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すれ違う葛藤に女神は微笑む【1】


 ジュノ港の通りを歩いていると、急に高い位置に結んでいた髪を引っ張られた。
 驚いて振り返ると、フルフェイスのメットを被った人物がリトトの青い髪を掴み上げていた。黒い鎧を着た体型を見た感じ、ヒュームのようだが、このような仕打ちをする人物を彼女は知らない。

「な、何!?」

 いきなりの事で多少混乱しつつ尋ねると、相手はただ一言、

「アレクは何処だ」


「アレ君の知り合い? というか頭痛いんだけど、離して!」

 ジタバタと髪を掴む手から離れようと暴れるが、髪が抜けそうな予感がするだけで、振りほどく事は出来なかった。加えて大鎌の刃を首筋に当てられる。


 ジュノの街中で何か問題が起きる訳もない、ただ戯れているだけだと思われているようで、側を通りかかる冒険者達は我関せず、と地下の競売所や各飛空挺乗り場へと足早に通り過ぎていく。

「アレクの所為で悲惨な目に遭った」とか「今日は奴はジュノに滞在してる筈だったけど…」とか様々な事を考えていると、前方から聞きなれた甲高い声が響いた。

「リトト!?」

 金髪を高い位置でひとつに束ね、白いエラントウプランドを着たタルタルの少女。腰に片手剣を帯剣している彼女、レヴィルルが丸い目を見開いてこちらを見ていた。

「ちょっと! 女の子になんて事してるの!!」
「そうよ、ハゲたらどうするのよ!」

 リトトが叫んだ次の瞬間、レヴィルルは剣を抜き、リトトの髪を掴み続けるヒュームに斬りかかる。
 小さな体を生かし、ヒュームの足元から捻りを加えながら跳躍して斬り上げ、落下の勢いと共に剣を振り下ろす、サベッジブレード。
 しかし振り下ろした剣は、繰り出された大鎌の刃によって弾き返された。レヴィルルの小さな体が易々と宙を舞った直後、赤い飛沫が散った。

「レヴィルルッ!!」

 リトトが悲鳴を上げ、彼女の元に駆け出そうと再び暴れながら呪文を唱える。彼女の髪を掴んでいたヒュームは、それをうざったそうに、まるで物のように軽々と少女を放り投げた。
 そのまま大鎌で切り裂こうとするが、金属特有の耳障りな音を響かせ、『プロテス』の青い光に阻まれる。
 投げられたリトトの小さな体を受け止めたのは、あの鎌で斬られた筈のレヴィルルだった。

「レヴィルル!?」
「――ゲホッ…コンバート……」

 呟かれたその言葉に、リトトは彼女の斬られた胸を見た。白かったローブはぐっしょりと真っ赤に染まっていたが、血は止まっているようだ。
 熟練の赤魔道士のみが使える秘儀『コンバート』。
 失った魔力を回復させる為に、体力と入れ替える事が多いこの技だが、詠唱無しで一瞬で体力と魔力を入れ替える事が出来る為、体力回復に使う赤魔道士も少なくない。
 しかし癒しの魔法『ケアル』ではなく、無理やりに体力を回復させる為、傷は塞がっても術者の疲労はかなり大きい。

「アレクの馬鹿……」

 レヴィルルの体を支えながらリトトは、呪文を唱える時間すら無いのに気付き、せめて空中庭園ル・ルデの庭まで届く悲鳴を上げてやる、と決めた。
 既に大鎌は二人に迫りつつある。リトトは大きく息を吸って声を上げた。

「もーー! 何でアレクが呼ばれてるのにあたし達がこんな目に遭わなくちゃいけないのよ、バカアレク! あんたなんかさっさと姫に振られてしまえッ!!」
『なんだと!?』

 先ほどまでリンクシェルにいなかったアレクの怒鳴り声が聞こえた。目の前の相手にも声が届いたらしく、一気に距離が詰まる。

「――アレク…ッ!」

 鎌が少女二人に目掛けて振り下ろされるが、レヴィルルが素早く唱えた『プロテス』――先ほどの物より上級の光に弾かれる。相手がたたらを踏んだ瞬間、良く狙いを定めないまま放った『サンダー』の魔法がフルフェイスメットを掠る。
 ピシッ…と小さな音を立てて、僅かに欠けたフェイスから覗いた顔に、二人の少女は声も出ない位に驚いた。

「――アレクに伝えろ。幼馴染を預かった。『海蛇の岩窟』の最奥まで来い、と……」

 慌てて顔を抑えて二人から離れたヒュームは、それだけ言って呪符デジョンを発動させて消えていった。


「「……アレク?」」

 微かに漂う魔法の残り香を見つめつつ、レヴィルルとリトトは呟いた。

『さっきから喧嘩売ってるのか? お前ら……』

 リンクパールから届くアレクの声で緊張が解けたのか、レヴィルルの体がフラリと傾いた。

「ちょっ…レヴィルル!? しっかりして!!」

 慌ててリトトが抱きとめようとするが、気を失った体は思いの他重く、元々黒魔道士の自分には体力が無いので、二人揃って地面に転がる。
 レヴィルルに圧し掛かられたまま、上着のポケットからリンクパールを取り出し、リトトは再び叫んだ。

「アレク、すぐに来て! レヴィルルが…!!」

 先ほどまでとは打って変わって危機感迫るリトトの声に、流石にただ事では無いと、近くにいた冒険者達が集まる。その冒険者をかき分け、文句ひとつも零さずアレクが駆けつけた。





 ジュノ上層の診療所待合室には、リトト、アレクの他に、リトトの悲鳴を聞きつけたエルヴァーンの男シグリッドと、ヒュームの娘キアーラがいた。
 レヴィルルの方は傷は塞がっているが、『コンバート』で無理やり塞いでいる状態なので、医者に絶対安静を言い渡され、奥の部屋で眠っている。
 リトトは三人に簡単に状況を説明した。

「いきなり『アレクは何処だ』ってヒュームが……」

 一度言葉を止め、リトトは黒髪の青年を見上げる。

「……アレクにそっくりなヒュームだった」

 目が合っていた彼の表情がみるみる険しくなっていく。

「――アレスだ」
「アレス?」

 腕を組んで壁にもたれて立っていたシグリッドが尋ねる。アレクはうざったそうに前髪を掻き上げ、溜め息を零した。

「いつも何かしら邪魔しにくる奴だよ。俺が何したんだっての」
「……アレ君なら知らず敵を作ってるんじゃないの?」

 ボソリと呟いたのは、待合室のソファーに座るリトトだった。
 頭を押さえてアレクが睨みつけるが、少女は素早く視線を逸らす。

「それより、”幼馴染を『海蛇の岩窟』に預かった”って――幼馴染ってゆあちんの事でしょ? 早く助けに行かないと」
「――俺は行かないぞ」

 その言葉にリトトは驚いてアレクを見上げた。他の二人もじっと青年を見つめている。
 三人の視線を一斉に受けて、アレクは小さく肩を竦めた。

「そもそもあいつと再会した時に言っておいた事だ。一応幼馴染だからな。それが弱点になりかねないから、お互い足を引っ張るような事はしないようにな、と」
「だからって…! ゆあちんの身に何かあったらどうするの!?」

 悲鳴混じりで非難の声を上げるが、アレクは「知るか」と言ったきり黙り込んだ。

「〜〜〜〜ッ!!」

 リトトが恨みがましく青年を睨みつけるが、当の本人は知らん顔を貫いていた。



 待合室に重い空気が落ちる。
 その硬直した空気を動かしたのは、ずっと黙って話を聞いていた、金髪の娘キアーラだった。

「――アレク」

 彼女は腰に手を当てて、下からアレクを睨み上げる。彼女の鋭い蒼の双眸に呑まれそうになり、思わずアレクは微かに後退った。

「何だよ……」
「情けない」

 ふっ、と逸らされた青い目にアレクはムッとした。しかし言い返そうと口を開く前に、キアーラが更に言葉を続けた。

「アレクなんか居ても居なくても問題ない。ユアナ救出は私達で行こう」

 その言葉にシグリッドが頷いてリンクシェルを取り出し、シェルの向こうにいるだろう、ヒュームの青年に声をかけた。

「ヴィン、レヴィルルの看病を頼むよ」
『はいよー、話はバッチリ聞いてたから、任せといて』

 恐らくウインク付きで応えているだろう明るい声に、シグリッドは小さく微笑んだ。

「グズグズしてる暇は無いからすぐにでも行こう」
「じゃああたしがテレポヨトを唱えるね」

 リトトが元気良く椅子から飛び降り、診療所を出ていく。その彼女を見送り、シグリッドは黒髪の青年を振り返った。

「アレク、お前もヴィンと一緒にレヴィルルを――」

「待って、私も行く」

 シグリッドの言葉をか細い声が遮った。
 一同が声の方を振り返ると、絶対安静と言われていた筈のレヴィルルが部屋から顔を覗かせていた。

「レヴィ! 大丈夫なの?」

 まだ僅かに顔色の悪い少女の元に、キアーラが慌てて駆け寄る。小さな体を抱き上げると、レヴィルルは苦笑いを浮かべた。

「ユアナが『海蛇の岩窟』に捕らえられてるのに、のん気に寝てられないよ。それに、この手で仕返ししないと気が済まないしねぇ…」

 ニヤリと微笑むレヴィルルに、キアーラは乾いた笑いを浮かべた。


「大体さぁ、アレクの命を狙って来てるのに、何で私が巻き込まれなきゃいけないのよ。それを言うとユアナもいい迷惑してるよね。なのに張本人は助けに来ないとか……ふざけすぎ」

 笑みを浮かべたまま、レヴィルルが一気にまくし立てる。
 彼女の青灰の瞳が笑っていない事に気付いたアレクは、小さく舌打ちをした。

「……クソっ、行けばいいんだろ!」
「行かないんじゃなかったの?」

 素早くレヴィルルに切り返され、アレクは黙り込む。その二人のやり取りを見て、シグリッドが思わず笑い出した。

 ユアナの親友キアーラの言葉でも動かなかったアレクが、嫌々ながらとは言え「行く」と言い出す事になるとは。
 レヴィルルの毒舌の凄さを改めて思い知った。

「何がおかしいんだよ!!」

 八つ当たり気味にアレクが叫ぶと、シグリッドは声を上げて笑い出した。

「面白いほど振り回されてるなぁ…と」
「……!!」

 声にならない叫びを上げ、アレクが診療所を出て行く。その後姿を、笑いながらシグリッドが追った。


「そういう訳で先生、仲間を助けに行ってきます」

 診察室から現れた医師に、レヴィルルは告げた。
 始終話が聞こえていた医師は、彼女を止める事はなかった。

「くれぐれも無理はしないように。戻ってきたら暫く入院してもらいますよ?」
「わかりました!」

 キアーラに抱きかかえられたまま、レヴィルルは手を振って診療所を出た。


「じゃあ飛ばすよー!」

 白魔道士にジョブチェンジしたリトトが掛け声を上げる。彼女の側には、話を聞いて駆け付けた、タルタルの女性クムリリも立っていた。
 呪文を唱えている少女を見つめたまま、レヴィルルが何気なく隣に立つアレクに尋ねる。

「そのアレスって何者なの?」
「さぁな」
「さぁなって何よ…。同じ顔で同じ声で……」
「……俺が聞きたいよ……」

 小さく呟かれたアレクの言葉に、レヴィルルは思わず彼の顔を見上げた。だが『テレポヨト』の詠唱が終わり、一同の姿が光に包まれた為、表情を窺い知る事は出来なかった。

 何だかんだ言ってアレクを悪者扱いしてしまったが、良く考えれば彼は一番の被害者だったな、とレヴィルルは申し訳ない気持ちになった。

 なったが、それをわざわざ口にする彼女では無かった。








 ピチャ、と頬に冷たいものが触れ、ユアナは目を覚ました。

 ぼんやりとした頭で辺りを見回すと、周りは蜜蝋の淡い光に照らされた岩壁に囲まれていた。どうやら何処かの洞窟のようだ。その床に布が敷かれ、転がされていたようだ。

 腕を動かそうとするが、後ろ手で縛られているのか、手首が痛むだけで解く事は出来ない。
 何とか体を起こしながら、一体何が起こったのかを思い出す。


 確かレベル上げパーティに誘われた筈だ。
 狩りの休憩の時にリーダーからジュースを振舞われ、そこから記憶が無いという事は、ジュースに昏睡薬が混ぜられていたのだろう。
 あの時いたメンバーは全員グルだったのか、と内心舌打ちした。

 何かされたのだろうかと体を見下ろしてみるが、衣服に乱れ等は一切ない。手は縛られているが、猿ぐつわはされていないので、簡単に逃げ出す事が出来そうだった。


 はっきりと覚醒した頭で改めて辺りを見回す。
 自分の周りにいくつかの木箱が乱雑しており、天井からはポタポタと水滴が零れていた。
 何処からとも無く漂ってくる魚臭さと潮の香りに、ここは『海蛇の岩窟』だろうと想定する。
 『海蛇の岩窟』を住処とするサハギン達にもだが、ここに自分を連れ込んだ人物にも気付かれないうちに脱出しようと、『デジョン』の魔法を唱え始める。

「――…ッ!」

 しかし呪文が完成する前に言葉が痞え、詠唱が中断された。
 呪文を唱えられないようにする、白魔法『サイレス』の仕業だろう。猿ぐつわをしていない理由がこれか、とユアナは溜め息を吐いた。
 やまびこ薬があれば『サイレス』を治療する事は出来るが、恐らくポケットから取り出されているだろう。同時にリンクシェルも奪われていると予想がつく。

 どうしよう、と焦っていると、カチャカチャと金属音が近付いてきた。
 ギクリと肩を強張らせ音の方を睨みつけると、黒い鎧を身にまとうヒュームの青年が姿を現した。
 スラリとした長身に、短く切り揃えた黒い髪。
 ユアナは思わず目を見開いた。

「気が付いたか」

 低い、心地の良い声に体が震える。

 何故彼がここにいるのだろう。もしかして助けに来てくれたのだろうか。しかし今、”気が付いたか”と言わなかったか?
 という事は、自分をここに連れ込んだ人物はこの目の前の青年なのか。

 ユアナは震える口唇で何とか言葉を紡いだ。


「――アレク?」





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