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17:波間に零れ落ち


 翌日、ワナルード山脈を下りてメサム国の首都で一泊し、北大陸の玄関口港町ペイルに到着した。更に港町で一泊したタナたちは、サラー国に向かう船に乗り込んだ。
 時折雪がちらついていたが、船旅は順調で八日後にはサラー国の南、港町ラウリッドに到着した。乗合馬車でサラー国の首都へ向かう。

 街道を走っている時、雪景色の中に立ち上る白い湯気が見えてきた。サラー国の象徴のひとつ、温泉だった。そしてもうひとつ、この国の水の豊かさを表す運河が木々の間から見えた。

「うわぁ」

 大小様々な船が行き交う広い運河を見て、レイニーとダリが感嘆の声を上げる。河をいくつもの船が行き交うというのは、二人にとって初めての光景だった。

「ミズカ国もそうだけど、暖かくなったら今以上に船が増えそうね」

 レイニーの隣から外を眺めてアイミが言う。彼女の出身国もまた水が豊かな国だった。

「ミズカ国ってどんな国なの?」

 ふとレイニーがアイミに向き直り、尋ねる。アイミは金の髪をかき上げて微笑んだ。

「湖に囲まれてお城が建ってるのよ。あとはこのサラー国と似てて、運河を船で移動するのが多いわね」

 レイニーとダリが揃って目を輝かせる。二人は歳が近い所為もあり、良く似た行動を取る事が多いな、とアイミは小さく笑った。

「ノイル国はどういう国なの?」

 今度はダリがユーリに尋ねた。赤毛の剣士は長い脚を組み直して口を開いた。

「山に囲まれた険しい土地だ。一年の半分は雪に覆われているな」
「うはぁ」

 ダリは驚いて目を丸くした。

 山に囲まれているだけでも他国との交流が厳しそうなのに、その上半年も雪に埋もれているというのは凄すぎる。
 だが、それだけ厳しい環境で過ごしているので、きっとユーリのような背が高く、体格もがっしりとした男らしい人物が出来上がるのだろう、とユーリの肩までの身長しかないダリは、じっと彼を見た。

「街が見えてきたぞ」

 カレンの声に一同は馬車の中から外を見た。
 雪によって白く染まっている、石造りの壁に赤茶けた瓦の建物が並ぶ、サラー国の首都が目の前に広がった。


 サラー国の首都は至る所に温泉宿があった。そして療養の為、遠い地から足を運んできた人々で、街は賑わっていた。
 乗り合い馬車を降りた一行は、早速魔道士協会へ向かい、水の大精霊がいる場所までの道程を聞いた。
 川沿いを一時間程進んだ山の中に滝があり、そこに大精霊がいるようだ。
 タナたち一行と同じように、大精霊の元へと参る冒険者や観光客もいて、道程はすぐに分かった。

 石段を登り、木々に囲まれた道を進むと急に視界が開ける。
 飛沫と轟音を上げながら、垂直に落ちていく大量の水。
 道は途中から木で造られた橋に変わり、滝の正面まで伸びていた。橋の先は広い空間になっており、そこに小さな祠があり、その周りに人々が集まっていた。

 タナたちもそちらへ足を向けると、人ごみが割れ、一人の若い女性が姿を現した。

 長い青い髪はグラデーションになっており、先端に行くほど色は薄く、そして水になっている。
 裾の長い白のドレスは冬だというのに袖はなく、代わりに肘上までの白い手袋をつけていた。
 女性はタナを見て、柔らかく微笑んだ。

「お待ちしておりました。初めまして。わたくしは水の大精霊ウィムです」

 恭しく頭を下げられ、タナも頭を垂れた。

「タナです」

 青年が挨拶をすると、女性の周りにいた人々が距離を取り始めた。二人の為に場所を空けてくれたのだった。

「話は聞いています。貴方の中の封印を解きますね」

 笑みを浮かべたまま言い、ウィムは目を閉じて両手を上げた。
 ウィムの全身が淡い青の光に包まれる。そしてその光は彼女の両手の上に集まり始めた。

「我、大精霊ウィムの名において、水の封印を解き放つ……」

 青い光がふわりとタナへ向かう。しかし光がタナに届く直前、近くで大きな水音が響いた。

「――タナ!」

 滝つぼから巨大な蛇のようなものが現れ、奇声を上げながら一同の頭上を跳び越えていった。そのときに鋭い牙をタナの右肩に引っ掛け、彼を連れて水の中に消えていった。
 いきなりの事に愕然としていた一同だったが、すぐにレイニーとカレンが防寒用をマントを脱いで川に飛び込んだ。

「レイニー! カレン!」

 アイミが手すりに駆け寄り叫ぶ。その直後、水面の一部が赤く染まった。
 ユーリとダリが離れた場所で腰を抜かしている人々の元へ向かい、避難をさせ始める。

 ウィムはアイミの隣に立ち、右手を川へかざした。手のひらから光が放たれ、轟音を上げながら水が割れ始める。
 水が引いた深い川底に、レイニーとカレンに支えられて、膝をつく黒髪の青年の姿があった。右肩を喰い千切られたらしく、左手で肩を押さえている。

 水の中から再び巨大な蛇のような魔物が現れ、牙を剥き、威嚇しながら三人の頭上を跳び越えて水の中に消えていく。

「おいおい……あんなのどうするんだよ……」

 顔を顰め、その姿を見送ったカレンが呟いた。

 濃い青の鱗に覆われた体は細長いが、人間を丸呑み出来そうなくらいに大きい。歯は全て尖っており、びっしりと二列に並んでいた。
 牙も脅威だが、長い尾の先の尾びれも、殴られたらひとたまりもなさそうだった。
 その上、水の中を自由自在に泳ぎまわる相手だと分が悪すぎる。何処に居るのかも分かり難い為、こちらから攻撃するのは難しそうだ。
 加えて止血したとはいえ、タナは負傷中だ。

 大精霊ウィムの力で三人は滝に囲まれたような状況の中にいる。これでは魔物が何処からでも襲い掛かってきてしまう。
 取り敢えず陸に上がろうと、カレンはタナに肩を貸して歩き出そうとした。しかしタナはその場から動かなかった。

「少し待ってもらっていいですか?」

 そう言ってタナはカレンから離れ、杖を支えに自力で立つ。そして目を閉じて意識を集中させた。

 タナは陸に上がるのも、ここで戦うのも、そう変わらない気がしていた。
 長期戦になれば、あの魔物が街へ向かう可能性が出てくる。それならばここで倒してしまおうと考えたのだ。

 魔力が溢れ、青年の全身が白い光に包まれ始める。

 直後、その魔力目当てに魔物がタナの背後から現れた。
 風を切り、目にも留まらぬ速さでタナに襲い掛かる。タナはそれを横に跳んで避け、そして素早く魔法を放った。

 バキバキバキッ! と大きな音を立て、タナを中心に光の波紋が広がり、水が瞬時に凍っていく。水の中に消えようとしていた魔物も、見事に氷の中に閉じ込められていた。

「すごい…」

 滝の下まで凍りついたのを見て、アイミが思わず呟いた。

 いくら水の大精霊の力の影響があるとはいえ、瞬時に辺り一面を凍りつかせるタナの力は強大だった。
 彼が本当に大賢者の生まれ変わりというのを、見せ付けられた瞬間だった。

 轟音を上げて、凍りついた場所が粉々に砕け散っていく。それに巻き込まれた魔物も、同様に粉砕され、消えていった。
 真っ白い飛沫を上げ、川が元の姿に戻っていく。溺れかけたタナをレイニーとカレンが助け、三人はようやく陸に上がった。


 川から上がったタナは、ウィムから回復魔法をかけてもらい、頭を下げた。

「有難う御座います」
「いいえ。今の戦い、お見事でした」

 微笑んでウィムは言ったが、急に彼女は表情を険しくした。

「ですが少々無茶をしすぎです。貴方が倒れると、皆さんが心配するというのをお忘れなく」
「すみません…」

 ウィムに厳しく言われ、タナは素直に謝った。ウィムは満足そうに微笑んで頷いた。

「では、貴方の水の封印を解き放ちますね」

 ウィムがそう言うと、タナの全身が淡く青い光をまとった大きな泡に包まれ、すぐに弾けて消えた。その瞬間、タナの脳裏に別の映像が流れた。



 目の前に四人の男女が立っていた。背の高い茶髪の壮年の男が、金髪の若い娘の肩に手を回している。
 離れた所に立ち、杖を構えて眉を吊り上げているのは黒ずくめの青年だった。その青年の肩に手を当て、必死で押さえているのは赤茶髪の女。

『――てめぇ! イリィから手を放せ!』

 黒ずくめの青年が叫ぶと、男は顎の無精ヒゲを撫でながら笑みを浮かべた。

『嬢ちゃん、中々べっぴんだねぇ。一緒に酒でも飲もうか』

 全く話を聞いていないその態度に、青年が杖を振り上げて殴りかかろうとする。だが、

『ちょっと大人しくしてな!』

 と、女性に頭を殴られて沈黙した。

『おたく、ルイザルだろ? ルイザル=ギブソン』
『あん?』

 名を呼ばれ、ようやく男は青年と女性に顔を向けた。

『美人の姉ちゃんに睨まれるような悪い事はしてないつもりだが』
『イリィから離れろ、おっさん…!』

 頭を抑えられながらも青年が叫ぶ。しかしルイザルと呼ばれた男はにやにやと笑みを浮かべるだけだった。

『力を貸してくれないかい? 報酬はこの男が払うからさ』

 女性がそう言うと、黒ずくめの青年は黒い目を見開いて悲鳴を上げた。

『何言ってやがる、このアマッ!』

 ドカッ、と女性に鳩尾を殴られ、青年の体がふらついた。



 そこで映像が途切れ、タナは思わず額に手を当てて目を閉じた。
 すぐ近くにある滝の音が轟音のように聞こえ始める。その音に混ざって、ウィムの穏やかな声が耳に届いた。

「これで大丈夫です」
「有難う御座います」

 目を開けて礼を言い、タナは立ち上がって頭を下げた。ウィムも立ち上がって笑みを浮かべた。

「折角サラー国にいらしたのですから、温泉に入ってゆっくりしていって下さい。美味しいワインもありますよ」
「そうですね」

 タナが頷くと、彼の後ろに立っていたアイミが「やったぁ!」と喜んだ。他の四人もそれぞれ嬉しそうにしていた。
 そこまで急ぐ旅でもないので、少しのんびりするのもいいかも知れない。
 タナたちはウィムに別れを告げて、城下町へ戻っていった。



 翌日、タナは見事に熱を出して寝込んでいた。
 レイニーは彼の額に当ててあるタオルを取り、サイドテーブルに置いてある洗面器の水につけた。

 真冬の川に引きずり込まれた上に、右肩もしっかりと治さず、あれ程の強力な魔法を使ったのだ。熱を出して当然だろう。
 同じように川に飛び込んだレイニーとカレンは、タナと鍛え方が違うので、風邪一つ引いていない。今もカレンは他の三人と共に、必要な物を求めて街へ買出しに行っている。

 充分に水を吸ったタオルを取り、しっかりと絞ってレイニーはタナの額にそっと乗せた。顔にかかっている黒髪を優しく払い、椅子に腰を下ろして青年の顔を見つめる。

 大賢者アイオンの生まれ変わりと呼ばれ、自ら魔族と戦う道を選んだタナ。
 いつも守ってくれ、完璧そうに見えるのに、こうして熱を出して寝込む姿に、レイニーは僅かに目を細めた。
 色々と言われても、彼は自分と同じ人間なのだ、と改めてそう思った。

「…タナはタナだよね。大賢者とか関係ないよ……」

 レイニーは躊躇いがちに手を伸ばし、短い髪に触れた。
 サラリと零れる絹のような手触りの黒い髪。
 タナを起こさないように気をつけながら、レイニーは優しくその髪を梳き始めた。



 髪を優しく撫でられる感触を薄っすらと感じながら、タナは夢の中を漂っていた。
 ぼんやりと霞みがかった視界の中で、人影がゆらりと揺れる。
 徐々に視界ははっきりと開け、目の前の人物の姿がくっきりと見えた。

 短い白髪のてっぺんに、三角に尖った猫のような耳を持つ若い女性。彼女は目を見開き、口をあんぐりと開いてこちらを見つめていた。

『――サ、サフ!? 君、こんな所で何してんの!?』

 悲鳴混じりの甲高い声を上げ、女性がズカズカと歩み寄る。首を傾げるタナをよそに、彼女はすっと右手を伸ばした。

『……意識だけ飛び出してきたんだ』

 タナに触れている筈の彼女の右手は、体をすり抜けていた。
 苦笑いを浮かべてそう言った彼女は、右手を戻し、タナを見上げて穏やかな笑みを浮かべた。

『今は仲間の所にお帰りなさい。今度はきちんと肉体と共に来なさいよ』

 クスリと笑い、彼女は手を振った。同じく、彼女の長い白い尻尾もゆらゆらと揺れていた。
 次第に女性の姿が霞がかり、意識が浮上し始める。タナはそれに逆らう事なく、身を委ねた。





 次の日、タナの熱も下がったので、一行は船で一度隣国のコロル国へ行き、そこで船を乗り換えてマハタック国へ向かった。
 南大陸は他の三大陸と比べ、気温はいくらか高く、雪も殆ど積もっていない。
 港町ルヴァースから乗り合い馬車に乗り、二日後、首都に移動した。

 大きな建物や城は未だ復興途中だったが、城下町の街並みは綺麗になっていた。
 魔族の手に堕ちた時は無人だったが、今は多くの人で賑わっている。どちらを向いても人々は笑顔を浮かべていた。

 タナとダリは王宮騎士の誰かに連絡を取りに魔道士協会へ向かい、他の四人は滞在の為、宿を探しに向かった。
 予想していた通り、マハタック国の騎士は皆忙しいらしく、その日のうちに誰かと再会する事は叶わなかった。
 六人は適当に暇を潰し、翌日。昼前に城下町でとある騒ぎが起きた。


 大通りを栗毛の馬がかなりの速さで駆け抜けていく。人々はそれに罵声を上げかけたが、乗っているのが王宮騎士団の一人だったので、大慌てで道を開けた。
 馬が大きく嘶き、前足を上げて一軒の宿の前で立ち止まる。
 その宿の二階の窓から様子を見ていたレイニーは、慌てて隣室のタナたちを呼び、階下へ降りた。

 食堂になっている一階では、昼食を摂りにきた客が全員、席から立ち上がっているという、異様な光景が広がっていた。

 人々が顔を向ける食堂の入口には、赤い上着に白のマントの王宮騎士と、幼い少女が立っていた。
 炎のような朱色の髪を肩より短めに切り揃え、淡い若草色のドレスを着ている、マハタック国の第一王女。彼女の後ろには茶髪の青年が立っており、穏やかな紫の目で一同を見ていた。

「しばらくぶりじゃの、タナ!」

 黒髪の青年の姿を見つけた王女が、満面の笑みを浮かべて駆け出す。人々は慌てて椅子やテーブルを退け、王女のために道を開けた。
 目の前の光景に僅かに驚いていたタナは、王女の声に小さく笑みを浮かべて頭を下げた。

「お久しぶりです、ネア王女様」

 幼い王女がタナに抱きつく。呆然としていたレイニーが我に返り、そっと二人に声をかけた。

「…部屋に移動した方が良くない…?」

 そう言って食堂内を指差す。人々はそわそわと落ち着き無く、こちらの様子を窺っていた。

「そうじゃの。案内を頼む」

 ネアが頷いてタナの腕を引っ張り、階段へ向かった。他のメンバーもそれについていく。レイニーはそこでようやく、王女の護衛騎士に声をかけた。

「マキ、久しぶり」
「ああ。元気そうでよかったよ」

 笑みを浮かべてレイニーが言うと、青年も微笑み返した。



 一同はタナとカレンが借りている部屋に集まった。二つある寝台の内のひとつに王女が座り、その正面の寝台にタナとカレンが腰かける。
 ダリとアイミは窓際に立ち、ユーリは扉のすぐ横の壁にもたれて立っていた。

 本来ならカレンも席を立つべきだ、とダリたち三人は思っていたが、タナもネアも気にしていないので、口に出す事はしなかった。
 三人は知らないが、そもそもカレンはカナムーン国第一王子なのだ。本来ならタナが席を立つべきだが、話の中心はタナとこの幼い王女なので、今回は見逃されている。

 レイニーとマキが少し遅れて部屋に入ったのを見て、ネアが口を開いた。

「話は聞いておる。四大精霊に会う旅をしておるそうじゃの」
「はい。風と水の大精霊には既にお会いしました」
「ふむ…」

 ネアは口元に手を当て、じっとタナの顔を見た。その表情は十歳の少女には似つかわしく無い、厳しい表情だった。

「お主は魔力の封印を解いた後、魔族の王と戦うつもりか?」

 タナはネアの紫の瞳を見つめ返し、しっかりと頷いた。

「そのつもりです」
「それは大賢者の生まれて変わりとしてか…?」

 ネアは更に尋ねた。その問いはまるで答えによっては大精霊に会わせられない、と言っているかのようだった。
 しかしタナは気にせず口を開いた。

「いいえ。僕自身の思いからです」
「ならよい。マクスレイド」

 王女は頷いて、寝台の側に立っている騎士に声をかけた。マキは返事をして頭を垂れる。

「はっ」
「馬車を一台城から連れてくるのじゃ。大精霊に会いに行くぞ」
「畏まりました」

 頭を下げたまま返事をし、マキは素早く部屋を出て行く。王女は体の後ろに両手をつき、体重を預けながら一同の顔を見渡した。

「何をのんびりしておる。さっさと準備せぬか」

 その声に立って話を聞いていた四人は部屋を出て行った。それを横目で見届け、脚を組み直したカレンがじっとネアを見る。

「王女様って何者なんだ?」

 可愛らしい容姿に不相応な言葉の数々。とても十の少女には見えない。
 ネアは人差し指を口元に当て、にっこりと笑みを浮かべた。

「秘密じゃ」
「ちぇ。ま、その幼い容姿が偽者でも、別に驚かないけどな」

 普段は男の姿をしている女魔法使いもいたのだ。ここでこの王女の実年齢が二十をとうに過ぎていたとしても、驚くどころかあっさり納得するだろう。
 カレンはそう言って寝台から立ち上がり、出かける準備を始めた。
 ネアはにこにこと笑みを浮かべたまま、二人の青年を眺め続けていた。





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