BACK * TOP * NEXT



 先頭を歩いていたカレンは、後ろから上がった情けない悲鳴に、盛大に溜息を吐いた。

「ちょ、ちょ、ちょっと…! 揺らさないでってば!」

 彼の後ろにいたのは、吊り橋の手すりにしっかりとしがみついているアイミだった。
 彼女の後ろには他の四人もおり、複雑そうな表情でアイミを見ていた。




16:正しき力を求めて


 シャロル国からカナムーン国に戻った一行は、早速風の大精霊がいる風読み士の里へ向かう為、盗賊団薔薇組の近くの登山道からワナルード山脈を登り始めた。
 風読み士は常日頃から風を感じて修行している為、ワナルード山脈の頂上付近に暮らしている。
 かなり険しい山道を進まなければいけないのかと思っていた一行の不安もよそに、道案内のアイミが進んでいくのは綺麗に舗装された登山道だった。
 雪が積もっていて多少は歩き難いが、予想していた道よりも遥かに楽な道程だった――大きな吊り橋に辿り着くまでは。

 風読み士の里に行く為には必ず通らなければならない吊り橋は、冬の冷たい風に吹かれて小さく揺れている。
 里の人々も利用しているこの橋は木で出来たかなり古い物だったが、造りはしっかりとしており、修理などもきちんとされていて、そう簡単には壊れる事はなさそうだった。

 アイミと共に先頭を歩いていたカレンが、軽い足取りで吊り橋を進む。
 ぎしぎしと橋が揺れるが、青年は全く気にした様子もなく、橋の中ほどまで進んだ。

 その時だった。
 カレンの後ろを続こうとしたアイミが、数歩足を進めただけで悲鳴を上げて立ち止まったのだ。

「カレン…! 揺らさないで…!」
「はぁ?」

 情け無い悲鳴にカレンは振り返った。
 アイミが手すりにしっかりとしがみ付き、青年を睨みつけていた。彼女の足はガクガクと震えている。
 カレンは思わず溜息を吐いた。

「おいおい。道案内のあんたがそんなんでどうするんだよ…」
「わかってるわよ…! でも怖いんだから仕方ないでしょ!?」

 叫んでアイミはそっと足元を見た。
 吊り橋の遥か下は川が流れている。その川が小さく見える事から、今居る場所はかなりの高さがある事がはっきりと分かり、アイミは青褪めて手すりを握る手に力を込めた。

「下を見る奴がいるかよ!!」

 怒鳴ってカレンがアイミの側まで戻る。見ていられない、とダリも吊り橋に足を踏み入れた。

「ちょ、ちょ、ちょっと…! 揺らさないでってば!」

 二人が歩き出した為、吊り橋が更に揺れ、アイミは今にも泣き出しそうな悲鳴を上げた。

「そうは言っても、いつまでもそこにいる訳にはいかないでしょ?」

 ダリが溜息を吐きながらアイミの背中を押そうとする。しかし、

「――失礼」

 低い声がすぐ側で聞こえた瞬間、先程まで吊り橋にしがみ付いていたアイミの体が、ふわりと宙に浮いた。

「きゃっ!?」

 いきなりの事にアイミは悲鳴を上げ、何が起きたのかを見た。近くに赤い髪の男ユーリの顔があり、驚きで言葉を失くす。
 何時までも待っていられないと痺れを切らした彼が、アイミの膝裏と背中に手を当てて、軽々と抱き上げたのだった。そのまま身軽にカレンを追い越し、吊り橋を渡りきった。

「はぁ…ありがと……」

 揺れない地面に下ろされたアイミは腰が抜けてしまい、座り込んだままユーリに礼を言った。彼は表情を変える事なく、「気にするな」とひと言だけ言った。

 いきなりの事に呆然としていたカレンは、ふと後ろのタナとレイニーを振り返った。
 この二人まで吊り橋が苦手だったら、という不安が襲ったが、タナは多少慎重に歩いていたが特に問題もなく、レイニーの方は流石盗賊と思える程、身軽に吊り橋を渡りきっていた。
 レイニーがアイミに手を貸して立ち上がらせ、一行は再び風読み士の里への道を歩き始めた。




 風読み士の里は木で造られた住居がいくつも建ち並ぶ所だった。
 家庭菜園もあり、自然に触れながら出来る限り自給自足をしているようだ。
 里の至る所に大小様々な風車が取り付けてあり、風を受けてカラカラと回る。小さな精霊がふわりと一行の頭上を飛んでいった。

 草を編んで作った帽子とマントを着た子供が三人、笑いながら走り回っていた。
 子供たちと似たような格好の大人が数人、一行に気付いて慌てて一回り大きな家へと駆け込んでいった。
 その様子にタナたちは首を捻り、アイミを先頭にその家に向かった。

「こんにちは」

 家の扉を開けてアイミが声をかけると、奥から先程この家に駆け込んだ大人が数人と、歳のいった女性が姿を現した。亜麻色の髪を高い位置で結わえ、羽根飾りをつけている。
 女性は一行の顔を見て、笑みを浮かべた。

「ようこそいらっしゃいました、タナ様。アイミもお久しぶりね」
「フーリー様、お久しぶりです」

 アイミが頭を下げて挨拶をする。その横でタナもお辞儀をした。

「いきなりの訪問すみません」
「気になさらないで下さいな。いつでも皆様を歓迎いたしますよ」

 そう言ってフーリーは笑みを深くし、側にいた男に声をかけて一行を家の中へ招き入れた。


「今大精霊様をお呼びにいってますので、しばらくお待ち下さい」

 広い居間に案内され、温かなお茶が出される。タナたちはそれぞれソファーに座り、寛ぎ始めた。
 すると部屋の外からバタバタと騒がしい足音が響き渡り、直後、バンッ! と勢い良く扉が開け放たれた。

 いきなりの事に驚いた一同は、扉に顔を向けた。
 そこに立っていたのは栗色の髪を背中まで伸ばした若い娘だった。着ている服は緑色のワンピースで、スカートはかなり短い。大きな翡翠の瞳で部屋全体を見渡している。

「エリル様、落ち着いて下さい…!」

 彼女の後ろから男が顔を青褪めさせて言うが、騒音の持ち主は聞く耳持たずといった感じで、黒髪の青年を見た。
 目が合ったタナはすぐに彼女が大精霊だと気付き、ソファーから立ち上がって頭を下げた。

「初めまして、大精霊エリル」

 タナの穏やかな声を聞き、エリルと呼ばれた娘は目を見開いて愕然としていた。フラフラと足を進め、タナの側までゆっくりと歩み寄る。

「ああ…育った環境が違うと、こうも性格が違うのね……」

 などと独り言を呟き、翡翠の目を輝かせていた。

「あの…?」

 タナは僅かに眉を寄せて彼女を見た。エリルは慌てて首を振り、姿勢を正した。

「ごめん、ごめん。アイオンと性格が全然違うから驚いちゃって」
「はぁ……」

 にっこりと笑う彼女に、タナは曖昧に頷いた。エリルはコホン、とわざとらしく咳をして、長い髪をかきあげて本題に入った。

「初めまして、タナ=トッシュ。話は既にサンダーから聞いてるわ。ここじゃ何だし、表に出ましょうか」

 そう言ってエリルはスタスタと部屋を出て行く。タナと他の五人も彼女の後を付いて行った。




 家の扉の横に立てられている風車が、カラカラと激しく回り始める。里に吹く風が強くなり、マントや髪を大きくなびかせた。
 タナとエリルは家の前の開けた場所で、距離を取って向き合って立っていた。

「単に封印を解いてもいいけど、折角だから腕試しさせてもらうわね」

 髪を押さえながらエリルが言うと、タナは頷いて杖をしっかりと握った。

 エリルの周りに風が集まり始める。その風は次第に色をつけ、緑色に染まっていった。
 緑の光と風が彼女の全身を包んだ直後、エリルの姿が変化していった。
 髪や目の色はそのままだが、若い娘から大人びた女性の姿に変化する。着ている服も変わり、淡いエメラルドグリーンの丈の長いドレスになった。

 彼女の背中から真っ白な四枚の翼が生え、風を巻き起こす。
 タナは吹き飛ばされないように足を踏ん張り、風に目を細めてエリルを見た。
 恐らく今の姿が本来の大精霊の姿なのだろう。彼女から圧倒的な力が発せられており、タナは杖を握る手に力を込めた。


 離れた場所で様子を窺っていたダリが、ふと首を傾げた。

「……大精霊があんなに本気を出してたら、魔族に気付かれるんじゃ…?」

 ポツリと呟かれた言葉は見事に風に乗り、タナとエリルの耳に届く。
 エリルの動きが固まった瞬間、上空でバサッ、バサッ、と大きな羽音が響いた。
 一同は嫌な予感を抱えつつ、羽音へ目を向けると、青い空の一部が黒く染まっていた。

「うわぁぁっ! ごめんなさいーっ!」

 悲鳴を上げてエリルは緑色の光に包まれて小さくなった。
 冬の空に滞空していたのは、赤い目を持ち、黒い羽に覆われた巨大なコンドルと、無数の黒い鳥の群れだった。
 手のひらサイズまで縮んだ大精霊は、背中の黄色の羽をパタパタと羽ばたかせ、タナの肩に留まる。

「えっと…あれを相手にするって事で腕試しにしようか…?」

 小さな指で魔物を示し、無責任な事を言う彼女にタナは苦笑して、黒い目でコンドルを見据えた。


 黒い鳥が一斉に襲い掛かる。一同はそれぞれ武器を構えて対応した。
 一拍遅れて巨大なコンドルが翼で風の刃を起こしながら矢のように迫る。コンドルは黒い鳥をも巻き込んでタナたちを吹き飛ばした。
 六人はすぐに体勢を整え、続けざまに迫る鳥をそれぞれ倒していく。

 コンドルは一度大きく羽ばたいて、翼を広げて上空へ上昇した。高い位置で滞空し、巨大な一対の翼をバサ、バサ、と羽ばたかせる。
 同時に黒い羽根がいくつも舞い、その羽根が触れたものは全て爆発し始めた。羽根がちょっとした爆弾になっている。無差別な攻撃に一同は一箇所に集まった。

「援護をお願いします」

 タナが静かに言い、呪文を唱え始める。五人は頷いて彼の周りに立った。
 ユーリは背中の大剣を両手で構えて、矢のように迫る黒い鳥を数体まとめて一薙ぎで斬り捨てた。
 レイニー、カレン、アイミもそれぞれ剣を構え、一体ずつ確実に倒していく。ダリはタナの呪文の妨げにならないように、結界は張らず、小さな光の盾を出現させて、黒い羽根の爆発を防いだ。

 タナはアイオンの杖を両手で握って構えた。彼の魔力に反応して、先端の緑の宝石が光り始める。
 光は徐々に強くなり、タナの全身を覆った。青年の黒髪とマントが湧き上がる魔力に大きくはためく。

 タナが黒い目を真っ直ぐコンドルに向けた直後、彼を中心に光の波紋が広がった。魔力はそのまま空へ昇り、荒れ狂う緑の風を巻き起こし始めた。
 風は渦を巻き、竜巻と化す。黒い羽根を呑み込み、爆発を起こしながら竜巻は大きくなり、魔物に襲い掛かった。

 コンドルの魔物は竜巻に気付き、翼を羽ばたかせて風を起こして相殺しようとする。しかし逆効果になり、その風を己のものにした竜巻は更に大きくなった。
 魔物が逃げ出そうとした瞬間、竜巻は魔物を呑み込んだ。無数の風の刃に切り裂かれた魔物は、断末魔の悲鳴を上げて消滅していった。


「お見事」

 ずっとタナの肩に掴まっていたエリルが拍手をする。竜巻を消したタナは大きく息を吐いて前髪をかき上げた。
 コンドルの魔物の消滅と同時に、黒い鳥も全て姿を消した。
 ダリが他の四人の傷を魔法で癒していく。

 エリルは背中の羽を広げて、タナの目の前までふわりと飛んだ。そしてタナと彼の持つ杖を交互に見て微笑んだ。

「うん、アイオンの杖もちゃんと使いこなせてるみたいだね。実力も充分わかったし、封印を解いてあげる」
「有難う御座います」

 タナは頭を下げてエリルを見つめた。
 彼女は緑の光に包まれ、最初に会った時の姿になった。目を閉じ、右手のひらをタナに伸ばして、ゆっくりと口を開いた。

「我、大精霊エリルの名において、風の封印を解き放つ」

 エリルの手のひらから緑の光の球が浮かび上がり、タナの体に吸い込まれていく。
 直後、タナの全身が緑の風に包まれた。ぶわっ、と吹き飛ばされそうになった瞬間、辺りの景色が一瞬で変わった。




 里の建物が消え、タナは森の中に立っていた。木々の間から苔や蔦に覆われた古びた屋敷が見え隠れしている。
 何が起きたのかを考えながら辺りを見回すタナのすぐ側を、一人の女性が通り過ぎた。

 背中まで伸びる黄金の髪。淡いクリーム色のローブを着た若い娘。

 彼女はタナに気付く事なく、真っ直ぐ屋敷へ歩いていく。そしてそのまま屋敷の呼び鈴を鳴らした。
 しばらく待つと、屋敷から不機嫌そうな黒髪の青年が顔を出した。
 シャロル国のアイオン研究所で見た肖像画よりも少し若い、大賢者だった。彼の表情が一瞬で明るくなる。

『美しいお嬢さんが一人でこんな辺鄙な所に…。お疲れでしょうから中でご用件を伺いましょう』

 さぁさぁ、と女性を屋敷に招き入れようとする青年。その青年の様子に娘はクスリと笑った。

『貴方が噂のお祖父様のお弟子さんなんですね』

 クスクスと笑う彼女に、黒髪の青年は目を丸くしてきょとんとしていた。だがすぐにある事に気付いて目を見開いた。

『お祖父様…?』
『はい。初めまして、イリィ=クロムウェルと申します。祖父がいつもお世話になってます』

 ふわりと柔らかな笑みを浮かべて自己紹介をすると、青年の顔をみるみる険しくなった。

『あのジジイにこんな可愛い孫がいただと!? 信じられねぇーッ!』

 ドタバタと騒ぎながら青年の姿が屋敷の中に消えていく。イリィと名乗った大賢者の妻となる女性は、笑みを浮かべたまま、のんびりと屋敷へ足を踏み入れ、扉を閉めた。




「――…タナァ。…タナさーん」

 バタン、という重い扉が閉まった音と同時に声が聞こえ、ハッ、と我に返った。
 タナは何度か瞬きをして辺りを見回した。
 先ほどまで広がっていた森は消え、風読み士の里の中にいた。

「……今のは一体……」

 思わずタナは呟いた。その声にエリルはきょとんと緑の目を丸くした。

「何か見えた?」
「……大賢者の姿が……」

 エリルは口元に手を当て、少し考え込んだ。

「……もしかすると魂の記憶なのかな」

 魔力の封印を解くため、大精霊の力に触れた所為で、魂が記憶している内容が出てきたのかも知れない。

「んー、まぁアイオンの性格はちょっとアレだけど、気にしなくていいかも。知ったところで何か影響がある訳でもないしねぇ」
「はぁ…」

 のほほんと笑いながら言う彼女に、タナは曖昧に頷くだけだった。

「それより、私の封印を解いただけじゃ大して変わらないと思うけど、くれぐれも無理は禁物だよ」
「わかりました」
「素直でよろしい」

 うんうん、と満足そうに頷き、エリルはにっこりと微笑んだ。

「何かあったら何時でも呼んでね。タナの召喚には特別に応えちゃうから」

 ウインクつきで言う彼女に、タナはしっかりと頷いた。



 風読み士の里長フーリーの家に戻った一行は、これからの予定を話し合っていた。

「次は水の大精霊に会いに、サラー国へ行きます」

 タナの言葉にアイミはキラリと紫の目を輝かせた。

 西大陸の西に位置するサラー国。水が豊かで、その上温泉が至る所で沸いている事で有名な国だ。
 更にワインの製造も栄えている国なので、不謹慎ながらアイミは内心喜んだ。

「その後はマハタック国へ行き、最後に東大陸へ向かいます」
「マハタック国…? って半年前に魔族に滅ぼされたんじゃなかったっけ?」

 ダリが首を捻りながら尋ねると、少年の隣のソファーに足を組んで座っているカレンが答えた。

「少し前に解決したぞ。タナがな」
「えぇ!?」

 ダリは驚いてタナを見た。アイミとユーリも目を見開いて青年を見つめる。タナは小さく苦笑して頷いた。

「僕一人の力じゃないですけどね」

 タナ、レイニー、カレンの三人は、マハタック国奪還作戦に参加した人々の顔をそれぞれ思い出していた。
 そんなに遠い昔の事ではないのに、何故だか酷く懐かしく思えるのは、このところハードな日々を過ごしているからなのだろう。

「まだ復興作業の途中かもね」

 城下町、城の惨劇を思い出しながらレイニーが言うと、タナも頷いた。

「皆さんお忙しいでしょうし、道だけ尋ねて僕たちだけで行きましょう」

 そう言ってタナは、火と土の大精霊に会った時の事を思い出した。
 どちらもあの魔族、セルジュが意図的に会わせたのだった。
 もしかすると彼女はタナが大精霊に会う事を予想していたのかも知れなかった。
 タナはそっと手首のブレスレットに触れた。

「そういえば、迷いの森はどうするの? ルーンアルス国の許可が無いと通れないような……」

 レイニーがふと思い出して尋ねると、ダリが声を上げて彼女の問いに答えた。

「それなら僕の許可証を使えばいいよ。僕はルーンアルス国人だからね」

 「流石」とレイニーやカレンに褒められ、ダリは微笑んだ。

「それじゃあ明日朝一で山を下りましょう」

 タナがこう言うと、アイミがさっと表情を曇らせた。

「またあの吊り橋を渡らないといけないのね……」

 ポツリと呟かれたその言葉に、一同は苦笑するしかなかった。





BACK * TOP * NEXT