19:解放 マハタック国の城下町に戻った一行は、そこでネア王女と護衛騎士のマキと別れた。 宿で一泊し、南大陸の北の港町ルヴァースから、東大陸行きの船に乗る。 冬ももうすぐ終わりなのか、気候は穏やかで、三日後には東大陸の玄関口、港町アルスロネに到着した。 宿を取り、翌朝。一行は乗り合い馬車で迷いの森へ向かった。 森の入口でダリが鞄から一枚の羊皮紙を取り出す。そして森に向かってかざした。 かつてこの森を通る時にマハタック国の女騎士アナーシャが持っていたものと同じ、縁を金粉で飾られた上質の羊皮紙だった。 「ルーンアルス国の許可は下りた。道よ、開け」 少年がそう言うと、羊皮紙から光が放たれ、一行の目の前の景色がぐにゃりと大きく渦巻き、道が開ける。 羊皮紙を鞄にしまいながら、ふとダリは首を傾げた。 「僕、大精霊が何処にいるかは知らないよ?」 「精霊にお願いして呼んできてもらいましょう」 そう答えてタナは森へと足を踏み入れた。他の五人も遅れないように彼の後を追った。 少し進んだ場所にあった開けた空間で一行は足を止めた。 長い杖を両手で握り、タナが小さく呪文を唱えると、ふわりと桃色の小さな光が現れ、カレンの頭の上に止まった。 目の覚めるような派手なピンク色の髪を持った、手のひらサイズの精霊が光の中から姿を現した。半透明の小さな羽をパタパタと忙しなく動かしている。 『やほー! 久しぶり!』 精霊はにこにこと笑みを浮かべて手を振った。どうやら以前この森を通った時に会った精霊のようだ。 タナは軽く頭を下げて口を開いた。 「いきなりですみません。大精霊アソールにお会いしたいのですが…」 『ちょっと待っててね』 答えて小さな精霊はパッと姿を消した。直後、ザワザワと木々がざわめき出し、一行のすぐ側に黄色の光の玉が無数に集まり始めた。 光は人の姿を形作り、中から一人の青年が姿を現した。 地面と繋がる長い黄色の髪。悠久の大地のような双眸がタナを見た。 目があったタナは小さく頭を下げた。 「お久しぶりです。大精霊アソール」 「ああ、騒がしい風から話は聞いている。お前の中の封印を解こう」 「お願いします」 アソールは頷いて目を閉じた。彼の全身が黄色の光に包まれる。 「我、大精霊アソールの名において、土の封印を解き放つ」 静かに呟かれた声に、アソールの全身を包んでいた黄色の光がタナの目の前に集まり、そして彼の中に消えていった。 「――ッ!?」 直後、タナの全身から膨大な魔力の光と風が溢れ出した。青年の髪とマントを大きくはためかせる。タナは咄嗟に杖を地面に突き立て、吹き飛ばされないように踏ん張った。 タナの魔力に共鳴し、森がざわめき始める。周りの景色が次第に歪み始めた。 「……まずいな」 アソールが眉を寄せて辺りを見回した。 急に様子がおかしくなりはじめた森に、五人も不安そうに周りを見渡した。 「どうしたの…?」 レイニーが尋ねると、アソールは更に顔を顰めた。 「タナの魔力が暴走しかけている……」 「え…」 一同が白い光に包まれている黒髪の青年に目をやった瞬間、側の木や草花が急激に枯れ、ザァ、と砂と化していった。 「きゃっ!」 「うわッ!?」 直後、青年から強烈な光が放たれ、五人の姿がその場から掻き消えた。 「アソール!」 甲高い声が響き、アソールのすぐ側に緑、赤、青の三色の光の玉が現れる。その光から風、火、水の大精霊が姿を現した。 「一体どうしたの!?」 細い眉を吊り上げてエリルが叫ぶと、アソールは苦しそうに顔を顰めてタナを見た。 「封印を解いた所為で、魔力が暴走しているんだ」 「そんな…!」 四人の大精霊はすぐにタナの周りに集まり、両手をかざした。 様々な光が青年に向かって放たれるが、青年の魔力は収まるどころか、どんどん湧き上がっていく。 「くっ…!」 タナもアイオンの杖を両手でしっかりと握り締めて体を支えながら、必死に魔力を制御しようとしていたが、抑えきれずにいた。 大賢者が持っていた魔力はこんなにも膨大だったとは。 タナは歯を食いしばり、意識が飛ばされないように集中を続けた。 森が悲鳴を上げ、小さな精霊たちと共にタナの魔力に触れ、かき消されていく。 迷いの森を住処にしているアソールの姿が、いつの間にか薄らいでいた。 「このままじゃまずいわ…!」 「アソール、しっかりして!」 ウィムの声にエリルがアソールを見て悲鳴を上げる。 完全消滅する事はないだろうが、このままでは尋常ではない被害が出てしまう。 「アソールッ!」 エリルが叫んだその時、バサリ、と大きな羽音が辺りに響き渡った。 真白い光の中でも、その存在を誇示し続ける漆黒の羽根がいくつも舞う。 「――ゆっくりと深呼吸するんだ」 聞こえてきたのは少し低めの穏やかな声。誰かがタナの持つ杖を握った。 タナはゆっくりと顔を上げてその姿を見た。 まず目に入ったのは彼を真っ直ぐ見つめる深い青紫の双眸。そして長い桜色の髪と、一対の漆黒の翼。 見たことの無い魔族の青年が目の前に立っていた。 彼はタナの手首にはめられている銀のブレスレットに触れた。 「この魔力は全てお前の物だ。恐れる事はない」 まるで凪いだ水面のような静かな声色に、不思議とタナの中の焦りが消えた。白い光が僅かに弱くなっていく。 「力任せに押さえつけるのではなく、そのままを受け入れろ」 良く分からないが、タナは頷いて目を閉じ、大きく深呼吸をした。 水の中に漂っている感覚が全身を襲う。だがタナはその感覚に逆らわずに身を委ねた。 手首のブレスレットが光を受けてキラリと煌く。その一瞬後、杖の先端の宝石が緑色の光を放った。 白い光が緑色に染まり、魔力の風が次第に収まっていく。消えかけていたアソールの姿も元に戻り始めた。 「アソール! 良かった…!」 エリルが大きな翡翠の瞳に涙を浮かべて彼に抱きつこうとする。しかしアソールはさっと顔を青くし、その場から跳び退いた。 光と風が収まり、森が落ち着きを取り戻した。直後、タナの体がフラリと傾いた。魔族の青年が優しくその体を抱き止める。 タナの体を支えながら地面に座らせ、青年は口元に小さな笑みを浮かべた。 「良く堪えたな」 「有難う御座います……貴方は…?」 タナは荒い呼吸を整えながら青年の顔を見上げた。青年は笑みを消して呟いた。 「――スクウェルドだ」 それだけ告げて彼は立ち上がり、背中の翼を広げて飛んでいった。 青年と入れ替わるように、森の別の所に飛ばされていた五人が戻ってきて、タナの側に駆け寄る。 「タナ!」 心配顔で走り寄ってきた五人に、タナは座り込んだまま頭を下げた。 「ご迷惑をおかけしてすみません」 「ううん。いきなりで驚いたけど、何とかなったみたいで良かったよ」 タナの正面に膝を付いてダリが言う。他の四人も頷いていた。 「まさかあんなに暴走するなんてね」 ふわりとエリルがタナの側までやってきて呟いた。 「もう何ともない?」 顔を覗きこんで尋ねると、タナはしっかりと頷いた。 「ええ、大丈夫です」 杖を支えに立ち上がり、先ほどよりも姿が一回り小さくなっているアソールに向かって頭を下げた。 「すみません。僕が未熟な所為で森が……」 タナは苦しそうに吐き出した。 迷いの森はタナの暴走した魔力に触れ、本来の姿を失っていた。 辺り一面に生えていた木々は全て砂と化し、普段ならば見ることの出来ない青い空が広がっている。草木だけでなく、力の弱い精霊もこの騒ぎでいくつも消滅してしまった。 杖を握る青年の手が微かに震えている。レイニーは心配そうに俯いているタナを黙って見つめていた。 同じように黒髪の青年を見ていたアソールは、静かに首を横に振った。 「いや、大した事はない。俺たちももう少し様子を見てから封印を解けばよかったな……」 「えー。封印を解いたくらいで暴走するとは誰も思わないじゃん」 口唇を尖らせ、エリルが不満一杯に言う。ファイは腕を組んでそんな彼女を見た。 「ずっと魔力をせき止めていたものがなくなったんだから、暴走して当然でしょ?」 「む!? ファイはこうなるって知ってたのね!?」 「さあ、どうかしら」 細められた緑の目に睨まれ、ファイは顔を逸らして空気に溶けるように姿を消した。 「コラ! 待ちなさい!」 叫びながらエリルもパッ、と姿を消した。 騒がしいのが消えてほっとしたアソールは、深々と溜息を吐いた。その様子に小さく苦笑いを浮かべた青い髪の女性、ウィムがタナの前までそっと歩み寄る。 じっと青年の黒い目を見つめて口を開いた。 「取り敢えず今は大丈夫みたいですね。しかしくれぐれも無茶はなさらないでくださいね」 「……はい」 タナは素直に頷いた。あれだけ暴走したのだから、流石に無茶をする気にはならなかった。 ウィムは満足そうに微笑んで姿を消した。最後に残ったアソールは、六人の顔を見渡した。 「帰りの道を開いておこう」 それだけ言って、彼もまた姿を消した。 直後、周囲の景色が歪み、開けていた空間は消え、いくつもの木々が立ち並ぶ場所に変化していた。 一同の目の前には一本の道。 一行は早く街へ戻って休もう、とその道を歩き出した。 緩く三つ編にしている長い桜色の髪をなびかせて空を飛んでいた青年は、迷いの森から少し離れた場所に降り立った。 街道の側の林に見知った気配を見つけたのだ。 背中の翼を消して降りた場所から少し歩くと、その気配の持ち主を発見した。 太い木の幹に体を預け、腕を組んで佇む黒髪の女性。 「――セルジュ、来ていたのか」 声をかけると、女は緑の目を細めた。 「それはこっちのセリフよ。まさかあんたがわざわざ出てくるなんてね」 「……放っておけなかったからな」 青年はポツリと呟いた。 暴走していた魔力が、まるで心の悲鳴のようだった。 「よく言うわよ。今まで逃げてたクセに……」 「だからこそだ」 鋭い目に睨まれるが、青年は表情を変える事無くセルジュを見ていた。 力強いその声色に、彼女は肩を竦めた。青年はふと青い目を逸らして、先ほどのことを思い出す。 「まだ未熟だったな……」 自分たちの良く知る人物に似ている魔法使いの青年。だが己の力に押し潰されそうな程に、酷く脆いように見えた。 「そうね。まだまだだわ」 セルジュが小さく呟いた。 直後、側の空気が震え、二人は瞬時に身構えた。 林の一部分の景色が歪み、そこから黒いフードを深くかぶった人物が姿を現す。その人物は頭を垂れ、二人の前に跪いた。 「――スクウェルド殿、セルジュ殿。アビス様がお呼びです」 「……」 二人は黙って黒フードの人物を見下ろしていた。二人から発せられる目に見えない力の前にも全く怖気づく事なく、その人物は続けた。 「『お前たちに拒否権はない』との事です」 それだけを告げて、黒フードの人物は空気に溶けるように姿を消した。 セルジュとスクウェルドは無言でその場をただ睨み続けた。 迷いの森から戻った一行は、それぞれ宿の部屋へ消えていった。 翌日、北大陸行きの船に乗ることになり、レイニーとアイミはその準備をしていた。 その時、部屋の扉がノックされ、二人は顔を見合わせて首を傾げた。 扉に近い所にいたアイミが鍵を開けて扉を開けると、金髪の青年カレンが不機嫌そうな表情で立っていた。 「カレン。どうしたの?」 アイミが声をかけると、青年は金の髪を掻いて部屋の中のレイニーに目を向けた。 「おい、レイニー。タナとちょっと話をしてきてくれよ」 「へ?」 いきなりの事に意味が分からない、とレイニーは素っ頓狂な声を上げた。だがすぐにカレンが言いたい事を理解する。 迷いの森から戻ってすぐ、タナは食事も摂らずに部屋に戻ってしまったのだ。森で起きた出来事が、かなりこたえているらしい。 そして同室のカレンが部屋に戻り難い、と助けを求めに来たのだった。 「うーん…取り敢えず行くだけ行ってみるけど……」 期待しないでね、とレイニーは小さく苦笑いを浮かべて隣室へ向かった。 「タナ、入るよ?」 扉を軽くノックして開ける。部屋に入る前にちらりと廊下にいるカレンに目を向け、足を踏み入れた。 黒髪の青年は寝台に腰をかけて窓の外を眺めていた。何処と無く気落ちしている風だった。 「レイニーさん、どうかしました?」 顔をレイニーに向け、尋ねる。レイニーは扉を後ろ手で閉めながら少し眉を寄せた。 「その…あのね」 口ごもりつつレイニーはタナの隣に腰掛け、彼の顔を見上げた。タナは微かに首を傾げている。 「あたし、こういう時、何て言っていいかわからないけどさ……」 迷いの森を滅茶苦茶にした事は気にするな、では無責任過ぎる。かと言って早く魔族の王を倒そう、も無茶だろう。 レイニーは青年の黒い目を見つめ、頭の中でぐるぐる考えた。 「……辛い時は素直に辛いって言っていいんだよ……」 黙ってレイニーを見ていたタナは、そこでようやく彼女の言いたい事を理解した。 レイニーは自分が落ち込んでいると思い、励ましてくれているのだ。 タナは小さく微笑んだ。 「はい、有難う御座います。僕は大丈夫ですよ」 「本当に?」 レイニーがじっと見つめて尋ねるが、タナは頷いた。 「ええ、嘆くのも後悔するのも全て終わってからって決めてるので」 「そっか。タナは強いね……」 レイニーはポツリと呟いた。 彼は今、何をしなければいけないのかをきちんと分かっている。 しかしタナは小さく首を横に振った。 「僕はそんなに強くないですよ」 そう呟いて、寝台の枕元に置いてある鞄から、小さな布袋を取り出してレイニーに手渡した。 「何これ…?」 レイニーはきょとんとしてタナと袋を見つめた。 「開けてみてください」 タナに言われ、レイニーは紐を解いて中を覗いた。袋を逆さにして中身を取り出す。 「これって……」 レイニーは目を見開いて思わず呟いた。 タナから渡されたのは銀製の指輪だった。宝石などは一切ついていないが、細かな彫刻が施されている。 「急いで作ったので、雑な仕上がりですけど……」 タナはそう言って指輪を持ち、レイニーの右手薬指にはめた。 レイニーは言葉を失くして指輪をまじまじと見つめていた。 「レイニーさんが困った時に、一度だけ守ってくれるようになってます」 タナはレイニーの細い手を軽く握ったまま、指輪を見ているレイニーを見つめて続けた。 「本当ならこんな魔法アイテムに頼らず、僕の力でしっかりレイニーさんを守ってあげたいんですけど……」 今の自分にはまた魔力を暴走させる可能性が高い。だからタナはこの指輪を用意した。 レイニーはゆっくりと顔を上げて黒髪の青年を見た。 タナの言葉のひとつひとつが心の中にじんわりと広がり、胸の奥がぽっと暖かくなっていくのを感じた。 どうしてこの青年は、自分の事で一杯のはずなのに、ここまで人の事に気を回す事が出来るのだろう。 (…やっぱり、タナは強いよ…) そう思うと自然と笑みが零れた。 「ありがとタナ…凄く嬉しい」 仄かに頬を染め、囁いたレイニーにタナも笑み返した。 「おい、入るぞ」 ノックと共にカレンが部屋に入ってくる。それを見てレイニーは寝台から立ち上がった。 「じゃあ、あたしは戻るね」 黒髪の青年に微笑んで、レイニーは部屋から出て行った。 二人を交互に見たカレンが、ふと呟く。 「何だか元気が出たみたいだな」 「ええ、レイニーさんのお蔭です」 そう答えて、タナはレイニーが出ていったばかりの扉を見つめて、小さく微笑んだ。 |