上ではちらちらと雪が降り始めた。 タナたち五人は多くの人で賑わう食堂で、夕食を摂りながら他愛の無い話をしていた。 「シャロル国かぁ……僕初めて」 食堂の壁に貼られてある世界地図を見つめ、ダリが呟いた。 四大陸の北には大きな大陸が広がっている。この大陸の南にあるのがシャロル国だ。同じように地図に目をやったカレンが何気なく尋ねる。 「シャロル国って政治が適当だって聞いてたけど、どうなってんだ?」 シャロル国は学問の国と謳われているが、その裏では治安が悪い事で有名だった。現国王が政治に関して無知無関心だからと噂されていた。 そういえば、とタナは思い出しながらカレンの問いに答えた。 「五、六年前に王宮騎士団長に就任した方がかなりの敏腕らしく、今は安定しているという話ですよ。僕は実際にお会いした事はありませんけど」 「へぇー、すごいわね。是非会ってみたいわ」 ダリからパンの入った籠を受け取りつつ、アイミが感心したように声を上げた。そしてその人物を色々と想像し始める。そんなアイミを横目でちらりと見たカレンは、正面のレイニーに目を向けた。 「治安は良くなりかけてても、まだ危なそうだな。特にレイニー、気をつけろよ」 手に持っているスプーンをビシ、とレイニーに突きつける。その行動にレイニーはムッとして反論した。 「あたしを何だと思ってるのよ。いい加減子供扱いはやめてよね。大体危険っていうならダリの方なんじゃ?」 「くっ…言い返せないなぁ……」 ダリは苦笑してレイニーとカレンの顔を交互に見た。そのやり取りにタナは小さく微笑む。 「港まで迎えに来てくださるそうですから、大丈夫ですよ」 「そうなんだ」 タナの言葉にほっとして、ダリはミートパイをひと口頬張って続けた。 「アイオン研究所ってどういう所なんだろうね」 研究所というのだから、建物なのは分かる。問題はその建物の中だ。 大賢者アイオンが研究に使用した道具などが色々と保存されているのだろうか。膨大な資料もあったりするのだろう。 魔法使いなら一度は行ってみたい場所だ。だが、管理しているシャロル国の許可が無い限り、研究所に立ち入る事は不可能。 良いタイミングでタナと知り合えた事に、ダリは感謝した。 「そもそもシャロル国にあるっていうのが変だよな」 カレンが考えながら言うと、アイミが少し悩んで首を傾げた。 「そうね。でもドーラ国にないだけマシなのかも」 魔族の王によって支配されていると言われているドーラ国は、長い間鎖国状態だ。もし研究所がドーラ国に存在していれば、行くことはまず不可能だし、行けたとしても既に魔族の手によって全て処分されている事だろう。 「アイオンは先の事まで知ってた、とか?」 何気なくレイニーが言うと、ダリが小さく唸った。 「うーん、大賢者っていうくらいだから、有り得なくはないけど……」 少年の言葉は何処と無く歯切れが悪かった。それを代弁するかのようにカレンが口を開く。 「そもそもアイオン研究所は魔族の王を倒した後に作られたんだろ?」 シャロル国が長い間管理しているという事は、アイオンが魔王を倒し、大賢者と人々に呼ばれるようになってからのものだ、とカレンは推測する。 「もしアイオンに先の事が分かる能力があるなら、魔族の王が現代に復活する事はなかったんじゃないか…?」 後々魔族の王が復活すると分かっているのに、手を抜く人間はいないだろう、とカレンは言った。 恐らくアイオンは先見の能力は持っていないのだろう。シャロル国にアイオン研究所を作ったのも、単に場所がよかったからなのかも知れない。 シャロル国に研究所がある理由は何となくわかった五人は黙り込んでいた。 皆、カレンの言葉に気付いてしまったのだ。 大賢者アイオンは魔族の王を倒し損ねたという事を。 そして大賢者ですら勝てなかった相手に、人類は勝つ事は出来ないのでは、という不安が襲った。 レイニーは暗い雰囲気にしてくれたカレンを青い目で睨みつけた。その視線に気付いたカレンは苦笑いを浮かべ、何とか言葉を紡いだ。 「ま、まぁ、全部俺の推測だしな。取り敢えずアイオン研究所で色々調べてみようぜ」 カレンが明るく言うが、重い空気はいまいち晴れる事はなかった。 雪の所為で船の進みは思っていたよりも遅く、シャロル国に到着したのは七日後だった。 真っ白な雪で覆われている港町は、ちょっとした祭が行われているらしく、酷く混雑していた。 船でカレンが言っていたように、油断していると危険かも知れない。レイニーとダリがそう思っていると、不意に前方の人ごみが割れた。 人々が小さく頭を下げたり、手を振ったり、黄色い声を上げ始める。 何の騒ぎだろうと一行は足を止めて様子を窺っていると、二人の兵を連れた一人の男が現れた。 歳は二十代後半だろうか。 短く切り揃えた金の髪がサラサラと潮風になびいている。海のような青い双眸は、人々の声に応えるかのように細められて微笑んでいた。スラリと背が高く、丈の長い白の上着が良く似合っている。 男は背筋を伸ばしたまま足を進め、呆然と様子を見ていたタナの前で立ち止まった。 「タナ=トッシュ殿ですね?」 低く良く響き渡る穏やかな声に、一行の近くにいた女性たちが頬を染めてきゃーきゃーと騒ぎ出す。 その雰囲気に多少押されながら、タナは何とか頷いた。 「……はい」 「お待ちしておりました。私はシャロル国王宮騎士団長のフレイ=カタルトと申します。皆様をアイオン研究所へご案内いたします」 そう言って男、フレイはにっこりと最上級の笑みを浮かべた。 |