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18:全てを照らす紅き炎


 マハタック国の紋章入りの馬車は、一行を乗せて火山のひとつへ向かっていた。
 いくつもの火山があるマハタック国は、鉱山の国として栄えている。
 御者席に座り、馬車を操るマキの隣に座ったレイニーは、キョロキョロと辺りの景色を見回していた。そんな彼女を横目で見たマキは、小さく苦笑いを浮かべた。

「それにしても、レイニーまでこんな危険な旅に参加しているなんてな」
「折角だから大精霊に会っておくのもいいかもって、タナが言ったから」

 答えてレイニーは正面を真っ直ぐ見つめる。

「それにさ。知ってる人が命を賭けて魔族と戦おうとしてるのに、暢気に暮らしてられないでしょ? 役に立たないかも知れなくても、せめて近くで見届けたいというか……」
「そうだな…」

 全てを他人任せにするのではなく、何かしら力になりたいというレイニーの気持ちはマキにも分かった。魔族との戦いは全人類にとっての課題でもある。

 マハタック国奪還の礼もあるので、マキもタナに力を貸したいと思っていた。

「マキはこの国を守るっていう役目があるから無理かもね」

 まるで考えを読んだかのようにレイニーが言う。マキは小さく笑った。

「何だか前と逆だな」

 レイニーはカナムーン国の第一王女だからと、マハタック国奪還作戦には参加させない、と言った時の事を思い出す。あの時は結局レイニーが我がままを貫いた。
 その時の事をレイニーも思い出して笑みを浮かべた。

「そういえば、レイニーは他の国にも行ってみたんだっけ?」

 タナが風と水の大精霊に会ったと言っていた事を思い出す。水は確かサラー国だったな、とマキは尋ねた。
 レイニーは体の横に両手をついて、座り直しながら頷いた。

「うん。一番驚いたのはシャロル国の王宮騎士団長で、マキと同じくらいの歳の人だったよ」
「えっ!?」

 マキは驚いて思わずレイニーを見た。

「敏腕の騎士団長の噂は知ってたけど……」

 顔を正面に戻し、マキは僅かに落ち込んだ。
 自分と同じくらいの歳で騎士団長まで上り詰めるとは、どれだけ優れているのだろう。自分ですら、あと十年は騎士団長にはなれないと思っている。

 落ち込んでいるマキを見たレイニーは、彼の顔を覗きこむように見つめた。

「マキはその騎士団長みたいには、なって欲しくないかも」
「……どんな人だったんだ?」

 小さな呟きにマキが尋ねると、レイニーは眉を寄せて目を逸らした。

「いっつも笑みを浮かべてて、何でも知ってる風な偉そうな人。あと絶対女たらし」

 酷い言われように、マキは思わず小さく吹き出して笑った。
 若くして王宮騎士団長になるだけあり、一癖も二癖もありそうだった。



 一方、暖かな馬車の中でも、様々な会話が交わされていた。

「大精霊は以前お会いした場所にいらっしゃるんですか?」

 何気なくタナが尋ねると、正面に座る幼い王女は首を横に振った。

「あの場所は王族専用の避難場所じゃ。あそこに大精霊が居たのは特例じゃな。普段は一般市民も参る事が出来る遺跡におる」

 「成る程」とタナは頷いた。

「結構歩く事になるから、覚悟しておくといい」

 にっこりと笑顔で言われ、窓際の席に座るカレンは、ふと窓の外に見える火山を見た。
 噴火する事はなさそうだが、今もしっかりと山は活動しているのが遠目にでも分かる。

「……まさか」

 カレンの小さな呟きを耳にしたネアは、笑みを浮かべたまま頷いた。

「そのまさかじゃ。火口付近も歩くぞ」

 王女の言葉にカレン、ダリ、アイミは悲鳴を上げた。
 夏ではないだけマシだろうが、危険な事には変わりない。

「何でそんな所に遺跡があるんだよ!」

 カレンが叫ぶが、ネアは平然と答えた。

「そのような事をわらわに言われてものぉ…。火の力が一番集うのが火山の中じゃから、仕方あるまい」
「吊り橋とかは…ないですよね…?」

 風読み士の里に行くときに、精神的ダメージを食らったアイミが恐る恐る尋ねる。

「それはないから安心してよいぞ」

 王女の笑みに、アイミはほっと胸を撫で下ろした。彼女の横からダリが体を乗り出す。

「魔物とかいたりは…?」
「それは分からぬ。魔族と違って魔物は本能のままに生きておるしの」
「えぇ…」

 その答えに少年は顔を青褪めさせた。

 サラー国の時のように、もし溶岩の中から魔物が現れて、タナを引きずり込んだりでもしたら、という不安がダリを襲った。
 サラー国では水だったから良かったが、今回は溶岩なのだ。近付くだけで蒸発しかねない。

 ネアはそんな少年の考えを吹き飛ばすかのように明るく笑った。

「お主等、情け無いのぉ」

 このひと言に、ダリはがっくりと項垂れた。




 城下町を出発してから二時間程で、馬車は鉱山の入口のような所に到着した。
 今は廃坑になっているらしく、人影は全くない。だが、小屋などには荒らされた様子もなく、手入れも行き届いており、多くの人がこの地に訪れている事を窺わせた。

 四つある入口の内、正面にある大きな入口へネアは向かった。トロッコ用のレールの上に立ち、腰に手を当てて一同を振り返る。

「ここからは歩きじゃ。遅れるでないぞ」

 気合を入れ、幼い王女は護衛騎士のマキと共に歩き出した。


 複雑に入り組んだ薄暗い坑道を進むこと数十分。不意に前方から眩しい明かりが差し込んできた。同時に物凄い熱風が一同の間をすり抜けて行った。
 坑道が途中で途切れ、その先には火山の火口が広がっていた。
 今まで土だった地面に大小様々な黒い石が混ざり始める。

 一行は火口の壁の部分に出ていた。上空には冬の薄い青い空が広がっている。人が二人並んで通れるかどうかの幅しかない足場の先の遥か下には、赤く煮えたぎる溶岩が溢れていた。
 落下防止のロープが張られているが、気休め程度にしかなっていない。

 カレンとダリがロープに近付き、そっと下を覗く。爪先に当たった小石が落下し、溶岩の中に落ちる前に蒸発して消えた。

「…落ちたら絶対助からないよ……」

 顔を青くし、暑さではなく恐怖の汗を一筋流し、後退りながらダリが呟く。隣でカレンも僅かに顔色を悪くして頷いていた。


 岩壁に手を当て、慎重に火口付近を進み、再び薄暗い洞窟の中に入った。
 暗い場所を好んで棲む小さなコウモリが、キィキィと鳴きながら天井付近を飛んでいく。
 曲がりくねった一本道を黙々と進むと、再び視界が開けた。

 今度は火口付近ではなく、広い洞窟の中だった。奥行きもそうだが、天井が全く見えないくらいに高い。周りは全て剥き出しの岩肌で覆われていた。
 空間の中央辺りには大きな溶岩の川が流れており、辺りを赤く照らしている。
 川には石橋がかかっており、その先に目的の遺跡が建っていた。

 遺跡の入口に人影が見えた。格好から見て、参拝に来た旅人だろうか、と一行は橋を渡り、その人物に近付く。
 首を傾げながら遺跡の前をウロウロしていたのは若い女性だった。長い赤毛を高い位置で一つに束ねている。手には細長い棒が握られていた。
 魔法使い用の杖ではない。かといって歩く為の補助用の杖でもなさそうなところから、彼女は棒術の使い手なのだろう。

「お主、そこで何をしておる」

 いかにも怪しい行動をしている女に、ネアは少しきつめの口調で尋ねた。それでようやく一行に気付き、振り返った。

「あ、どうもー」

 どこかのんびりとした声で返事をし、女がペコリと頭を下げる。そして恥ずかしそうに頭を掻いた。

「実は中に入れなくて困ってたんですぅ…」

 あはは、と乾いた笑いを浮かべる彼女に、一同は納得していた。
 この地には大精霊が存在しているのだ。一般人がそう簡単に遺跡に入れないようになっているのだろう。
 しかし幼い王女は口元に手を当て、何やら考え込んでいた。紫の瞳を女に向けた次の瞬間、

「キャアアッ!」

 ボッ! と女の体が赤い炎に包まれた。いきなりの出来事に一同に動揺が走る。

「ネア王女様!?」

 王女の側に立ち、魔力が放たれたのを見たマキが、目を見開いてネアを見た。
 女の全身を覆うこの炎は、彼女が放ったものだと気付いたのだ。

「黙ってみておれ」

 しかし横目で睨まれ、マキは思わずたじろいだ。王女の紫の双眸は逆らう事を許さない、鋭い輝きを放っていた。
 消火をしようとしていたタナとダリも止め、ネアは女に向かって口を開いた。

「ここは確かに結界が張られてある。じゃがそれは魔族に対してじゃ。――正体を見せよ」

 高い少女特有の声が響き渡ると、女は悲鳴を消して笑い声を上げ始めた。

「うふふっ。流石はこの国の第一王女様ですねぇ。とても賢いです」

 手に持っていた棒を横に薙ぎ払うと、女を包んでいた炎が瞬時に掻き消えた。
 あれだけ炎に包まれていたのに、焦げ跡ひとつついていなかった。

「嫌味はいらぬわ」

 護衛騎士のマキの背後に庇われながらネアが言うと、女は棒を頭上でクルリと回転させ、トン、と地面についた。

「じゃあ、こういう物はいかがですか?」

 女がにっこりと笑みを浮かべると、一行の背後の溶岩の川が大きく盛り上がり始める。
 どろりとした溶岩の中から姿を現したのは、てらりと光る朱色の鱗を持った、四足歩行の巨大な竜だった。

「火竜…!?」

 その姿を見上げてアイミが思わず声を上げた。しかしネアは顔を顰め、吐き捨てるように答えた。

「あれはただのトカゲじゃ」

 そう言われればトカゲに見えるかも知れなかったが、その体は竜と見紛うほど巨大だった。
 巨大なトカゲは息を大きく吸い込み、そして吐き出すのと同時に火の玉をいくつも吐き出した。
 マキは咄嗟に王女を抱きかかえて跳び退いた。他のメンバーもそれぞれ火の玉のを避けた。

 のそりと重い動作で巨体が溶岩の川から這い上がってくる。同時に小さなトカゲも溶岩の川から無数に姿を現した。

 火の玉を避けたタナは、反射的に手に持っていた杖を両手で構えた。直後、赤毛の女が細長い棒を繰り出してきた。
 ガツッ! と鈍い音を上げ、棒が杖の柄部分に当たった。衝撃にタナは僅かに後退る。
 女はすぐさま棒を握り直し、棒の反対側でタナを打ちつけた。あまりの速さについていけず、右肩を強く殴られる。
 痛みに杖を取り落としそうになったが、何とか堪え、次の攻撃を杖で防いだ。



 遺跡の入口付近にネアを下ろしたマキは、タナの援護に駆けつけようとした。だが、いつの間にか地面を覆うようにトカゲが溢れており、簡単には近づけそうにはなかった。

「タナは放っておいても大丈夫じゃ! お主はあの巨大なトカゲの相手を!」

 前髪の煤を払いながらネアが叫ぶ。マキは「了解」と、火の玉を吐きながらのそのそと歩き回っている巨大なトカゲに向かって走り出した。


 小さなトカゲは長い尻尾の先を燃やしながら、レイニーたちに襲い掛かった。
 レイニー、カレン、ダリ、アイミの四人は一箇所に集まり、一匹ずつ確実に倒していく。

 ユーリは背負っていた大剣を軽々と振り回し、降り注ぐ火の玉を斬り捨てながら、巨大なトカゲに迫っていた。重い黒鉄の鎧を身にまとっているにも関わらず、その動きは俊敏で、火の玉や長い尻尾による攻撃を易々とかわしていた。
 しかし大剣の攻撃は硬い鱗に見事に弾かれ、火花をいくつも散らしていた。
 大きく後ろに跳躍して、長い尻尾を避ける。そこにマキが走り寄り、腰の剣を抜き放った。

「ああいうタイプは腹が弱そうだけど」

 マキが声をかけると、ユーリも頷いた。

「上手い具合に立ち上がってくれればいいが」

 巨大なトカゲの腹は地面スレスレにあるため、入り込むスペースもなさそうだった。
 鱗に覆われている部分をいくら攻撃した所で、大したダメージにはならないのが目に見えている。
 腹よりも弱点の、ギョロリと半分飛び出ている大きな赤い眼に攻撃するという手もあるが、恐らく剣が届く寸前に硬い瞼で塞がれる事だろう。

 さてどうしたものか、と、ふとマキは小さなトカゲと戦っている四人に目を向けた。

 四人の中で一番付き合いの長いレイニーがマキの視線に気付き、瞬時に状況を理解して、側にいる茶髪の少年に声をかけた。

「ダリ、向こうの援護をお願い」

 小さな風の刃でトカゲを斬り捨てていたダリは、辺りを見回して頷いた。

「オッケー」

 ダリと同時に作戦に気付いたアイミが、腰のベルトに取り付けてある短剣を抜いた。

「精霊の剣よ!」

 彼女の声にクリスタルの刀身が赤く煌く。直後、溶岩が川から勢い良く溢れ出し、四人の周りにいた小さなトカゲを飲み込んでいった。

 火属性のトカゲにはダメージはなさそうだが、溶岩に溺れるように押し流され、巨大なトカゲへの道を開く。
 すぐさまダリは巨大なトカゲの足元付近にいる二人の元へ駆け出した。

 巨体が大きく息を吸い込み、火の玉を吐き出す。ダリは走りながら呪文を唱えた。少年の全身が淡い黄色の光に包まれ、魔力が弾ける。
 直後、火の玉が瞬時に凍りつき、地面に落下して砕け散った。
 火の力が満ち溢れているこの場所で、水属性の魔法を使う少年の、予想以上の魔力の高さに一同は僅かに驚いた。

 火の玉の攻撃からの守りをダリに任せ、マキとユーリは同時に地面を蹴った。
 マキはトカゲの頭を目掛けて跳躍し、剣を大きく振りかぶる。溶岩の赤い光を受けて白刃が煌いた瞬間、マキは短く呪文を唱え、その光を乱反射させて辺りに強烈な光を放った。
 光をもろに食らった巨大なトカゲは雄叫びを上げながら身悶え始める。
 辺りは薄暗い上に、大きすぎる眼にあの光は強烈すぎ、痛みを与え、視界を奪ったのだった。

 巨体を揺らしながらのた打ち回り、マキ目掛けて太い前足を振り上げる。その瞬間、腹の下にユーリが入り、大剣を下段から振り抜いた。
 硬い鱗に覆われていない腹はざっくりと切り裂かれ、更に追い討ちをかけるように、ダリの風の魔法で切り刻まれた。
 断末魔の悲鳴と共に地響きを上げ、巨体が崩れ落ちた。直後、ザァ、とその体が灰になっていった。




 女は地面に棒を突き立て、それを支えに跳躍してタナの脇腹に蹴りを入れた。
 元々体術の苦手な青年の体が、軽々と吹き飛ぶ。タナはすぐに杖を支えに体を起こした。すぐさま杖を構え、迫る女の棒を受け止める。
 しかし体勢の悪いまま攻撃を受け止めた為、青年は再び地面を転がった。

 女は突き出していた細長い棒を引き戻し、目を細めてタナを見下ろした。

「殺しはしません。ただ少し眠っていてくださいね」

 棒を手に、女がゆっくりと歩み寄る。タナは頭を振って体を起こし、杖を地面について立ち上がった。女との距離を掴み、すっと前方に杖を構える。そして小さく呪文を唱えた。

 杖の先端の緑の宝石が、タナの声に応えて煌く。

「なっ…!」

 女は目を見開いて慌てて自分の周りを見た。瞬きの間に彼女の足元に魔法陣が浮かび上がり、白い光の柱が天井高くまで伸びた。

「アアァアッ!」

 地面から湧き上がる魔力に、女の髪や服が大きくはためく。その体は次第にボロボロと崩れ始めた。

「くっ…何時の間に…!」

 鋭い目で黒髪の青年を睨み付ける。

 彼はずっと自分の攻撃を食らっていて、ここまで高度な呪文を唱えている暇はなかったはずだ。
 タナは少し切った口元を手の甲で拭って女を見つめ返した。

「攻撃を受けながら魔法陣を引かせてもらいました」

 杖を支えに立ち上がる時、杖に魔力を流して陣を描く為に必要な点を作っていったのだった。
 攻撃を避ける位置なども計算しなくてはならず、中々難しいこの方法を、タナは見事に成し遂げた。

 それを知った魔族の女は遂に抗うことをやめ、小さな笑みを浮かべて、光に呑まれて消えていった。


 小さなトカゲが一斉に溶岩の川の中へと還っていく。
 一同は遺跡の入口の石段に腰を下ろしている幼い王女の前に集まった。
 王女は紫の目を細めて微笑み、一同の顔を見渡してから立ち上がった。

「よくやった。では改めて大精霊に会うとしようかの」

 そう言ってドレスの裾を翻し、ネアは遺跡の中へ歩き出した。




 遺跡の中は外と比べ、ヒヤリと涼しかった。
 魔法の明かりに照らされた通路は一本道で、数分も進まず広い円形の空間に出た。
 数段上がった先に遺跡を造っている石と同じ物で造られた祭壇があり、その前に一人の女性が立っていた。
 長い赤毛の先が炎と化している大精霊ファイ。
 彼女は無表情のままネアに頭を下げ、そしてタナを真っ直ぐ見た。

「お久しぶりです」

 タナが頭を垂れて挨拶をすると、ファイは頷いた。

「久しぶりね。何やら外が騒がしかったみたいだけど」
「魔族が入り込んでおったわ。返り討ちにしてやったがの」

 タナの隣で女性を見上げてネアが答えた。ファイは「そう…」と小さく呟いた。

「じゃあ貴方の封印を解くわね」
「お願いします」

 ファイはそっと赤い目を閉じた。

「我、大精霊ファイの名において、火の封印を解き放つ」

 静かな声が辺りに響き渡る。
 彼女の全身が赤い光に包まれる。ゆっくりと上げられた右手にその光は集まり、タナの体へと吸い込まれていった。

 一瞬後、タナの足元から温度の無い赤い火柱が上がり、すぐに掻き消えていった。
 全身が炎に包まれた瞬間、タナの脳裏に映像が流れた。既に三度目ともなれば、特に驚く事もなかった。



 辺りの景色が一瞬で切り替わり、青々とした森が広がる。
 その森の中には多くの蔦に覆われた、古びた一軒の屋敷。風読み士の里でも見た、大賢者アイオンの師匠の屋敷だった。

 屋敷の入口に一人の若い女性が立っており、何度も呼び鈴を鳴らしていた。
 肩よりも少し短めに切り揃えられた炎のような赤い髪。そして朝焼けに染まる空のような紫の双眸。
 その姿を見て、タナは思わず目を見開いた。タナはこの人物を知っていた。否、正確にはその人物の数年後を見ているようだった。

『うっせーな! 聞こえてるよっ!』

 男の怒鳴り声と共に、屋敷の扉が慌しく開いた。頭に布を巻き、手には柄の長い箒を持って眉を吊り上げた大賢者が姿を現した。

『…どちらさん…?』

 呼び鈴をしつこく鳴らしていたのが女性だと分かり、青年は怒りを瞬時に消して首を傾げた。
 赤毛の女性は彼を見上げ、紫の目を細める。

『お主がアイオン=ジルクリストじゃな。……小生意気そうな顔をしておるのぉ』

 独特的な女性の喋り方に、タナははっきりと確信した。

 間違いなく彼女はマハタック国の第一王女、ネアだった。彼女の先祖や他人の空似ではないのは明らかだった。
 それに気付いた瞬間、タナの目の前が熱を持たない赤い炎に包まれる。一瞬後、辺りの景色が元の遺跡の中に戻った。



「――これで大丈夫よ」

 ファイの声が聞こえ、タナは彼女に礼を言いつつ、幼い王女に目を向けた。その視線に気付いたネアが、紫の瞳を細める。

「ふむ…何か見えたようじゃの」

 腕を組んで見上げてくる少女に、タナは躊躇いつつも答えた。

「その……大賢者アイオンと、ネア王女様に良く似た方が……」

 彼の言葉にその場に居た全員が息を潜めて王女の答えを待った。皆、この王女が只者では無い事に薄々気付いている。
 しかしネアは、全員からの視線をものともせず、黒髪の青年をじっと見つめ、そしてゆっくりと口を開いた。

「それはわらわではないぞ。わらわであって、わらわでは無い、と言った方がいいかも知れぬが」

 悪戯っぽく笑みを浮かべるネアに、肩の力を抜いたカレンが「何だよそれ…」と力なく突っ込みを入れた。

「いずれ分かる。それより残るは土じゃな」

 この話はここで終わり、とばかりに話題を変えたネアに、タナは素直に頷いた。
 今までの流れでいくと、迷いの森でも魔物に襲われそうな予感もしたが、行かない訳にもいかない。
 何やら考え込んでいる黒髪の青年の腰を軽く叩き、ネアは笑みを浮かべた。

「困った時はいつでも連絡するといい。必ず力になるぞ」

 幼い王女の年相応の笑みにタナも微笑み返して頭を下げた。





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