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すれ違う葛藤に女神は微笑む【2】


「相変わらず暑いなー」

 ジュノ大国の喧騒から離れた直後、ムッとした蒸し暑い空気が肌に触れ、思わずレヴィルルが呟いた。
 辺りは背の高い木がいくつも密集しており、鳥や動物の鳴き声やモンスターらしき唸り声が遠くに響くそこは、ミンダルシア大陸から南に海を渡った先にある島、エルシモ地方のヨアトル大森林。
 北に火山イフリートの釜がある為か、気温はかなり高い。
 森林の南には、暗殺に長けた獣人トンベリの住処である、ウガレピ寺院もある。
 一行の目的はヨアトル大森林を西に抜けた先にあるユタンガ大森林を、更に西に抜けた先だ。

 下ろしたままにしていた金の髪を高い位置で一つに束ねて、白い羽飾りのついた赤い帽子を被り、レヴィルルは先頭を歩くシグリッドを追った。


 ヨアトル大森林を抜け、ユタンガ大森林に入ってから暫くして、思い出したようにキアーラが声を上げた。

「『海蛇の岩窟』にいるのはいいけど、問題はその何処にいるか、だよね…」
「あそこは結構入り組んでるよねぇ」

 顔の前を飛び回る小さな虫を払いながら、リトトが唸る。

「結構王道で、一番奥だったりして!」
「一番奥って事は、『サハギンの扉』の奥? …厄介だね」
「金貨扉奥なんじゃないの?」

 先頭を歩くシグリッドのすぐ横、金髪の少女が肩越しに振り返って答えた。

「いくら何でも人を連れて、サハギン達の目を掻い潜るのは無理じゃない? だから金貨扉かなって思ったんだけど」
「案外裏をかいて銀貨扉だったりして!?」

 何故かリトトが楽しそうに言った。レヴィルルは肩を竦め、ふ、とリトトとキアーラより更に後ろを見た。

「アレクはどう思う?」
「……何で俺に聞くんだよ」

 如何にも機嫌が悪いという顔をして、アレクが睨みつけてきた。

「何となく」

 大森林を歩いている途中、レヴィルルはアレクとアレス、二人の関係に一つの仮説を立てていた。
 もしかすると二人は意外と似たような考えをしているのではないのか、と思ったが、それを説明するのは面倒だった。

「……金貨扉かな。冒険者が溢れている銀貨扉奥やミスリル扉奥は無いだろうな」

 不機嫌な顔はそのままでアレクが答える。

「じゃあ金貨扉奥って事で」

 レヴィルルがそう言うと、今までずっと端末に向かって喋っていたシグリッドが、気まずそうに言葉を吐いた。

「不味いな……」
「何が?」
「『海蛇の岩窟』に篭っている知り合いに、それらしき人物を見たか聞いてたんだが……」
「ゆあちんの身に何かあったの!?」

 レヴィルルを押し退けて、リトトがシグリッドに迫る。

「いや、そういう奴らは見てないとの事だ。ただ――」

 携帯端末を鞄に仕舞いながら、シグリッドは続けた。

「――そろそろカリブが沸くかも知れない……」

 カリブ――Charybdisというシーモンク系のノートリアスモンスターで、多くの赤魔道士や吟遊詩人が欲する片手剣『ジュワユース』を落とす事で有名なモンスターの事だ。

「マジですかっ!!」

 赤魔道士のレヴィルルが目の色を変えて走り出した。
 先程までまだ顔色の悪かった彼女だったが、頬を紅潮させ、猛スピードで森林を駆けて行く。

「無理するな……ってレヴィルル!!」

 慌ててリトトとキアーラが彼女を追うが、小さなレヴィルルの姿は既に見えなくなっていた。

「レヴィルル…目的間違えてないといいけど…」
「物欲というのは恐ろしいな」

 揃って溜め息を吐く二人を、シグリッドは苦笑を浮かべて見つめた。

「どうせすぐ扉に引っかかるだろうけどな」

 シグリッドの言う通り、『海蛇の岩窟』は仕掛け扉が四つある。『サハギンの鍵』を必要とする扉と、獣人貨幣を使って開ける事が出来る扉が三つのあわせて四つ。
 会話に出てきた『金貨扉』というのは、『獣人金貨』を使用して開ける事が出来る扉の事だ。
 ロクに準備もせずにジュノを発ったレヴィルルが、『獣人金貨』を持ち歩いているとは思えなかった。

「俺達も急ごう」

 シグリッドの言葉に、一行は頷いて歩く速度を上げた。




 エルシモ地方の西、一般的に『低地エルシモ』と呼ばれるその地にあるアウトポストの、すぐ側の穴を飛び降り、更に西へ向かうと滝が見えてくる。
 その滝の後ろにある細道を進むと暗い洞窟に入った。
 海が近くにある事と、陽の光が一切差し込まない事で、気温がぐっと下がる。
 暗い所を好んで棲むコウモリを避けつつ、レヴィルルは『金貨扉』に向かって小走りに進んだ。

 いくつかの段差を飛び降りると、目の前に派手な装飾の扉が見えてくる。
 その扉は『サハギンの鍵』が必要な扉なので、無視して道を左に曲がった。緩い坂を下りると一気に視界が開けた。
 頭上には『サハギンの鍵』の扉からのみ行く事が出来る、石の橋がある。
 南北に伸びるその橋を渡る影は、恐らくこの『海蛇の岩窟』を住処にしている獣人サハギン族だろう。そのサハギンに気付かれないように、橋脚の影を利用して、釣りをしている冒険者が二人。
 レヴィルルは足音を潜めて、石橋の下をくぐり、南へと向かった。


 通路を塞ぐ石の扉に手を当て、押したり引いたりするが、ビクともしない。
 宝剣『ジュワユース』の事で頭が一杯だった為、獣人貨幣が必要だった事をすっかり忘れていた少女は、扉を蹴り飛ばした。

「やっぱり引っかかってたな」

 後ろから笑い声が聞こえ、驚いて振り返ると、シグリッド達が追いついていた。
 彼の後ろから黒魔道士にジョブチェンジしたリトトが細い眉を吊り上げて、レヴィルルに指を突きつける。

「レヴィルル、あたし達はゆあちんを助けに来たんだよ? 目的を間違えちゃダメじゃない」
「方向は一緒なんだから問題無いでしょー」

 小さな口唇を尖らせ、リトトに言い返すレヴィルル。
 確かにその通りなのだが、ユアナの方がついで扱いになっている事にムッとし、リトトは少女の長い耳を引っ張り、扉から引き剥がした。

「イタタタッ!」
「今開けるから離れてろ」

 シグリッドにまで言われ、レヴィルルは渋々扉から離れた。

 シグリッドがポケットから取り出したのは一枚の『獣人金貨』。この金貨の形と重さを利用した、仕掛け扉になっているのだ。
 『獣人金貨』を扉にある窪みにはめ込むと、カチリと小さな音がして、扉がゆっくりと横にスライドし始めた。
 素早く金貨を取り外し、シグリッドが扉を潜る。クムリリ、キアーラ、リトトが続き、レヴィルルとアレクが最後に扉を潜ると、重い音を立てて扉が閉まった。

 少し進んだ所で足を止めたシグリッドの視線の先には、黄色の鱗を持つ魔道士タイプのサハギンと、青い鱗の格闘タイプのサハギンの二体が、こちらを見て立っていた。

「ウォーミングアップだ」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、シグリッドは背負っていた両手斧を構えて、青いサハギンに挑発を飛ばす。同時にキアーラが片手剣を抜き放って、黄色のサハギンへ駆け出した。







 目の前に佇む黒髪の青年は、ユアナの問いに小さく微笑んだ。何処か物哀しげなその笑みに、ユアナは内心首を傾げた。
 自分の知っている人物は、そんな微笑を浮かべた事が今まであっただろうか。

「……アレク、か……」

 小さく呟いて、青年は彼女の正面に片膝をついて目線を合わせる。
 闇よりも暗い黒の双眸を真っ直ぐ見つめ、ユアナが口を開いた。

「貴方は……誰なの?」

 同じ顔つきをし、同じ声で言葉を紡いでいるのに、アレクではないと言うのなら、一体目の前の人物は誰だと言うのか。
 訝しげに眉を寄せて見つめてくるユアナを見つめ返し、吐息と共に言葉を吐き出した。

「…アレス――アレクの双子の弟だ」

「……双子…?」

 愕然としてユアナが呟いた。
 確かに双子と言われれば、同じ顔、同じ声の理由も分かる。しかし今まで一度もアレクに双子の弟が居た、とは聞いた事がない。

「知らないのも無理はない。俺はバストゥークの孤児院前に捨てられていたそうだからな」

 アレスは目を閉じ、ユアナから顔を逸らした。

 そういう理由があったから、アレスがアレクの命を狙うのか、とユアナは思った。
 きっとアレスは孤児院で苦しい生活を強いられていたのだろう。冒険者になってからも何かとアレクは有名だった。『アレス』という名は一度も聞いた事がない。

 そこまで考え、ふ、とユアナは可笑しな事に気が付いた。

「ちょっと待って、何か勘違いしてない?」
「……勘違いだと?」
「そうよ」

 未だ後ろで縛られている手を握り締め、ユアナは続ける。

「あいつだって孤児院にいたのよ」
「冗談だろう」
「本当の子供だったら、わざわざおじ様やおば様が嘘をつく理由が分からないわ」
「…………」

 ユアナの言葉に、アレスは再び彼女を黙って見つめた。

「私はアレクと小さい頃からずっと一緒に居たのよ。冒険者になってからは離れてたけど…。きっと何かあったのよ!」

 アレクとその両親に血の繋がりがないというのは、幼い頃にアレク自身から聞いた事だった。
 アレクはクリスタル戦争時の戦災孤児だったそうだ。
 ユアナの両親と友人だった夫婦が戦争後、バストゥークの孤児院からアレクを引き取り育ててきた。
 血が繋がっていないというのを全く感じさせない程、親子は仲が良かった。――今はアレク自身が長い反抗期のようなものだが。

 アレクとユアナと結婚させようと張り切っていたりもしていた。
 そんな両親が嘘を吐き、双子の弟を捨てたりするだろうか。

「一緒にバストゥークに行って、おじ様達に話を聞いてみましょうよ」

 懇願するようなユアナの眼差しに耐え切れず、アレスは顔を逸らした。

「ねぇ、アレス!」

 頑固な所は良く似ているな、とユアナは思った。
 いざとなったら蹴りでも入れて、バストゥークまで強制的に連れて行こうかと企んでいると、急にアレスが立ち上がった。

「行く気になった?」

 顔を上げて尋ねるが、アレスは静かに辺りを見回しているだけで応えない。

「どうしたの?」

 首を傾げて彼の後ろ姿を見つめると、「それどころじゃなくなったようだ」とアレスが小さく言った。

「どういう……?」

 再び訊ねようとするユアナだったが、異変に気が付いた。


 アレスが見つめる先に、一体のシーモンク系モンスターが何時の間にか姿を現していた。
 遠目で分かり難いが、どうやら体のサイズが通常のモンスターより二回り程大きいようだ。

「まさかアレって……」
「……カリブ」

 アレスの小さな呟きに、ユアナは思わず膝立ちになった。

「ここってジュワ部屋だったの!?」

 二人から離れた場所を漂うシーモンクは、レヴィルルが一番会いたがっていたモンスターだった。
 レヴィルルが会いたがっているとは言え、ユアナとアレスの二人に倒せるようなモンスターでは無い。

「どうするの?」

 ユアナの後ろに回りこむアレスを目で追いながら訊ねると、アレスは短剣を取り出して彼女の手を縛る縄を解いた。

「気付かれる前にテレポを」
「あ、そっか……」

 奪われていたやまびこ薬を返してもらい、一瓶を一気に飲み干す。
 痛む手首を擦りながらユアナは立ち上がり、早速移動魔法テレポの詠唱に入る。場所はこの際何処でもいいので、使い慣れている『テレポルテ』を選んだ。
 このテレポの魔法は兎に角詠唱が長い。全てを唱えきる前にモンスターに気付かれるのは目に見えている。
 こういう時こそレヴィルルのように早口だったら良かったのだが、無いものねだりをしても意味は無いので、ユアナは呪文の詠唱に集中した。

 ユアナの詠唱の邪魔にならないように、尚且つ彼女を守れるように少し離れた位置に立ち、アレスは両手剣を構えてカリブを睨み付けた。





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